9月最初の日曜日。
こちらでは数少ない秋晴れ!と言っていい、清々しい気候です・・・が、私は引きこもり。
試験が近いというのも有ります。
まぁ基本的には家では集中できないので(こういうお天気の日は下のレストランが大賑わいということもありますが)
勉強することはないのですが、最近少々コンタクトレンズの調子が良くなく、今日は一日目を休めようということも有って家にいることにしたというわけ。
更に最近どうやら眼鏡が合わなくなってきた・・・
老眼かしら・・・
どうも長時間眼鏡をかけていると疲れるなぁ、と思っていたら、左目の視力が落ちているみたい。
更に肩こりではなくここ数日肩が痛い!
ということで運動した方が本当は良いと思うんですけどね。
四十肩かな?
あ~困ったもんだ・・・
さて、時間がかかるのでどうしようかと思ったけど、既に忘れつつあるので、先週のお話を始めますね。
「オランダはどうした!」と怒られそうですが、試験が終わったら時間ができるので、もう少しお待ちくださいませ。
いやいや、こちらに住んでいても、どこかに行くときは天気ばかりは予想できないもの。
電車やホテルを事前に予約してしまうので、天気が悪くても出かけざるをえなくなる。
特にこれから冬にかけては雨も増えるので、その点が少々心配だ・・・
というのも実は昨日南(特にナポリ)にオレンジくらいの大きさの雹が降ってかなりの被害が出たんです。
オレンジですよ、オレンジ。
今年は猛暑だけでなくこの手の災害が本当に多かったのですが、また来ました・・・
専門家が言うには、高気圧と低気圧の差が激しいことに有るらしいですけど、昨日の雹では車や家の窓ガラスが粉々に割れていました。
暑い暑いと言っても、ローマに行ったのが先週で良かった・・・
フィレンツェは雨、降らなかったんですけどね。
え~先週ですが7時半のItaloに乗ると9時前にはRoma Tiburtunaに到着するので、日帰りでも十分Romaを満喫できるわけですが、
今回はRomaの郊外に行くので泊まりです。
なぜ急にRomaに行ったかは既にお話しした通り、というこで早速出発進行…って前置き良いから早くしろって?
目的のPalazzo Colonnaの最寄りの地下鉄駅がここのそばだったので、もう10年以上ぶりにSan Pietro in Vincoliに寄ることに。
しかしここ丘の上。
いや~今回の旅は結構坂が多くて、いつもの運動不足が堪えましたよ…
今知ったけど、ここってSan Pietroが牢につながれた時の鎖を祀っているからVionoliなのね。
主祭壇の下に収められていました。
聖遺物を守っているブロンズ製の扉はAntonio el Pollaioloと言われていましたが、のちの調査でCaradossoという人の作だと考えられています。
vincoloを”鎖”という意味で使うことは稀ですが、は固い絆とか拘束力と辞書には出ていますね。
もともと5世紀にたてられたもの(最近の発掘調査ではそれ以前から有ったらしいですが)が15世紀に再建されています。
ここに来たのは勿論有名なあれを見るためなのですが…
とりあえず入り口を入るとすぐに気になるものが。
残念ながら予習して行かなかったのですが、これが重要なもので有ることは分かります。
これが今まで勉強してきた成果なんだよなぁ…ってただの感?
la tomba di Antonio e Piero del Pollaiolo(アントニオとピエロ・デル・ポライオーロ兄弟のお墓)
フレスコもどちらかが描いたものだそですよ。
アントニオとピエロ・デル・ポライオーロ兄弟って誰?と思った方のために・・・
兄弟はルネサンス時代に活躍。フィレンツェ生まれ。
兄アントニオは画家、彫刻家、版画家・・・の上に金細工もやったというなんでも屋さん。
代表作は
ウフィツィ美術館収蔵の「ヘラクレスとヒュドラ」かな
これすごく小さい作品だったよね?
そして弟のピエロは画家。
ミラノのMuseo Poldi Pezzoli所蔵の「ある女性の肖像」が代表作かな?
二人とも人体解剖学に非常に興味がある、実際解剖もしていたと言われている。
さて、教会ですがずずいと中に入りましょう。
左側廊にはずらっとお墓が並んでいますが、特に目を引くのは丁度教会の中央あたりにある
このモザイクは7世紀のもの。
何気なしに写真を撮っておいたのですが、これ実はすごく貴重なものだったSan Sebastianoの年老いてひげを生やした様子を描いて(?)唯一の作品なんです。
ってそれを知って「えっSan Sebastianoなの?」と私もびっくりした。
なぜそれが珍しいかって?
