1995年の阪神・淡路大震災から20年が経ちます。
当日の朝のことは今でも鮮明に覚えています。NHKにチャンネルを合わせても、神戸の震度が表示されなかったりして。
私は神戸には行ったことがりませんが、その年の3月ころだったと記憶していますが、京都へ出張した際、工場の中で地震によって倒れたままの多数の棚や工具類を目の当たりにして、こんな小さなことにまで手が付けられない状況であり、神戸はもっと大変なんだなと感じたものでした。
さて、震災が起こったその年、オリックスバファローズ(当時はブルーウェーブ)は「がんばろうKOBE」のスローガンのもとで、開幕を迎えました。序盤は出遅れましたが、6月になると19勝4敗1分けの快進撃をし、7月19日に両リーグ最速の50勝到達。9月19日には11年ぶりの優勝を決めました。
リーグ優勝を果たし、被災した人々の心を励まし勇気付けてくれました。また、翌年の1996年には念願の日本一を達成しました。
原動力となったイチローは首位打者、最多安打、最高出塁率、打点王、盗塁王の5冠に輝き、2年連続MVPを獲得しました。
10年後の1995年にイチロー選手はインタビューでこう言っています。
「あの日のことを、僕らは、被災した人たちは、いつだって忘れることはないんですが、もう一度、しっかり自分の記憶、気持ちの中にとどめる日ですよね。それと、前に進んでもらいたい。後ろ向きにならずに。10年たったわけですし、忘れるという意味ではなく、気持ちを切り替えられる区切りになると思うんですよね。僕は、次に起こることは何か、いま何をすればいいのか、いつも考えます。無駄というか、生かされないことの方が多いんですが、考える労力を惜しむと、前に進むことを止めてしまうことになる。それぞれの生活の場で、考える内容や質は変わるでしょうけれど、考えてみてほしい。僕も新しい年、無駄なことをたくさん考え、そこから新しい何かが見えてきたらうれしいですね」
20年経ちます。その年に生まれた子どもたちは成人を迎えます。
今でも苦しんでいる方々がまだいるかも知れませんし、そのときの子どもたちが結婚して親になっているかも知れません。
単なる節目とは考えずに、新たな時代への幕開けの一年としたいものですね。
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まっくろくろすけ

Nより

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