ここ何年かのシーズンオフのプロ野球での注目点の一つが選手の背番号変更です。
もともとプロ野球における背番号はニューヨーク・ヤンキースが打順に合わせてつけたものが広がったこともあり、野手の中心選手が一桁の番号を、ピッチャーの中心選手が(11以降の)10番台をつけることが現在では一般化されています。
また、大きな数字であっても金田正一さん(元:国鉄スワローズなど)に由来する34、工藤公康さん(福岡ソフトバンクホークス監督)に由来する47は左ピッチャーのエース番号として使われており、イチローさん(現:シアトル・マリナーズなど)に由来する51、松井秀喜さん(現:ニューヨーク・ヤンキース)に由来する55なども特別な番号として扱われていることが多いです。
さて、背番号が多く変更になった選手の筆頭格が昨年引退した森野将彦さん(中日ドラゴンズコーチ)です。森野さんは一度も移籍することなく、ドラゴンズ一筋で21年間プレーしながら、7度の変更を繰り返し、合計で5つの背番号(7、8、16、30、31)をつけていました。
これは8年間指揮を執った当時の監督の落合博満さんがよく選手の背番号を変更したことが原因ですが、それにしてもここまで変更した選手も珍しいと思います。入団当時と最後の4年間は7をつけ、また2度にわたって8をつけていたこともありますが、実は小さい数字の背番号での成績は比較して良くなく、7、8、16をつけてプレーした11シーズンの通算安打は513本であり、この期間の打率は.263でした。一方で30と31をつけていた2006年~2013年にかけての8年間では1068安打、打率.285でした。森野さんにとっては大きい数字の背番号の方が成績が良かったのです。
なお、その森野さんの入団時と引退時につけていた7は、来年からはドラフト1位の根尾昂選手がつけることになっています。
今年、日本一になったホークスの四番のギータこと柳田悠岐。プロ入り3年目の2013年にホームラン11本を放つと、翌2014年には全試合に出場して打率3割をクリアし、その年のオフにそれまでの背番号44から小久保裕紀さん(現:福岡ソフトバンクホークス)のつけていた9への変更しました。その翌年2015年は更に成績を伸ばし、打率.363で首位打者のタイトルを獲得し、さらにホームラン34本、32盗塁のトリプルスリーを達成するとともにシーズンのMVPにも輝きました。それ以降も、3年連続で出塁率と長打率でリーグトップの数字を残し、中軸として十分な働きを見せています。
前田健太選手(ロサンゼルス・ドジャース)は今では背番号18の印象が完全に定着していますが、プロ入り1年目の2007年だは34をつけていました。この年は二軍でチーム最多の投球回を投げて5勝をマーク。その年限りで佐々岡真司さんが引退し、将来のエースを期待されて2年目から18を背負うこととなりました。一軍での実績がないままエース番号を引き継ぎましたが、その期待に応えて9勝をマーク。2010年からは6年連続二桁勝利をマークし、最多勝と最多奪三振を2回、最優秀防御率を3回と数々のタイトルを獲得し、沢村賞も2度獲得する、球界を代表するピッチャーへ成長しました。2016年からはMLBへ移籍しましたが、同じ背番号18を背負い、2年連続で二桁勝利をマークするなど見事な活躍を見せています。
柳田選手や前田選手のようにチームを代表する主力級の小さい背番号へ変更となったことで、さらに飛躍した選手がいる一方で、残念ながら、逆にその期待に応えられずに成績を落としてしまった選手もいます。
最近では堂林翔太選手(広島東洋カープ)が代表例でしょうか。プロ入り3年目に全144試合に出場してチームトップのホームラン14本を放ち、オールスターにも選ばれるなど好成績を挙げると、翌年からは背番号13から当時監督だった野村謙二郎さんが現役時代につけていた7へ変更となりました。しかし課題の守備と打撃の粗さが改善されずに成績は年々下降し、2015年に緒方孝市監督が就任すると一軍の出場機会は激減し、この3年間で42安打、ホームラン3本に終わり、チームの連覇にも大きく貢献することが出来ませんでした。内野では若手の西川龍馬選手が台頭し、外野の層も厚いためレギュラーどころか、出場機会すら巡ってきていません。まだ27歳と若く、期待されている選手ですから、何とか再ブレイクして欲しいと思います。
このシーズンオフも、これまでの実績によって期待を込めて小さい番号に変更になる選手がいます。また逆にこれまでつけていた小さい背番号を失った選手もいます。彼らがこの変更を機にどのような成績を残すか。
たかが背番号、されど背番号。来年以降の活躍に注目していきたいです。