いつも有益なコメントを頂く山科様のブログを拝見していて、Sputnik日本というサイトを見たら、記事下に興味深い記事が出ていた。(記事のルーベンスの競売の件も気になるけど、私も同感で、ルーベンスと言っても、ほぼほぼ工房制作だからねぇ、という感じ。)
既に昨年の話だけ、ローマのDomus Aurea(ドムス・アウレア)、ネロ帝の黄金宮殿から、新しい部屋が発見された、とのことだった。
ドムス・アウレアは、64年に起こったローマ大火の後に、ローマ帝国第5代皇帝ネロがローマ市中心部に建設した敷地が50ヘクタールとも150ヘクタール(ちなみに東京ドームはおよそ4.7ヘクタール)もあると言われる広大な宮殿で、このためネロは市民の大ヒンシュクを買うことになった。
コロッセオに隣接していて、Parco del Colle Oppio(オッピオの丘公園)内に有る。
ネロ帝の死後、104年に宮殿は火災に遭い、その敷地は次々と公共建築用地に転用され、されたことが原因で歴史の舞台から消えた。
宮殿の全貌は、文献から想像することしかできず、詳細に関してはいまだ分からない部分が多い。
しかし、徳川埋蔵金のように(笑)、人の興味は絶えなかった。
1480年代(あるいは1493年?)には、オッピウス丘陵よりトンネルを掘って内部に侵入する試みが始まり、1490年代には、画家たちが地下歩廊から各部屋の装飾を見学することが可能になった。
この宮殿跡が後世の与えた影響は絶大で、ここに描かれていた装飾が所謂「Grottesto(グロテスク)」
およそ1500年の間、土砂に埋もれていた部屋は地下洞窟(grotto)の様相を呈しており、フレスコや繊細なスタッコによるローマの壁面装飾は一大発見であった。
ラファエロは、グロテスクの柄を用いてローマのバチカン宮殿のLoggia di Raffaello(ラファエロの回廊)を装飾した。
この装飾はラファエロ・サンティとその弟子の装飾画家たちによって一大ブームを巻き起こす。
その後1780年代にはフランスフォンテーヌブロー宮殿において、ロッソ・フィオレンティーノとその弟子たちが、帯飾り(ストラップワーク)の装飾形式とグロテスクを組み合わせ、石膏や木の塑像での革紐の描画をグロテスクの1要素とすることによりグロテスクの語彙を豊かにし、その後グロテスク装飾はスペインからポーランドまで影響を与えた。
またすぐに寄せ木細工に使用されたり、1520年代後半からは(特にウルビーノで生産された)マヨリカ焼きや書物の挿絵やその他の各種装飾にも出現するようになった。
その後、バロック期にはなりを潜めていたグロテスクも、新古典主義が起こると再熱。
当時ポンペイやその他のヴェスヴィオ火山周辺の遺跡が発見され、発掘された古代ローマの作品から影響を受けた作品が一大ブームを起こす。
その後もグロテスクは帝政様式やヴィクトリア朝時代でもますます重厚になりながら用いられ続け、18世紀イギリスの建築家ロバート・アダムはグロテスク風模様を洗練させたゴシック装飾を得意とし、「アダム・スタイル」と呼ばれた。
ドムス・アウレアは、第二次世界大戦後の長期間をかけた修復工事のあと、1999年から徐々に一般に公開されるようになっていたが、2005年12月大雨で被害が出て再び閉鎖された。
私がここを訪れたのは、確かまだ旅行者だった2002年くらいだったかな?
近年は時々公開されていたようだが、この6月からまた修復のため期間未定で閉鎖されているようだ。
詳細:https://www.coopculture.it/
2019年5月新たに発見された「秘密の部屋」は、2018年から修復中だった「sala Achille a Sciro」に続く部屋で、ケンタウロスやパンなどのギリシャ神話に関する絵で彩られていたと語っていて、「この発見は『紀元60年代のローマの雰囲気』を垣間見ることを可能とするものとしており、部屋はとても華やかで、保存状態も非常に良好だ」と研究者は語っている。
その後「秘密の部屋」は「Sala della Sfinge(スフィンクスの間)」と名付けられた。
ドムス・アウレアの発掘された部分はほんの一部に過ぎず、今後も新しい「秘密の部屋」が発見されるかもしれない。
その内部の動画発見!
https://www.youtube.com/watch?v=wBSZuh5GsEw
修復されていたsala Achille a Sciroの様子は、参考記事の動画をご参照下さい。
https://www.ilmessaggero.it/roma/news/
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