う~ん、なんかとても、気持ちいい!
ひっさしぶりな、この感覚。
よっ、待ってましたよ、心から。
9月はむやみに忙しくて、心が荒んだまま日々を過ごしていました。
働くことを、教えることを、耳を傾けることを、ぜんぜん楽しめない。
乾いた心のまま職場に身を置いて、仕事に想いをこめられなくて、毎日後悔しながら帰る。
来る日も来る日もそんな感じが続いたんです。
もう、ホントに、嫌だったし、苦しかった。
そんな9月が終わる今日、仕事終わりに同僚を誘って思ってることを話すことに。
普段そんなことしないのに、今日はなぜだかそうしたくなって。
今の自分への不満、会社への違和感、抱えているモヤモヤ。
包み隠したり、形を整えたりしないで、ありのままをありのままの言葉で。
こういうこと、昔は絶対できなかったな。
「愚痴を言う」とか、ありえないと思ってました。
そんなの弱い人間がする無意味なことだと思ってた。
でも、働くようになって自分のことを知るにつれ、私もれっきとした弱い人間だって分かりました。
卑怯だったり、ずるかったり、卑屈だったり、よくよくするする。
そういう弱いところ、ダメなところを「込み」で自画像を描き直すみたいなことを、今やっている気がします。
「そんなのオレじゃない」と否定してみたところで、オレですからね、事実。
弱さやダメさを取り込めたことで、人と繋がりやすくなった実感があります。
強さや立派さでは、人は通じ合わない。多分、それらは「カッチリ」し過ぎてるんです。
弱さやダメさみたいに、「やわらか」な部分で人は通じ合う。そう思います。
話しているうちに、気持ちが変わっていきました。
実は相手も同じようなモヤモヤを抱えていることを話してくれて、お互いの話が深まっていって。
仕事の忙しさとか、人手の足らない環境とか、そういう「外側」の部分に原因があると思い込んでた私の苦しさは
「自分ががんばれてない」という「内側」の不調から生まれてるんだって気付けたんです。
私たち「他人の目」はよく気にするけど、「自分の目」もありますよね。
「自分の目」に自分がどう映っているか。
「自分の目」に写る自分は輝いているか。
「他人の目」より前に、「自分の目」は自分を見てます。
苦しかった9月の間、「自分の目」が私を見る目線は冷ややかでした。
「自分の目」に写る自分がカッコ悪かった。
これが苦しさの根っこだって、分かったんです。
それも、理屈で理解した感じじゃなく、心の真ん中に入ってきた感じで。
こうして文章に書き起こすとなんてことない話かもしれません。
よくある人の悩みが、よくある形で解消しただけかもしれない。
でも、こんな風に気持ちが変わっていくことって「よくあること」じゃないと思う。
実際にそれを感じた生身の人間として、そう思います。
それは、一人ではきっとできなかった「小さな奇跡」なんです。
「愚痴でも言ってやろう」と思って入ったカフェを「がんばるぞ」って気持ちで出たとき、「人と人」のすごさを思い知りました。
今の自分がカッコ悪くて苦しいなら、カッコよく生きてみればいい。
誰よりも働いて、笑顔を配って、そういう自分に変わればいい。
他人も世界も変わらなくても、自分はすぐに変えられる。
力んだりせず自然に、そういう気持ちになったんです。
モヤモヤが薄まっていって、希望がじんわりと満ちていくような、そんな気持ちに。
二人してビックリでした。
「前を向こう!」って思って話し始めたんじゃなかったのにね。
でもきっと、いやかなり切実に、「前を向きたかった」んだと思います。
仕事帰りにカフェなんて普段しない行動を採ったのも、きっとチャンスを探していた無意識の導きで。
「一人じゃできない」ってことも、無意識は知ってたんでしょう。
胸のうち、話してよかった。
弱さやダメさをさらけ出し合って生まれる強さがあるんだってこと、分かりました。
人と人のかけ合わせ、バカにしちゃダメですね。
トンネルの出口は、気付かないくらい近くにちゃんとありました。
「一人で見る夢はただのファンタジーだが、一緒に見る夢は世界を変えられる。」(ジョン・レノン)