Fujimi らうんじ

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旧開智学校

2010年02月22日 | Weblog

松本にある旧開智学校をぶらぶら歩いてきた。

松本市といえば「松本城」。別名:カラス城は入り口付近で補修工事中でした。

明治初期、この二の丸に長野県初めて小学校があったそうです。

開智学校校舎正面。「本日、休館日」札がありますが開園していました(ややこしいですね!)

開智の由来;「身を修め、智を開き、才芸を長ずる」明治5年8月学制発布の前日に公布された「被仰出書」の文中からの取り入れたようです。

どこかの公館を思わせる、立派な階段です。左側の階段が磨り減っています。約90年間使用された証でしょうか?

桟唐戸の彫刻。簡単に言えば廊下扉に施された彫刻作品です。手が込んでいます。

明治9年4月(1876)竣工され、工費は1万1千円(現在価格約5500万円)

現存する明治時代の学校校舎工事費は

明治08年10月      津金学校  山梨県北杜市(須玉歴史資料館) 1,662円
明治08年12月     睦沢学校  山梨県甲府市武田神社に移築 6,098円50銭 
明治08年12月     中込学校  長野県佐久市 工事費6,098円村内有志の募金
明治09年04月     開智学校  長野県松本市 工事費11,028円多くが個別献金
明治10年       八幡東学校 滋賀県近江八幡市 1,877円
明治11年05月     尾県学校   山梨県都留市 1,200円
明治11年09月     格致学校  長野県坂城市 1,381円

開智学校は当時としては破格の工事費です。その7割が献金、3割は古材使用。

 

ステンドグラスは外国からの輸入品。ギヤマンでしょうか?

一階から二階への「曲がり階段」。26センチの足では半分しか踏み込めません。

松本城の天守閣階段より狭く、急な階段です。当時子供は凄いですね。

廊下にある天井照明。当時の大工さんの心意気が感じられます。

手前:現在の開智小学校、奥:旧開智学校。

校舎は女鳥羽川沿いに開智学校があり、昭和36年に移転されたようです。

長野県=教育県と言われるが明治初期に多くの学校を建てた原動力は知事さんでしょうか?

教育権令(ごんれい)(知事)=永山盛輝。薩摩出身で教育普及にかける意気込みは尋常でなかったようで地域教育巡回でモデル授業を実施、村民に学校のすばらしさを訴えた。

「立身出世したいなら教育が1番、授業料はそのための先行投資」と説いてまわったそうです。

明治8年の統計だと就学率 全国平均35%。

松本のある筑摩県は656校、72%でダントツ。
2位は隣の旧長野県で339、55%。

信州では「親より先に子供が文明開化した」と言われたそうです。


 

 

 


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