イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Capolavori a Villa La Quiete(傑作、ヴィラ・ラ・クイエーテ)2016-Firenze

2020年10月25日 18時33分53秒 | Mostra(展覧会)in Italia

とほほ…3時間もかけて書いた記事がほぼ消えた!!
気を取り直して書き直し…

さて、昨日の続き、というかこちらが本題でした。

2916年7月26日から10月30日、Villa La Quieteで開催されていたCapolavori a Villa La Quiete(傑作、ヴィラ・ラ・クイエーテ)という特別展。
でも、昨日気がついたんですよね、会場ヴィラじゃなくて、旧修道院の方だったって。
ん?もしかしてヴィラも案内してもらったのかな???
友達と一緒に行ったから、確認してみるかなぁ…

紋章がメディチ家と…?
入口入ると数名集められてガイドの人が案内してくれたような気がしてきた。
会場はこんな感じ。

写真:https://www.historiaproject.com/capolavori-villa-la-quiete/
Villa La Quieteに有る美術品の多くは、もちろんメディチ家所蔵の物も有るが、修道院から来たものも多い。1886年、Via della ScalaにあったAncilla di San Jacopo di Ripoliという女子修道院によって経営される女子寄宿学校(educandato)が閉鎖され、同じ修道会だったQuieteに美術品などが集められた。
それだけでなく、その後via dell'Amoreに有った修道院、Sant'Agata、San Jacopoの3か所もQuieteに統合され、最後の2か所から集まった美術品はその古さ、重要性からその後のQuieteの中心を担うものとなり、そのほんの一部、7点がこの機会に展示された。

まずはこれ

Ridolfo del Ghirlandaio (リドルフォ・デル・ギルランダイオ、1483-1561)
父は偉大なDomenico Ghirlandaio(ドメニコ・ギルランダイオ)
Sposalizio mistico di Santa Caterina e Santi (「聖カタリナの神秘的な結婚」と聖人たち)
これはドメニコ会の修道院San Jacopo di Ripoliにあった教会の左の祭壇に飾られていた。
リドルフォは若い頃からドメニコ会の為の仕事を多く手掛けていたようで、2番目(右という記事も有る)の祭壇にもリドルフォのIncoronazione della Vergine e Santi(聖母戴冠と聖人たち)が飾られていた。(現在はアヴィニョンに有る。)
これらの作品は今となってはワインで有名なフィレンツェの有力者Antinori(アンテノーリ家)が依頼したもので、1500年初頭、修道院を増築した時に制作されたとされる。
この構成からは、友達だったとも言われ、この時期フィレンツェに滞在していたRaffaello(ラファエロ)の影響がみられる。

ちなみに今はQuieteの別の部屋(Sala delle Robbiane)に飾られているが、Giovanni e Marco della Robbia(ジョバンニとマルコ・デッラ・ロッビア)のNoli me tangere(私に触れるな) とIncredulità di San Tommaso(聖トーマスの不信心、写真)のリュネッタが同じ教会にあったとされる。

 こちらもリドルフォの作品

I Santi Onofrio, Cosma, Damiano, Sebastiano(聖オノフリオ、コズマ、ダミアーノ、セバスティアーノ)
これも上の作品と同じ教会から来たのだが、便宜上一枚にまとめられてしまっているけど、この作品実は2枚ずつで制作年代が違う。
両端の2人聖オノフリオとセバスティアーノは1500年初頭、1504-1505年頃に描かれたもので、聖コジモとダミアーノは、伝統的に医者(medico)の守護聖人ということもあって、メディチ(Medici)家に権力が戻った1515-19年頃の作成と関連付けられている。

他には

Baccio da Montelupo(バッチョ・ダ・モンテルーポ)のキリスト磔刑の木製彫刻とリドルフォの弟子、Michele Tosini(ミケーレ・トシー二)のSanta Maria Maddalena e suora domenicana(マリア・マッダレーナとドメニコ会の修道女)のコラボ。修道女は跪き、十字架にかけられたキリストを崇めている。(視線はこっちだが…)

1500年代は、このような彫刻と絵画のコラボは珍しいことではなかった。
キリスト磔刑は1500年初頭の作品で、絵画の方はそれより後の1525-26年辺りに制作されたらしい。
バッチョ・ダ・モンテルーポはConvento di San Marco(サン・マルコ修道院)と関係が深く、他にも修道院やSan Jacopo教会の為に作品を作っている。

そしてこちら、テーマは一枚目と同じ。

Sposalizio mistico di Santa Caterina e Santi (「聖カタリナの神秘的な結婚」と聖人たち、1525-1526)
こちらはリドルフォとコラボ作品の弟子ミケーレ・トシ―二の共作と言われる作品。
この作品は教会ではなく、修道院内の祭壇の為に作られたと言われる。

それからちょっと変わり種。

フランドルの画家の作品。
 Madonna con Bambino e un donatore(聖母子と寄付者)16世紀前半の作品。 
Villa La Quieteに保管されている唯一のフランドルの作品ということで、この絵画の重要性が伺われる。
Gerard David (1460-1523)周辺の画家の作品と考えられ、この作品から来たヨーロッパと修道院との関係を推測することも可能なのである。
 
そして6点目がこれ。

こちらはScuola di San Marco、所謂「サン・マルコ派」と呼ばれる画家の作品。
サン・マルコ派とは、Fra BartolomeoやMariotto Albertinelliをはじめとした、サン・マルコ修道院に描かれたBeato Angelico(ベアト・アンジェリコ)やクラッシックなPerugino(ペルジーノ)の作品に影響を受けた画家たち。
参考:https://it.wikipedia.org/wiki/Scuola_di_San_Marco
百合の花を持ち、ドメニコ会の黒いマント、ってことで、描かれたのはSan Domenico(聖ドメニコ)だろう。
この聖ドメニコは1500年代初頭に描かれたのに、中世と同じ規範で描かれている。
なぜなら、聖ドメニコは数世紀に渡って本当の聖人像を描くようにと伝わっていたから、だとか。
つまり聖ドメニコはいつでもこうということ、かな?

