MLB・シアトル・マリナーズの会長付特別補佐兼インストラクターのイチローさん。球団殿堂入りセレモニーが2022年8月28日(日本時間)、シアトル・マリナーズの本拠地、T-モバイル・パークで行われましたが、なかなかイチローさんらしく、ユーモアを交えながらの感謝を述べたスピーチでした。
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Ichiro's Mariners Hall of Fame Induction: FULL SPEECH
What’s up? シアトル!(What's up? = What are you up to? : 最近どう?)
ありがとう、ジョン(・スタントン会長)。今夜、ここに立つことができて光栄です。
あそこに座っているよりも、ここに立っているほうが安全でしょうね。
なぜなら、先ほどの動画のとおり、ジュニア(ケン・グリフィーJr.)が私の椅子に糊をつけていたかもしれないから。
あなたならやりかねないよ。私にスピーチをさせるためのジュニアのやり方に違いないですね。
というわけで、始めましょう。
22年前、シアトル・マリナーズの一員となって、私の人生は変わりました。この組織(マリナーズ)とこの街(シアトル)には感謝してもしきれません。
ハワード(元;CEOハワード・リンカーン)とジョン(ジョン・スタントン)、出席してくれてありがとうございます。ありがとう、ジェリー(・ディポートGM)とケイティー(・グリッグス社長)。チャック・アームストロングさん(元;球団社長)にも来ていただいて感動しています。
そして、今日ここにはいない人の名前も挙げなければなりません。山内博さん(元;任天堂社長)です。彼はマリナーズの長年のオーナーでした。日本人初の野手としてシアトルでプレーする機会を与えてくれた彼に生涯感謝します。
今夜、時間を作ってここに来てくれた多くのマリナーズ殿堂入りされた皆さんの温かい応援に感動しています。
アルビン(・デービス)と知り合うことができて光栄です。一人のファンが私にこう言ったのです。「あなたが(アルビンと)一緒にプレーをしている姿を見るのが大好きなんだ」と。
最初は馬鹿にされたのだと思いましたよ。いったい私が何歳に見えるのか?って思いました。彼は私がここにくる以前にとっくに引退していたのですから。
でもよくよく考えてみたら、アルビンとチームメイトになるのもいいのではないかと気づきました。だから、そのファンを訂正しませんでした。
最初のチームメイトの3人がここにいます。
エドガー(・マルティネス)、あなたは最も謙虚なプロフェッショナルであり、引退後も変わっていませんね。あなたは、フィールドでは鉄壁で、クラブハウスでも助けてくれました。
そして、ジェイミー(・モイヤー)!ここにわざわざ来てくれてありがとう。
左利きのあなたはとても賢かったけれど、とてもお喋りでしたね。あなたに初めて会った時、30分もの間、私に英語で話し続けてくれました。あなたが何を話していたのか私にはまったく理解できませんでした。今でこそ私の英語も少しは良くなったけれど、いまだにあなたの言っていることのほとんどは理解できません。それでも、49歳までプレーを続けたことは本当に尊敬しています。
この新しいマリナーズ(殿堂)チームに参加できることを光栄に思います。私をここに迎え入れてくれた皆さん、ありがとうございました。
そして、ここに私がジョージと呼んでいる男がいます。皆さんご存じのとおり、ケン・グリフィー・Jr.です。
アメリカに来る前から、彼は私にとってのあこがれの存在でした。2009年に彼がシアトルに戻ってきて、ようやくチームメイトになることができました。そう、彼は冗談好きですが、真のプロフェッショナルでもあるのです。
彼は私が言葉で表せないほど多くのことを助けてくれました。彼とチームメイトになれたことは、まさに私のキャリアのハイライトの一つです。
マリリンさん、あなたの夫である我々の伝説の実況アナウンサー、デーブ・ニーハウスの遺志を継いでいただき、ありがとうございます。
My, Oh, My!(デーブ・ニーハウスの真似)
リック、Holy Smokes!(リック・リズ、マリナーズ専属アナウンサー。口癖が「Holy Smokes!」)、ここに来てくれてどうもありがとう。
