イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

祝5000日とCerquetoのSan Sebastiano(聖セバスティアヌス)

2020年05月05日 16時11分29秒 | イタリア・美術

本日、2020年5月5日、このブログを初めて5000日を迎えました。
5000日⁉
単純に計算して、13年と半年。良く続いたなぁ…
これもひとえにこんな大したこともない、ブログを読んでくださる皆さんのおかげです。
感謝、感謝。

で、記念すべき5000日目の話題は、と言いますと、まだこのブログを始める前に遡りたいと思います。
ここ数日、イタリアに留学し始めた頃からの膨大な写真を整理していたのですが、なんと一部の写真が消去されていたんです。(もちろん自分のせいですが)
数年前、データーを大量に保存していた外付けHDDを誤ってフォーマットしてしまったのが大きな原因。
更に、DVDにも落としておいた写真のデータが大量に読み込めない状態になっていて…
友人にこの話をしたら「また写真を撮りに行くきっかけができて良かったね」となんともポジティブな返事を折らいました。
イタリアでは一部の規制が緩和されたようですが(変わらず家にいるという人もい多いようですが)、緊急事態制限が延長された今の状況では、いつまた海外に行けるかは分かりませんが、今はおとなしく家で出来ることをしましょう。

以前も言ったと思いますが、この状況下で唯一良かったことは、恩師の講義が日本からでもネットで見られること。
その講義を聞きながら、この話を5000日の記念(?)にと数日前から考えていたのでした。

このブログでも何度も言っていますが、私がイタリアで美術史の勉強をしようと思ったのは、恩師のL先生の授業を聞いたからなのですが、先生は私がペルージャ外国人大学に通い始めた当時、Cerqueto(チェルクエ―ト)という、Perugia(ペルージャ)から車で30分くらいの小さな町に有る、とある作品について授業で熱弁をふるっていました。一般的な「美術史」の講義ではなく、教授の好きな話題の上、イタリア語を習いに来ている外国人相手なのに早口だし、なまっていて(失礼!!)最初は何言ってるのか全然分からなかったのに、いつしか、その話に引き込まれていました。

その作品のことはさておき、このCerquetoという街は、今ではなんの変哲もない、郊外の小さな村なのです。そんな村に何でこんな作品が有るの…まぁイタリアにはよくある話ですけどね。
それがこちら

2005年の10月、ペルージャからバスで行ってます。
ペルジーノが描いたSan Sebastiano(聖セバスティヌス)です。
今はSanta Maria Assunta教会の中にあります。

開いてて良かった、と思った気がします。
近くにはこんな碑が有った…ようです。

「ペルジーノがフレスコ画を描いた時、この家に逗留しました。」と書いてあります。
教会の中はこんな感じ。

2番目の祭壇に聖セバスティヌスがいます。
左隣りはTiberiod’Assisiの作品。

「右の2番目の祭壇の空間には、剥がされたフレスコ画のブロックがはめ込まれている。
このフレスコ画は、1779年頃に壊された古い教会の唯一残った装飾の破片である。
絵は入り口の左に建っていたSanta Maria Maddalenaと呼ばれる礼拝堂から来ている。
教会の古い記述によると、ネオクラシック様式に再建させる前、礼拝堂は木製の格子で閉められ、壁で天井から覆われていた。祭壇の壁にはMaria Maddalena、その上にSantissima Trinitàが有った。そして多分、天井や横の壁には聖人と信者がまるで行列のように並んでいるような、“何か美しいもの”(Crispolti 1597, in Teza2001)で飾られていたと思われる。
礼拝堂は、ある信者会によって1478年ペストの災いから救ってくれたことを聖Maria Maddalenaに感謝するために建てられた。
絵の下には、長い碑文と画家の名前、制作年に加え、ラテン語ではなく俗語による制作理由の説明を読み取ることが出来る。
「Cerquetoの民がこの礼拝堂を聖Maria Maddalenaの為に建てました。なぜならペストから彼らを自由にし、この困難から苦しみを取り除いてくれたからです。<中略>ピエトロ・ペルジーノが1478年に描く(Petrus Perusinus pinxit MCCCC゜LXXVIII)」
注文主の献身の目的は、残された破片に描かれたアンチペストで最も一般的な2人の聖人の存在によってより明確に表されている。
一人は体に無数の弓矢傷を負い、柱に縛られた聖セバスティヌス、そしてもう1人は素肌にペストの紅斑が浮かんでいる聖ロッコである。(向かって左。)チュニカを着て、使徒にふさわしい外套を羽織っている3人目(向かって右)の人物は、通常聖ぺトロと考えられる。
破片とは言え、絵はペルジーノの確実な初期作品として非常に重要である。彫刻のような人物の立体感は本物の人間を髣髴とさせ、躍動感はAndrea del Verrocchioの元、フィレンツェの就業時代に身に着けた賜物である。
Balioni(バリオーニ)家の広大な領地の1つとは言え、ペルージャ郊外の村という地理的条件は、さほど重要ではなかったと想像できるが、このフレスコ画を描いた翌年ペルジーノはSisto IV(教皇シクトゥス4世)の命で、「聖ぺトロの天国の鍵の授与(Concezione in San Pietro)」を描くためローマへと旅立つのである。」

