9月11日(水) NY
朝、5:30に起きて、グランド・ゼロに向かう行進に参加。眠い。暗い。人が少ない。ちょっとすごいかなと思ったけど。疲れる。ひたすら南に歩く。人が多い。中には、入れそうにない。8:47ぐらいになっても何も聞こえてこない。がっかり。少し歩いて、自由の女神に向かう。風が強い。思ったより混んでいない。海から見るマンハッタンはアメリカな感じ。島を30分歩いて戻る。地下鉄でホテルへ。地下鉄がまだよく分からない。歩いて、エンパイヤステートビルへ。高いところから見るのも良かった。8:00から、ジャニス・ジョプリンのミュージカル。英語で全然分からない。ライブだけ楽しむ。ミュージカルっぽくない。なぜか (日本では9月18日配達)
9月11日(水)#2 NY
2人で、$57(学生)。22:30タクシーでホテルにいってから、シーフード・レストラン。ロブスターがうまい。初めて“Great”と言う。帰ったら12:00をまわる。寝る。
【同行ノート】
*ニューヨークに着いてから、ずっと、ニューヨーク・タイムス、USAトゥディ を見ていた。あるいはローカル紙やフリーペーパーにも気をつけていた。9月11日の1年目に、ニューヨーク・グランドゼロにいたいと思っていた。そしてニューヨークで行われるメモリアル・イベントのどれかに参加したいと思っていた。一番わかりやすく整理して提供してくれたのが、DAILY NEWS だった。
*10日の夜、ヤンキース・スタジアムから帰ってから、寝る前に私は息子に伝えた。
“明日は、9月11日だ。その時間にグランドゼロをめざす、市民の行進と一緒に歩こう。明日は5時起きだ”。郊外5方向から、グランドゼロをめざす行進のひとつに参加するこにした。
*夜は明けていない。窓をあけて、かすかなバグパイプとざわめきを感じ息子を起こした。予定では、ブロードウェイの北端を2時に出発した行進の、ホテル近くのタイムス・スクエアの通過時刻は5時48分と予定されていた。先頭にバグパイプ隊。市民の自由な行進があった。まだ、夜は明けない。私らもくわわった。
*私らふたりは、黙って歩いた。街はごったがえしてきた。そのまま、マンハッタン島の南端へ。バッテリー公園に、世界各国の国旗がはためいていた。日の丸はなかった。アメリカと共に軍隊を出している国々のようだった。私らはそのまま、自由の女神に向う船に乗った。自由に向う船だなと思った。
*ここから見えていたワールド・トレード・センターのツイン・タワーは、今、見えない。この日、街中に星条旗が掲げられていた。そして全て半旗である。追悼の日である。
*いったんホテルに帰り、一休みした。そして夕方、もう一度、街に出た。今夜はこの旅の、とうとうアメリカ最後の夜になった。
*今夜もまた、グリニッチ・ビレッジに足が向いた。ワシントン広場の人の集まりは、手にロウソクの火。ニューヨーク中でこの夜、追悼の集まりがあった。
*私らは、小さな劇場で行われている、ミュージカル“LOVE,JANIS”を見ることにしていた。1960年代の後半に、力強く、短く生きた、ロック歌手・ジャニス・ジョプリンの生涯もまた、私ら世代に強い印象を与えていた。