
マチュピチュの建設を命じた (ほぼ史実として支持されている )
インカ帝国 9代皇帝パチャクテクの時代に、
インカ帝国は最盛期を迎えます。
北はコロンビアから南はアルゼンチンまで、
パチャクテクが支配下においた広大な領地は、
「Camino Del Inca インカ道 」 で結ばれていました。
その総延長は4万kmにもおよぶといわれています。
「インカ道 」 とは、
主に山岳地帯を縫うように張り巡らされた交通網です。

健脚であったインカの人々はこの 「インカ道 」 を、
一日におよそ100km ・・
日本でいう飛脚 (チャスキと呼ばれた ) のような職業者は
200km以上移動したと伝えられています。

遺跡を発見した時、ハイラム・ビンガムが名前を尋ねたところ、
地元のガイドは背後にそびえる山の名前を答えました。
その山の名前こそが
「Machu Picchu マチュピチュ 」 です。
ちなみに、 「マチュピチュ 」 とは 『老いた峰 』 を意味します。

『老いた峰 』 と名づけられたこの山中にも
「インカ道 」 があります。

途中に関所または休憩場所のようなものが確認出来ます。

「インカ道 」 はマチュピチュ遺跡につながっています。

角度を変えて見ると、

「インカ道 」 が
マチュピチュ遺跡に行き当たっていることが明瞭です。

「インカ道 」 からマチュピチュ遺跡はこんなふうに見えます。
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