野球小僧

矢田六所神社 / 龍神社(愛知県名古屋市東区)

三菱電機名古屋製作所の南隣、ナゴヤドームの南西に位置して、街中の喧騒の中において静かに鎮座する矢田六所神社。

伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)の夫婦神二柱を祀っています。

神社創建年は不明であり、古説には1190~1193年の鎌倉時代初期に山田の庄(現在の愛知県名古屋市西区山田町)に住んでいた山田次郎重忠公さん(南北朝時代に南朝方の武士として活躍したそうです)が創建したと伝えられています。六所社として創立時の御祭神・神皇産霊神(かみむすぴのれいじん)は、古事記・日本書紀の神代、天地の初めて分かれるときに高天原に生まれた神で、矢田六所神社では火・水・木・金・土・雷の六神を結合した神と言われています。また、合祀神として黒竜・白竜の竜神社と稲荷社を祀っています。

社名の確認できる物については、尾張徳川二代藩主光友公の命により1661~1673年の寛文年間に編纂された書物「寛文村々覚書」に、「六所大明神、社内六反歩、前々除、瀬古村祢宜吉太夫持分」とあり、さらに樋口好古さんが1792~1822年(寛政4年~文政5年)に渡ってまとめた書物「尾張徇行記」矢田村の項には、「六所大明神、視界内六反、前々除、六社ハ北武士郭ノ北、林中ニアリ」と書かれているのが見られるそうです。

戦争で戦災に遭い、昭和41年に復興計画を立てて現在の六所神社となりました。

その昔、六所の森は別名暗がりの森ともいい、森自体がご神体であったそうです。昼でも暗い神域内中央には西に通ずる一筋の細道があり、南側に清水が吹き出し(現在は井戸)小川となって、矢田・大曽根・清水方面の農業・水車小屋等に役立っていたそうです。

いつの頃か定かではないそうですが、六所の森の中から赤ん坊の泣き声が聞こえて来たので、不思議に思った村人が木立の中へ分け入って見ると,旅の年若き貴人夫婦が、まるまると太った男の子を森の中の清らかな清水で産湯を使っていそうです。その後、その親子は7日後に名も告げず立ち去ったそうです。

この桃太郎伝説に似た安産の神の奇瑞とした村人の噂が近隣近郷に伝わり、安産の神として遠方からも参拝に訪れる様になったと言われているそうです。

その日が2月26日であり、この日に祭儀を行うようになったそうです。

昔から六所神社の氏子には難産の婦人は一人もいないと言われ、1899年(明治32年)頃に赤痢が流行した時も、矢田村だけは一人の患者も発生せず、難を逃れえたと伝えられています。

「これも偏に日頃より信心する六社大明神の御守護のお陰」と言われ、この御霊験御利益の噂が広まり、安産祈願のほかに成育(初宮、虫封、七五三等)、厄除けなどを願い多くの方が参拝に訪れています。

例祭では農家が各戸餅をお供えし、投げ餅で参詣人を喜ばしていたそうです。餅投げは最近まで行われていたそうですが、現在は餅を参識者に引換券をもって接待しているそうです。

また、例祭でしか買えない、竹の先に白・赤・青・黄の飴を丸く練り固めた「かっちん玉」が有名です。

矢田六所神社の境内社龍神社では、ナゴヤドーム開設二年目(1998年)から中日ドラゴンズの恒例行事として、ナゴヤドームでのオープン戦当日に優勝祈願祭を行っています。

元々は球団前社長がナゴヤドームのすぐ近くにある六所神社に龍神様が祀られている事を知り、お詣りをしたら三連勝が二度続いて六勝(六所)したといって縁起の良い社だとして社長自らドームでの試合前には必ず必勝祈願に詣られていたそうです。

 

いろいろな必勝祈願をしてきました。


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
森の中にあっただけに、奥深くしました(なんのことやら)。

ドームへは何度も行きましたが、矢田六所神社は2度目です。

野球に関する神社はたくさんありますが、たまには趣向を変えてみようかなと。
eco坊主
おはようございます。

イザナギとイザナミでの書き出しなので昨日の続編と思いきや、竜神社の記があったから(今低迷している)竜への応援メッセ?と思いきや・・・
いやぁ~奥が深い!!!

名古屋球場には行きましたがドームは未だ。
田縣神社にはお参りしましたが矢田六所神社へは行ってません。

次は何処の名所を教えていただけるのでしょうか?
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