San Sebastianoというと大抵
こんな感じで体中に矢が刺さった状態で描かれています。
これはキリスト教迫害のため、ディオクレティアヌス帝によって柱に括り付けられた状態で、矢を射られて殺されるところを描いているわけですが、これだけの矢にいられても彼は死ぬことはなかったんですね。
この矢の跡がまるでペストの跡と似ていることから、中世では彼はペストの守護神、また兵士たちの守護神としてあがめられ、このテーマは大変人気がありました。
ちなみにこれはPeruginoの作品ですが、この作品には非常に思い入れが有るんですよね。
もう何度も話したと思いますが、私がイタリアで最初に見た展覧会がPeruginoだったんです。
この作品も来てたのかなぁ???
もう1つ思い出の作品をご紹介。
プロフィールにも貼ってあるこれ。
これPanicaleというPerugia近郊も小さな村にあるSan Sebastianoですが、
2005年、そう丁度10年前の今頃です。
恩師がこの作品について本を出版して、それに関する講義が聞きたいあまり(いや、別にも理由は有ったのですが)滞在を延長した、という運命(?)の作品。
懐かしいなぁ・・・あれから10年か。
あの頃に比べたら少しは成長したのかしら、わたし?
ただ歳を取っただけ???
で、このSan Sebastianoこの時は死んでいないんですけど、その後長く生き延びたわけでおなさそう。
それなのにこんなモザイクが残っているなんてねぇ・・・
すごいなぁ。今更ちょっと感動。
やばいやばい、感だけに頼っているとうっかり見逃すぞ。
実際右側廊のGuericinoのSant'AgostinoとDomenichinoのcardinale Margottiの肖像画は見たけど、写真がないから重要だと思わなかったのね。
まぁいいや、どんどん奥へ行きましょう。
主祭壇に到着。
聖遺物がちょっと低くなった主祭壇の下に厳かに祀られております。
その上は
こんな感じでフレスコ画が描かれていますが、これが誰の作品か・・・って見当たらない。
この下の方は…やっと探し出した。
この教会確か全然説明書きもなかったのよねぇ。
元の画家はJacopo Coppi detto il Meglio フィレンツェの出身でマニエリズムの画家ですね。
その後1706年Giacomo Carboniによって修復されています。
向かって左
San Pietro in carcere e sua liberazione(1577)
サン・ピエトロの投獄と自由
Il patriarca di Gerusalemme Giovenale consegna le catene di Pietro ad Eudocia
エルサレムの総大司教Giovanaleピエトロの鎖をEudociaに届ける。
Eudocia dona le catene al pontefice: (1577)
Eudociaが鎖を教皇に届ける。
ほっ、何とか探せて良かった良かった。
そしてこの右側にこの教会一番の見どころMichelangeloが造ったGiulioIIの墓が有るんですね。
Mosè(モーゼ)
1505年法王ユリウス2世(GiulioII)から墓の制作を依頼されたミケランジェロは、建築と彫刻が融合した一大モニュメントを計画した。
しかし法王は墓の建設に興味を失い、計画は間もなく中断。
8年後ようやくモーゼと2体の奴隷像(ルーブル美術館収蔵)が彫られたが、1545年に墓が完成した時には、最初のミケランジェロの構想とは全く異なるものになっていた。
律法の記された石板を片手に持ち、あらゆる困難を乗り越えてイスラエルの民を「約束の地」へ導こうとした不屈の意思をみなぎらせるモーゼ像には、ミケランジェロが墓の制作にかけた意思が感じられる。
モーゼの両脇のレア(Lia)とラケル(Rachele)はミケランジェロが手掛け、
弟子のRaffaello da Montelupoが完成させた。(地球の歩き方から)
この8年間の間にシスティーナ礼拝堂の天井画を描いたりしていますからねぇ。
法王は1513年2月21日に亡くなりますが、亡くなった時は墓はできていませんでした。
完成するのは死後ほぼ1世紀後ですからねぇ。
ということで遺体は防腐処理を施されまずSan Pietro教会に立派な掛布で覆われた棺に納められ埋葬されます。
しかしこれが原因で1527年Sacco di Roma(ローマ略奪)の時に墓が荒らされてしまいます。
残された少ない骨は1510年2月12日(命日ですね) Cappella Basso Della Rovere in Santa Maria del Popoloに移され、
その後ようやくSan Pietro in Vincoliの墓に落ち着き、今は静かに眠っている…かな?
毎日大勢の観光客がやってきて写真をバシャバシャ撮ってますからねぇ…
ここは他の場所と違って落ち着いてミケランジェロの作品を見られるのは良いですね。
しかし、以前見た時はもっと大きかった気がしたんだけどなぁ…不思議です。
そして最後はこの天井。
こちらはジェノバの画家で Giovambattista Parodiが描いたil Miracolo delle catene(鎖の謎)
とうことでここらPalazzo Colonnaに向かいます。
10時のガイドツアーに参加しますよ~
p.s.今日なんか文字のフォントがおかしいんですよね。お許し下さい。
あれ?そうでもないのかな???
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