浜坂 からの帰路、
余部橋梁 (あまるべ きょうりょう)
に立ち寄りました。
浜坂から車で約20分 ・・・
2010年に
コンクリート橋梁として生まれ変わった
現在の鉄道橋は2代目です。
初代は、
明治45年に完成した鉄製の橋でした。
1970年に始まったJR (当時は国鉄) の
『ディスカバー ジャパン』 ・・・
1978年 山口百恵が歌う
♪いい日旅立ち♪ をCMソングに使い、
このキャンペーンは
一気に盛り上がりました。
日本にはまだ知らない風景がある ・・・
それを探しに出かけよう ・・・
Discover Japan
そう、『日本を発見しよう』 ・・・
人々は新しいかたちの旅を始めました。
こうして生まれたムーブメントにより、
余部鉄橋はブームになりました。
1980年代の初め、
撮影でここを訪れた私は、
明治という時代の技術力の凄さと
橋のフォルムの美しさに感嘆したことを
鮮明に覚えています。
いま、鉄橋時代の
ノスタルジーは失われましたが、
天空に架かる橋を思わせる
圧倒的なスケールは変わりません。
さて、山陰本線をつないだ
夢の結晶 余部鉄橋は、1986年、
大惨事の舞台となってしまいました。
JFK-World
餘部橋梁は当時からの鉄道ファンならだれでも知っている悲劇として今でも語り継がれています。
恐らく上から5番目の写真がそうだと思いますが当時の大阪鉄道管理橋の新形和風客車「みやび」
この橋梁で強風警報を無視して進入し、落成から1年もしないうちに落下し下のカニ工場を直撃。車両はほぼ新車状態で廃車になりました。
鉄橋は今では新しくなりましたが当時の遺構が一部残されています・
今回、浜坂で泊まった宿のご主人から、当時の事故の様子を詳しく聞きました。
ご主人の同級生のお母さんがあの事故で亡くなられたとか・・・
そんな訳で、ほぼ40年ぶりに余部鉄橋を訪れ、手を合わせてきました。
私は、熱烈とは言えないですが、鉄道ファンのひとりです。
これからもよろしくお願いします。
名前だけ知っていますが、訪れたことはありません。おそらく、あの世へ行くまで、無縁な場所となりそうです。
でも、貴方が織ってくれる人生模様が、私の心に余韻を響かせてくれます。
ブログを通じ、写真を媒介に、知らない同士が対話するのですね。楽しませていただいています。
堺屋太一関連の記事、興味深く読ませていただいています。
私も、彼の著書はたくさん読みました。
この後を楽しみにしています。