2021年7月23日、東京でオリンピックが開催されますが、さかのぼること81年前の1940年の9月にも東京(当時は東京都ではなく東京市)でのオリンピックの開催が予定されていました。
1929年の国際陸上競技連盟会長が来日したことをきっかけに、1931年に東京市議会でオリンピック招致活動の開始が正式に決定されます。開催予定は紀元2600年(「日本書紀」に書かれた神武天皇の即位から2600年目)となる1940年としました。
1932年に東京市は外務大臣に、「この夏に行われるロサンゼルス・オリンピックに際して、各国の有力者が集まる機会を利用して、大使や領事から東京へのオリンピック招致を国際的に働きかけてほしい」と要請します。東京大会の狙いとして、「1940年が紀元2600年にあたり、その記念として絶好の機会」「国民体育の上で大きく役立つ」「世界の人々に日本に対する理解と関心を深めてもらう」ことなどが挙げられていました。
1932年の国際オリンピック委員会(IOC)総会において、正式に開催地への立候補を表明しました。1935年のIOC総会で、1940年の開催地候補が、「東京」「ローマ(イタリア)」「ヘルシンキ(フィンランド)」の3つにしぼられ、その後、ローマが辞退し、1936年のIOC総会で1940年の第12回大会の開催地が東京に決定します。
もちろん、開催が正式に決まりますと、その準備が始まります。同年12月には東京大会組織委員会が組織され、東京市内では開催に向けて、会場の建設、宿泊施設などの工事が始まり、記念品が多数販売されます。
昔も今も、同じ状況だったと思います。
メイン競技場として、明治神宮外苑競技場を作り変えて使用する案、駒沢に新たに建設する案などがあり、この時点では検討中だったようです。ほかにも、駒沢にプールを建設する計画、芝浦の埋め立て地に自転車競技場を建設する計画などがありました。
しかし、1937年7月7日に盧溝橋事件(旧日本軍と旧中国軍との間で起きた衝突事件)が発生し、日中戦争が長期化する予測などから、日本ではオリンピックなどを開催するべきかどうか、という疑問が出てきます。また、海外からも問題視され、日本が開催地として適当かどうかが問われます。特に日本批判は強くなり、IOCには東京大会開催に反対する声が多数寄せられました。
こうした事態を受け、日本に辞退を求めることを決めたIOCは、1938年4月2日に、ベルギーの日本大使を訪れ、「東京大会の招待状が発送される翌年(1939年)1月までに日本が戦争をやめていなければ、英国、米国、スウェーデンはもちろんのこと、ほかの国々からも参加拒否の動きが出てくるだろう」と伝え、「そのような事態を迎えるよりは、自ら辞退を申し出る方が日本にとっても良いだろう」と伝えたそうです。
そして、日本国内でも国外でも、「東京大会を開催するべきではない」という考えが高まり、日本政府は1938年7月15日の閣議で辞退を正式に決定し、大会組織委員会に通達します。
この通達を受け、委員会としても国の考え方にしたがうことにするとともに、「アジアに平和が訪れることを信じて次のオリンピックを東京に招致したい」「今回の計画に対して大きな支援があったことに対して感謝する」と声明しました。
こうして、1940年の第12回 東京大会は、中止となり、代わってヘルシンキ(ノルウェー)での第12回大会の開催が決定されました。しかし、こちらも第二次世界大戦の勃発によって実現しませんでした。
ちなみに、戦争により中止になった夏の大会は次のとおりです。
第12回(1940年) 東京(日本)→ ヘルシンキ(フィンランド)
第13回(1944年) ロンドン(英国)
戦争が終わり、戦後初の大会が開催されたのは1948年にロンドン大会(英国)となります。
しかし、日本は太平洋戦争で欧米主要国を敵に回したことから、IOCをはじめ、すべての国際競技連盟から除名または資格停止され、ロンドン大会には参加できていません。
日本が再び国際的に仲間入りできたのは、いずれも戦後4~5年以上経ってからとなります。
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