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イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Palazzo Vecchioの秘密の抜け道ツアー・・・を始める前に

2014年10月21日 23時14分41秒 | フィレンツェのこと

え~と、突然ですが、ダン・ブラウンのインフェル、読みました?
私は昨年末日本に帰った時、これだけはどうしても読みたくて読んだのですが、あれ前半の舞台がFirenzeだったんですよね。
あれを読みながら、うちの近所だよ~なんて思っていたんですけどね。
あれを読んだ時、気になったのがPalazzo Vecchioの天井裏。
そこから天井のキャンバスを突き破って下の500人の間に落ちてしまうシーンがありましたよね。
あそこって見れるのかなぁ・・・と。
こちらに戻ってきて、友人のガイドさんに聞いたら、時々公開されていると言ってはいました。
ただ、日々の忙しさで、そんなことすっかり忘れていたんです。

ところが今回友人がやってきて、再びインフェルノの話が・・・
そうだたしか最近シークレットツアーの記事を何かで読んだなぁ・・・ということで探してみたら、ありました、ありました。
私が記事を読んでいたシークレットツアーとまさにインフェルノの舞台を巡るツアーが。
ということで友人が直接Palazzo Vecchioに聞きに行ってくれました。
ツアーは要予約。
ツアー数は英語の方が多いみたい。
インフェルノ・ツアーは友人滞在中に空きがなかったので、シークレット・ツアーに参加することにしました。
予約料2€でガイド付き(入場料は別途10€)
ってこれ安いですよ。
所要時間は1時間強でした。

私たちは10時の予約。
一応15分前集合ということで予約をした窓口(切符売り場の左のデスク)で名前を言うとチケット購入のためのメモを渡される。
アルノルフォの塔が一緒になった券が割安で、それを勧められたのでそれにした。
しかしいざお金を払う窓口では「今日は雨が降っているので登れない」と言われる。
あんたたち・・・同じところで働いているのになんなんだ?

待つこと15分以上。
もちろんガイドの遅刻の為。
ちょっと不安になるも、同行者と思われる人がいるので、ひたすら待つ。
10分過ぎたところでガイド登場。
感じのいい女の子だったので許しちゃう・・・っておじさんか?

いざ出陣。
入り口はこちら

あえてどことは言いませんが・・・
中に入ると

あれ?こんな遠くからの写真しかなかった?
この赤い服
これは当時のprioriフィレンツェの執政官の制服
Casentinoの毛織物で出来ていて、すごく暖かいそうです。

Palazzo Vecchio、古いお屋敷というこの名前ですが、最初から”古かった”わけではありません。
これはMedici家の居城がここからPalazzo Pittiに移ったとき、あちらがPalazzo Nuovo(新しいお屋敷)と呼ばれたことから、こちらがVecchioになったとか。
 
う~んここまで書いて気になることがあまりにも多すぎて、やはり調べてから続きを書くことにしま~す。
とここまでが日曜の夜、お気に入りのドラマを見る前に書いたこと。

月曜日、なんと世にも恐ろしいことが起きたんです。
PCが立ち上がらない・・・画面が真っ黒のまま。
私は真っ青!!
ひえ~ここに来てPC故障なんてありえない、いやだ、いやだ~困る、困る。
と一瞬パニック。

結果的には復活しましたが、最近この子ちょっと調子が悪いんです。
お願いだから卒論書き終わるまでがんばって!
そして重要な資料は、バックアップを取っておかないと・・・と切に思った今日この頃です。

さて、昨日から図書館に復活したので、朝Palazzo Vecchioのこと、ちょっと調べてみました。
ガイドの説明が分からないわけではなく、聞いていても、メモをとってもほとんどが右から左なんですよねぇ。

Palazzo Vecchioの建築は1285年、新しいPriori delle ArtiとGonfaloniere di Giustiziaの事務所を作る必要性から生まれたそうです。
Gonfaloniere di Giustiziaは裁判所でしょう、と推察して特に説明しません。
Priori delle Artiの方ですがこちらは説明が必要ですな。

Firenzeには12世紀から13世紀にかけて、芸術や手工業の組合がありました。
それをArteというのですがその中でMaggioreと呼ばれていた組合が7つあります。

Arte dei Giudici e Notai:裁判官、公証人の組合
Arte dei Mercatanti(o di Calimala):商人組合
Arte del Cambio:銀行の組合
Arte della Lana:羊毛組合
Arte della Seta(o di Por Santa Maria):絹織物の組合
Arte dei Medici e Speziali:薬、スパイスの組合ーGiottoなど画家はここに所属していた。
Arte dei Vaiai e Pllicciai:革の組合