ペルジーノはこの時既に教皇に呼ばれるほど、有名で偉大な画家の1人になっていたのに、その彼がこんな田舎(失礼!)の教会のために絵を描いたということは反対にこの村の重要性が浮かび上がってくる、ということになるのかな。
何よりも破片でも残ってて良かった良かった。

ちなみに上の説明は、恩師が2004年にウンブリア州で大々的に行われていた「ペルジーノ展」(この特別展に行った写真とかがないのよねぇ…)にちなんで、書かれた、ウンブリア州内にあるペルジーノの真筆だけを収めたというこの本を訳したものです。
教授の許可もらってないけど著作権の関係とか大丈夫かな?

この時のペストは1476年に収束しています。

おまけ
今日は子どもの日、本来なら柏餅やちまきを食べるところですが、ブームの乗って、疫病退散つながり(?)で地元の和菓子屋さんのアマビエを食べました。


ではでは、次は6000日目指してがんばりますので、応援よろしくお願いします。



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Cerquetoの絵の銘文はどこに? (むろさん)
2020-05-05 21:24:30
サン・セヴェロの記事の方に書いたように、このCerquetoのペルジーノの絵に関してご質問をさせていただきます。

私は元々日本美術(仏像彫刻)からスタートし、その最初の頃に「日本彫刻史基礎資料集成」という銘文・署名を集めた本と出合ったことで、作品に書かれた銘文を特に重視しています。また、西洋美術で初めて買った本が集英社リッツォーリ版のボッティチェリだったので、カタログレゾネ重視という姿勢もこれによって作られました。

さて、その質問ですが、Giunti社Art DossierシリーズのPeruginoに掲載されているCerquetoの聖セバスティアヌスの図版を見ても、どこに銘文が書かれているのか分かりません。イタリア語は読めないのですが、辞書を片手にRizzoliのPeruginoとVittoria Garibaldi著Perugino Catalogo completoの解説文章の単語をつなぎ合わせてみると、現在銘文の文字は失われていて、過去の記録に文字が残されているだけのように思えます。Rizzoliの方には「Petrus Perusino pinxit MCCCCLXXXVIII」と「PETRVS PERVSINVS P./A. MCCCCLXXXVIII」の多少異なる両方の文字が書かれ、一方Garibaldiの Catalogoの方は後者(PETRVS~)の方だけが出ています。現地で実物をご覧になった方として、現在残された壁画断片の部分に銘文の文字があるのか、あればどこの位置なのかをご教示ください。なお、現在は失われてしまったものであっても、過去の信頼できる記録に書かれているならば、その内容が信用できるという例は日本美術にもあります。東博運慶展に出ていた運慶の子息の一人康弁が作った興福寺の龍灯鬼という仏像が、江戸時代の記録に像内にあったという書き付けの文章が書かれているのですが、現在その文書は残されていません。その記録の文章が美術史的に信用できるということで、上記の「日本彫刻史基礎資料集成」にも採用されています。

返信する
聖セバスチャン (山科)
2020-05-06 09:33:20
聖セバスチャンというと、URLの掘り出し話をまず、思い出してしまいます。
疫病退散、疫病退散、、、

まあ、ポルディ・ピッツォーリにあるクリヴェッリ作聖セバスチャンは、あんなに小さいものだとは、実物を観るまでは思っていませんでした。

返信する
追加記事書きました。 (fontana)
2020-05-06 17:19:43
むろさん
私は海外に出て日本美術の良さを知ったくちで、まだまだそちらの方は勉強中なので、色々教えて下さい。

碑文の件、訪れたのが15年も前ですっかり忘れていましたが、ボケた写真に”証拠”が写っていました。ここに写真を貼れないので、改めて追加記事を書きました。

10数年イタリアにいて、本当に色々なものを見て来ましたが、「見ただけ」でそのあとなかなか集中して調べることが出来なかったので、こうして興味を持っていただけると、新たな視点も加わり、自分も勉強のしがいが有ります。本棚の肥やしになっていた本たちも喜んでいると思います。
返信する
確かに! (fontana)
2020-05-06 17:22:15
山科様
コメントありがとうございます。
昨年12月久々にCrivelliの聖セバスチャンを見ましたが、同感です。
この聖セバスチャンは今どこに有るのでしょうか、気になりますね。
返信する

コメントを投稿