尾崎紅葉さんが書いた「金色夜叉(こんじきやしゃ)」に登場する、結婚相手のお宮を貫一が熱海の海岸で蹴っ飛ばすというときの貫一のセリフ、
「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」
です。
金色夜叉は、「前編」「中編」「後編」「続金色夜叉」「続続金色夜叉」「新続金色夜叉」の6編からなっているそうですが、私は読んだことはありません(・・・いばって言うことではありませんけど)。
執筆中に尾崎紅葉さんが亡くなったため「未完成」。未完成と言えば、フランツ・シューベルトさんが作曲した交響曲第7番ロ短調、ピョートル・チャイコフスキーさんが作曲した交響曲第7番変ホ長調も有名です。
金色夜叉は尾崎紅葉さんが亡くなったあと、作家が書き継いで、「終編金色夜叉」や「続金色夜叉」「金色夜叉終編」が書かれています。
でも、やっぱり私は読んでいませんが。
高等中学校の学生の間貫一(はざま かんいち)の許婚(いいなずけ)である鴫沢宮(しぎさわ みや(お宮))は、結婚を間近にして、富豪の富山唯継(とみやま ただつぐ)のところへ嫁ぐ。
高等中学校の学生の間貫一(はざま かんいち)の許婚(いいなずけ)である鴫沢宮(しぎさわ みや(お宮))は、結婚を間近にして、富豪の富山唯継(とみやま ただつぐ)のところへ嫁ぐ。
それに激怒した貫一は、熱海でお宮を問い詰めるが、お宮は本心を明かさない。貫一はお宮を蹴り飛ばし、復讐のために、高利貸しになる・・・。
というお話です。
さて、この「来年の今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」というセリフですが、原作はこのセリフではないとのこと。原作には、
「吁(ああ)、宮(みい)さん。かうして二人が一処に居るのも今夜ぎりだ。お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜ぎり、僕がお前に物を言ふのも今夜ぎりだよ。一月の十七日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は、貫一は何処(どこ)でこの月を見るのだか!再来年(さらいねん)の今月今夜・・・十年後(のち)の今月今夜・・・一生を通して僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!可いか、宮さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になつたならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、月が・・・月が・・・月が・・・曇つたらば、宮さん、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに泣いてゐると思つてくれ」
というセリフを舞台や映画用として簡略化したとのことです。
さてさて、金色夜叉が新聞紙上で連載が始まったのが1897年1月1日。連載が終わったのは 1902年5月11日。約5年5ヶ月の連載期間です。
寛一とお宮の場面が1月17日ですから、この5年間のどこかの1月17日。
いまは便利なものでして、過去の月齢までわかるので調べてみますと・・・、
1897年1月17日(日曜日):月齢13.9(十五夜で満月に近い月)
1898年1月17日(月曜日):月齢 24.3(有明月とも呼ばれる明け方に残る細い月)
1898年1月17日(月曜日):月齢 24.3(有明月とも呼ばれる明け方に残る細い月)
1899年1月17日(火曜日):月齢 5.2(夕月でほぼ上弦の月)
1900年1月17日(水曜日):月齢 15.5(立待月で満月の翌日)
1901年1月17日(木曜日):月齢 26.1(暁月と呼ばれる明け方の月)
1902年1月17日(金曜日):月齢 7.2(弓張月と呼ばれる上弦の月)
です。
岩波文庫の金色夜叉の表紙に満月のようなお月さんが描かれているということですので、熱海のこの場面は1897年1月17日と推測できます。
また、この熱海の場面は前篇第8章にでてきますので、やはり1897年1月17日で推測できそうです。
ちなみに正確な天気はわかりませんでした。そもそも、翌年から貫一とお宮がどこで暮らしていたのかは私は知らないですし・・・。
本日も、拙文最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。
皆さまにとって、今日という日が昨日よりも特別ないい日でありますようにお祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。それではごめんください。