この中でも特に有名なのがArte della Lana
事務所(?)はOrsanmichele教会の裏の建物でしたが、何が有名ってこの組合が1401年世紀の大コンクールを開くわけです。
そう、ルネサンスの幕開けとも言われる洗礼堂の彫刻を誰に任せるか、という審査です。
結果は皆さんご存知の通り、Ghibertiの勝利。
勝敗を分けたのは彼らの技術の差では有りません。
どちらがこの時代に受けたか。
Ghibertiはまだ前時代の特徴を残していて審査員の受けがよく、Brunelleschiの作品は既にルネサンス風。
Brunelleschiは時代の先を行きすぎていて負けてしまいました。
その後Ghibertiは生涯をこの洗礼堂にかけ(天国の門を作るのに20年もかかってますから)、
この決戦に負けたBrunelleschiは友人のDonatelloと共にRomaへ
まぁこの戦いに負けたことがFirenzeの大聖堂にクーポラをかけるきっかけになったわけですから、人生何が起こるかわからない!
どちらもFirenzeには欠かせない人物だった、ということは確かですが・・・

それは15世紀のお話で、Palazzo Vecchioの話に戻ると
このArti(複数なので)のPriori(執政官・・・偉い人?)を集める場所が必要という理由で新しい建物を建てる話が浮上したのが1285年、そして建築家に選ばれたのは当時Firenzeで、いやイタリア中で一番の建築家として知られたArnolfo di Cambioだったわけです。
彼はこのとき既にCattedrale(大聖堂)とSanta Croce教会の設計を任されていました。
売れっ子建築家ですね。
ちなみにArnolfoは大聖堂に円屋根をかぶせる計画を立てていましたが、Brunelleschiの登場まで、誰一人どうやってあの大きな屋根をかぶせたらいいか分かりませんでした。

Arnolfoはこの建物をいかつい軍事用、要塞風に建てることにしました。
理由は発見できませんでしたが、彼はPoppiにも同じような建物(城?)を建てています。
1302年の時点で既に"Palagio(=palazzo)novo"(新しい屋敷)という記述が見られるそうです。
建物は一から建てられたわけではなく、元々有ったものを改築したと考えられていて、
1310年には塔がほぼ完成、1323年には前の広場(現Piazza della Signoria)への拡張が行われています。


この写真はツアーの途中なのですが、この模型が非常に良くできているんです。
これが現在のPalazzo Vecchioの全体。
左から時代の古い順に並んでいます。
Arnolfoが作ったのはまさに一番左の黄色い部分でCortile(中庭)も有りましたが、ここは後にMichelozzoが改修しています。

2番目、ここは1342年Duca d'Atene(アテネ大公)Gualtieri di Brienneによって拡張されます。
彼は1343年Firenzeから追い出されてしまうのですが、その時に使った逃げ道がまず今回1番最初に通ったところでした。
先ほどのPrioriの服が有った部屋その一角に

上に行く階段と

下に下りる階段。
今回こちらは使いませんでしたが
ここに出ます。

実はこの写真必要だよなぁと思って今朝雨のなか撮りに行きました。
人が立ってる大きい方ではなく、その脇の小さなドア、ここに繋がっています。

ここから登っていく話はさておきこのGualtieri di Brienneの時代から屋敷は少しずつ1500年代までVia della Ninnaの方向に少しずつ拡張されていきます。
まさにさの模型のように。
Arnolfo del Cambioの後を請け負ったのはAndrea PisanoだとVasariは言っています。

1446年にはMichelozzoがcortile(中庭)を当世風に改修。
1472-1481年にかけての大規模な増・改築はBenedetto, Giuliano da Maianoの兄弟が担当。
Baegelloと同じようなタイプの大きな部屋を3階(piano secondoのSala grande)に造り、Arnolfo時代の仕切りを取っ払ってしまっています。
Sala dell'Udienzaの portali marmorei(大理石の入り口) はGiuliano、Batticelli(ボッティチェリ)デザインの木製のドア,Ghirlandaio(ギルランダイオ)のフレスコ画が登場します。

ちょっとはしょって、この後に登場するのがVasariです。
1565年FrancescoIとGivanna d'Austriaの婚礼を気に大改築が行われます。
その後1570-72年VasariはFrancescoIのためにStudiolo(書斎)を造り、
後のFerdinandoIの時代にはBuontalentiにより建物の裏側が整備されますが
16世紀以降Palazzo Pittiに政治の中心が移ってしまい、こちらは段々と廃れていってしまいました。

というのがPalazzo Vecchioの大まかな歴史。
(途中段々面倒になってきてはしょった分はおいおい載せて行きます・・・行けるかな?)
ということでここからこのシークレットツアーの概要に・・・というには前置きが長すぎた。
ということで今回はプロローグということでお許しを。
夜が短い・・・



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