青年の家跡地を公園に

さいたま市浦和区岸町3丁目からの発信です

調地域”話題の広場”

2007-06-21 13:04:48 | Weblog
JR浦和駅から10分足らずのところ、さいたま市浦和区の中心街からほど近いところに旧中仙道に接して調神社・調公園があります。この一画を東・南・北の三方から取り囲むようなかたちで、私の住んでいる調地域があります(住所としては岸町3丁目・4丁目にあたります)。この地域にまつわる色々な拾い集めて地域共通の話題を提供したいという思いから投稿しました。今回は第1回ですが、これから話題が見付かればどんどん載せていきたいと考えています。サテ第1回は調公園にまつわる話です。
地元育ちの方に聞いても意外と知らない話なのですが、時は明治7年、征韓論で敗れた江藤新平が佐賀の乱を起こしたその年に、調神社境内に浦和公園が誕生しました。その前年に、<社寺其他名区勝跡を公園と定むるの件>という太政官布告によって東京にも芝・上野・浅草・飛鳥山などの公園が誕生しました。こうした名だたる公園に伍して浦和公園が誕生しました。浦和公園は勿論埼玉県内第1号の公園です。この公園は偕楽園と名付けられ、古い写真では偕楽園という名前で載っています。今ではすっかり落ちぶれ果てて、県内の公園リストからも外されてしまいましたが、日本人の間に未だ公園というものが理解されなかった明治初年という時期に、いち早く公園というものに着目した明治の先人の先を見る目の確かさに脱帽します。この記事はさきたま文庫[調神社」に拠りました。どなたかもっと詳しく御存知の方がおられれば、是非ご教授くださるようお願いします。(川原記)