喜ばしいことに、私の妻の弓子もこちらにいます。この栄誉は彼女なしには達成できなかったでしょう。この瞬間までの道のりにおいて、彼女は私と共にすべての困難に立ち向かってきました。
長年の通訳者のアラン・ターナーさんに感謝します。ここに彼の家族がいることを喜ばしく思います。彼らは私のキャリアすべてにわたって大きな支えになってくれました。
また、長年にわたって私に多大な支援をしてくれた他の多くの人たちにも感謝しています。私の最初の監督である、ルー・ピネラが今夜ここに来られなかったことを残念に思います。私のここでの最初の思い出の1つは彼によって作られました。
初の開幕戦に勝利してクラブハウスに戻ると、ルーは私のここ(頬を指さしながら)にキスをしたのです。監督がベタベタのキスをしてきました。日本ではあり得ないことなので、衝撃を受けました。正直なところ、彼が怖かったです。もしこれがアメリカの習慣なら、私はここで上手くやっていけないかもしれないと思いました。
116勝した時のことを覚えているでしょう。監督から116回もキスされる準備はできていませんでした。ありがたいことに、私は続けてくることができました。そうできたことを嬉しく思います。
現役を引退してからも、野球とシアトルは私の心の中にあります。
野球は永遠に私の魂であり、私の使命は、選手とファンの両方がこの特別なゲーム(野球)に満足するようにお手伝いをすることです。
現在、スタントン会長の特別補佐として、スプリング・トレーニングやシーズン中に選手と一緒に仕事ができることを光栄に思っています。私は今でもほとんどの日にマリナーズのユニフォームを着ていて、それを誇りにしています。選手たちには、ベストになるために私が共に戦っているということを知ってほしいです。
私がシアトルに来たのは27歳の時でした。アメリカでのキャリアが19シーズンも続き、今でもシアトルにいるだなんて想像もできませんでした。
それを踏まえて、現役の選手たちに言いたいのは、君たちの未来にも想像がつかないような可能性があるということです。だから、自分の限界を決めることなく、自分のベストを尽くし、それを受け入れてみてください。
日本から来たやせっぽちの男がこのユニフォームを着て戦い、そして今夜皆さんの前に立って名誉を受けることができるわけですから。あなたにもできないはずはないのです。
もちろん、困難と挫折に直面することもあるでしょう。私も毎年直面していたのでわかります。
自分自身を制限せず、日々の課題を克服する欲求と情熱を見出さなければなりません。それが、自分の可能性を最大限に引き出す方法なのです。そうしたら、想像もつかないようなことを成し遂げることができます。
そして最後に、シアトルの素晴らしいファンの皆さんへ。
21年前の初戦、新人選手だった私に大きな声援を送り、それを決して止めることはありませんでしたね。
2018年に私が戻ってきたとき、まるで私が去ったことがなかったかのように声援を送ってくれました。あなたたちが私を迎え入れてくれた情熱は、私の心に響きました。私のキャリアの中でも最高の思い出であり、この感覚を忘れることはないでしょう。
シアトル・マリナーズの一員として、皆さんのためにプレーできたことは、私にとって最大の名誉です。これからもファン、マリナーズのためにベストを尽くします。ありがとうございました。
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前日に殿堂入りのセレモニーでのスピーチの準備について会見で、「野球の準備とは比べられないくらい胃が痛いね。そのことを考えると。2回目の胃潰瘍になるかもしれない(笑)」とのことでした。
■イチローさんの主な成績
10年連続ゴールド・グラブ賞:2001年~2010年
10年連続オールスターゲーム出場:2001年~2010年
シルバースラッガー賞:2001年、2007年、2009年
首位打者:2001年、2004年
盗塁王:2001年
10年連続シーズン200本安打:
1シーズン最多の262本安打を記録:2004年
マリナーズでの成績:2542本安打、打率.321
本日も私のブログを読んでいただき、ありがとうございます。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。