right time right place

「正しいときに、正しい場所にいる」

うれしいことや、いやなこと。
なんでもとりあえず、必然だと思ってみる。

女子力ってなんなんだろう。

2014-01-10 10:16:44 | 日記


昨日電車に乗っていたときのこと、ひとつのつり革広告と目が合いました。
ある大学の学生募集の公告で、こんな宣伝文句なんです。


「女子力を活かしていのちをまなぶ!」


これは、どういうことを意味し、あるいは伝えようとしているの宣伝文句なんだろうかと、しばし考え込んでしまいました。
まず、ここで書かれている「女子力」とはいかなる「力」のことを言うのでしょう。
また、「いのちをまなぶ」とはどのような具体的学習プロセスのことを示唆しているのか。
それは即物的に生物学を学ぶことを意味するのか、はたまたやや迂回路的に人文学的な側面を経由する学びなのか。
この問いは、「いのち」が宿る場所とは何処であるかという哲学的省察にまっすぐ通じていて、
それだけで十分にややこしいところに「女子力」という中身がいまいちはっきりしないことばを持ってこられたものだから、
ぼくの頭はカオス的混乱の最中にいやが応にも引きずり込まれることになってしまうのです。



…はい、すみません。
こんなこと、考えることじたい時間のむだですね。
なにせ相手は他愛ないキャッチコピーであります。
その仕事は多くの人の目を引くことにのみあって、なんらかの整合的世界観を伝えることにはないわけですから。
その観点で言うと「女子力を活かして」のコピーは立派過ぎるほどにその職責を果たし、
いまではぼくはその大学の名前をなんとなく覚えてしまいましたもの。



ときどき、いやしばしばしょっちゅう、ぼくはこのような行き場のない問いを偏愛的に好んでしまうところがあります。
考えたって答えなんかはじめから用意されていないような、
仮に答えがあったとしてそれがわかってもほとんどなんの役にも立たないような、
なんの価値も意味もない、そんな問いに頭を巡らせるのが、どういうわけか好きなんですね。



この前は、ある文章の中に出てきた「楽観も悲観もなく」という部分を音読していたとき、
「楽観モヒカン」ということばを思いついてしまい、
それからしばらくの間モヒカン頭の楽天的な人が「大丈夫さ~」と楽観的なことばを振り回しているところを想像することを止められなくて困りました。


でも、モヒカン頭の人って、確かに楽観的な性格が似合いますよね。
モヒカン頭には、基本コンセプトとして、楽観性や楽天性が標準装備されていると言えないこともない気がします。
後ろ向きなモヒカンって、喪服で結婚式をやるみたいな、根本的倒錯であるように思えてならない。


しかし、いかんせん広い世界ですから、どこかの国のどこかの共同体では、伝統的野球部が坊主頭を強制されているように、
その成員全員がモヒカン頭を余儀なくされているところだってあるかもしれません。
(というか、もともとモヒカンというのはアメリカの「モヒカン族」がしていた髪型のことなのだから、きっとそういうところがあるのでしょう。)
そういう場所が広い世界の片隅に(べつに真ん中でもいいわけですけど)ひっそりと存在していると仮定すると、
どんな共同体にもその成員の間に性格的なばらつきはあって当たり前なわけだから、
その中にはきっと「内向的なモヒカン」や「悲観的なモヒカン」という人たちも暮らしていらっしゃって、
そういった人たちが「モヒカン=明るい」という21世紀的イメージに照らし合わされることでいくぶんかの居心地の悪さを感じておられるとしたら、
そんな短絡的かつ一方的なイメージを勝手に持ち合わせていたじぶんを反省する他ありません。


だって、なにかの拍子にじぶんが温厚なモヒカン族一家の子息として生を受けて穏やかかつ内省的な思春期を送っていたところに、
東洋のよくわからない国から訪ねて来た騒がしい観光客たちに「あ~、モヒカン!」とか言われて、
「あれ、モヒカンなのにノリ悪いね」といった具合でがっかりされてしまったとしたら、
その「モヒカン族的ぼく」はきっと割と傷つくか、少なくともいい思いは決してしないと思いますもの。


だから、「モヒカンすなわち明るく楽観的」というステレオタイプは、あらゆるステレオタイプがそうであるように、
無用に人を傷つけたり損なったりする恐れのあるものであると言わざるを得ません。
気の毒な思いをされているモヒカンの皆さん、ぼくはここにそのステレオタイプを20数年疑わず抱いて来たことに、
いくばかの謝辞を述べたいと思います。
すみません、ごめんなさい。



とまあ、こんな具合に、こんな無駄なことならぼくはいくらでも考えていることができます。
まったく、何の自慢にもなりませんね。
今日はほんとうは「まちがうこと」について書くつもりだったのですが、
書き出しをまちがえ、展開をまちがえているうちにモヒカンの話で終わってしまいました。


次こそはきっと、まちがわず「まちがうこと」について書く予定です、おそらく、たぶん、きっと。


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1 コメント

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Unknown (こさ)
2014-08-03 16:29:04
あの、
もう更新しないんですか?

あなたの文章、読んでいてとても心に穏やか目にも穏やか。

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