そして最後にこの展覧会の目玉、Botticelli(ボッティチェリ)の作品をご紹介したいところだが、一度書いたものをうっかり消してしまったため、ここで時間切れ…
ということで続きはまた明日。

参考:http://mariapaolaforlani.blogspot.com/2016/08/capolavori-villa-la-quiete.html
https://www.historiaproject.com/capolavori-villa-la-quiete/




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2 コメント

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Quieteのボッティチェリ作品(続き) (むろさん)
2020-10-25 22:32:07
絵だけ出しておいて他の話題に寄り道していると、すぐにネタバレしますよ。(笑)
(ボッティチェリという餌をまかれると、すぐに食いつきますので!)

さて、この絵について上記コメントで書いたライトボーンやPonsのカタログレゾネでは、リドルフォ・ギルランダイオに関係するように書かれていて、また、本文掲載のポスターの下の方にも小さい文字で「BOTTICELLI e RIDOLFO DEL GHIRLANDAIO」とあります。中央公論美術出版社の美術家伝(完全版)第5巻2017年発行のP271~にリドルフォ、ダヴィッド、ベネデットのギルランダイオ一族の伝記がまとめて載っているので確認してみました。なお、白水社版ヴァザーリ芸術家列伝の3部作は抄訳であり、ドメニコ・ギルランダイオしか扱っていないので、現在日本語で読めるヴァザーリのリドルフォ・ギルランダイオ伝はこの中公美版しかないと思います。

その伝記P274には、「リドルフォはリーポリの女子修道院に油彩で二点の板絵を描いた。一つは聖母の戴冠で、もう一つは聖人たちの中央に聖母がいるものである。」として、その注釈に「サン・ヤコポ・ア・リーポリ修道院のために描かれた聖母戴冠は現在アヴィニョンのプチ・パレ美術館所蔵で、1504年の年記がある。もう一点は現在フィレンツェ近郊のヴィッラ・ラ・クィエーテ所蔵の聖カタリナの神秘の結婚、聖ヤコブ、聖ドミニクス、聖アウグスティヌス、聖ニコラウス、福音書記者聖ヨハネが描かれた祭壇画(1506年頃)とみなされている。いずれもアンティノーリ家の礼拝堂に置かれていた。(以下略)」となっています。さらに、別の項目の注釈には「聖カタリナの神秘の結婚…(途中略)…聖ウルスラが描かれた祭壇画とバッチョ・ダ・モンテルーポの磔刑像の背景として置かれたマグダラのマリアの祭壇画の2点も同じヴィッラ・ラ・クィエーテにある。」とありました。

ここまで書いたところで、上記本文が投稿されたので、私がこの美術家伝を読んで疑問に思ったことの半分ぐらいは解決しましたが、それでもまだ分からないことがあります。
Quieteの聖母戴冠はボッティチェリの工房作なのか? リドルフォ・ギルランダイオとどういう関係があるのか? アヴィニョンのプチ・パレにあるという聖母戴冠との関係は? なお、アヴィニョンへは30年ぐらい前にプチ・パレのボッティチェリ初期の聖母子と教皇庁宮殿のシモーネ・マルティーニのフレスコ画及びシノピアを見るために行きましたが、その他の絵のことは全く覚えていません。30年も前では知識も経験もなかったので、有名画家以外のことを覚えていないのは当然ですが。

次回の記事にて、上記の疑問が解決することを期待しております。
なお、前コメントで書いたライトボーンやPonsのボッティチェリのカタログレゾネで、リドルフォ・ギルランダイオ云々と書いてあることについては、まだ英語と伊語の文章をよく読んでいないので、これについては近いうちに確認しておきます。

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更新しました。 (fontana)
2020-10-28 17:14:49
むろさん
お返事が、というより更新が遅くなりました。
今私が分かるのは、ここまでです。
資料に引用されているAlessandro CecchiやGiomettiの資料に直接当たれば、もう少し詳しいことが分かるかもしれません。

私の読んだ資料では、Quieteの聖母戴冠とリドルフォ・ギルランダイオの関係性について書かれたものはありませんでした。リドルフォに関しては後にまとめるつもりですが、資料があまりにも少なく、なんとも言えませんね。(確実にラファエロの影響は有ると思いますが)
展覧会のポスターに並んだ名前はそれぞれの作品があるということで、そこまで深読みして書いたとは思えません。ただ、Zeriのカタログを見ているとロベルト・ロンギですら二人の名前を1作品にあげているので、それなりに関係はあるでしょう。

私は「芸術家列伝」を基本的に原書(現代表記)で読めるので、2017年の全訳を見たことはなかったのですが、日本語版特有の注が有ることを知り、読んでみたくなったので、早速図書館で予約しました。(笑)
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