「評価懸念」とは、他人からの評価に対する心配や否定的に評価されるのではないかという予測に対する心配の程度を示す概念のことです。
誰もが持っていることでもあり、特に多感な思春期を迎えた子どもたちに大きく影響する事柄です。
人は「もし悪く評価されたらどうしよう」と常に気にしてしまうことがあります。
それは行動にもよることがあったりしますが、行動を起こすためのメンタルな部分に追うことが大きいです。
誰もが「褒められ、好かれたい」という欲求と「他人から嘲笑されたり、拒否されたりしたくない」という欲求があります。
そのために、社会的生活の中で、評価について積極性と消極性が混在した状態になります。
すなわち、防衛的な承認を求める気持ちと、否定的に評価されることを過剰に心配することになると考えられているというのです。
でも、それは過大評価でもなく、過小評価でもないかたちで特定の人から肯定されることが、評価懸念の低減に重要であるといわれています。
この特定の人というのが難しい。誰でも良いというわけではありません。
特に小中学生にこの傾向が多く見られるといいます。
例えば、子どもたちであれば学校で普段一緒に行動する友達が、身近で重要な特定の人となり得るといいます。
その友達の影響は大人が思っている以上に大きいのです。ただ、その友達全員が重要ではなく、自分なりに選択はしています。
何気ないことで、同じことを言われても、特定の友達からというものは気にするものとなるのです。
大人は少し違うとは思います。
人間関係は社会生活を快適にする土台。
人間関係で自己が「ありのまま」に認められないと、社会生活をしている上で支えのない状態で生きていなければなりません。
しかし、「ありのまま」とはポジティプなものだけでなく、知られたくないようなネガティブな部分もあります。
自分の悪いところを知っていて、その上でなお、良好な人間関係を認識してもらえれば過剰に反応する必要はないかも知れませんが、他人に対してネガティブ(=弱み)な部分を見せることは非常に難しいことだと思います。
何しろ、非常に勇気がいることでもあります。
こんな評価懸念を気にすることなく、生活できるような世の中であればいいのですが。
何でも評価したがる世の中では、仕方がないことですね。