哀裸舞―短的生命―

境界性パーソナリティ障害・うつ病等、病人生録。ダーク系が多々含まれています。苦手な方はお戻り下さい。

【超長文】長い話2【序曲】

2007-10-08 00:46:09 | Weblog
第3章 再出発と闘病のリピート

【うつ病という悪魔】

~憂うつな日々~

 高校を辞める直前、もう眠りから覚めたくないと思ってた。朝は起きれない、夜は眠れない、イライラする…などの症状が4ヶ月続いた。その間に大学病院で診断を受け、「抑鬱症」と「不眠症」と言われた。でもしばらくは薬をもらえなかった。そしてイライラが原因で引き篭もりが続いた。ご飯も食べられなくなった。今46kgある体重が一時期40kgを切ろうとしていた。そうなったら入院が待っていた。私は一度扁桃腺炎で入院したことがある。あの時、個室しかあいておらず、1週間だったけど1人でいる時間が長くて落ち着いた。そう感じたせいか、ウツが酷いと入院か永眠ばかりを考えていた。これも後ほど話すけど、家庭内の問題から引き起こるストレスからなんだけど…。

 最初の主治医A先生からは、早く家から出られるようになるといいのだが…とよく言われた。両親にも1人暮らしを薦めてくれたのだが、まるで聞いてもらえなかった。ただ、段々と母が私の気持ちを理解し始め、家訓に沿って、何があっても20歳過ぎたら家を出てもいいような話になってきた。

 憂うつになると、頭を枕に乗せ天井ばかりを見つめ、ため息をつく。これが毎日続くからな。誰かが言ってた。「ため息をついた分だけ幸せが逃げる」と。だから私は詩を書いた。「笑顔の数だけ幸せがある」と…。そんな前向きな想いも抱きながら、躁鬱、抑鬱の波にさらされて、テクテクとココまで歩いてきた。



~泣きながら歌ったあの日~

 高校最後の文化祭。そう、あの失敗した文化祭。周りは全てが失敗だったと思ったらしいが、決して私はそうではなかった。自分勝手で申し訳ないけど、学校を辞める決心と、しばらく歌を人前で歌う事を休むという2つの選択を同時に決意することができたからだ。

ステージの上で、修行前最後の歌を歌った。病み上がりでろくに声も出なかった。ただ後輩と友達が見守ってくれる中、静まり返った客席を見下ろした。本当はあの場で語りたかったことがたくさんあった。あの時の自分を止めなかったら、もしかして全校生徒の前で中退宣言をしたかもしれない。それくらい問題の多い生徒だったな、私は。やっぱりブラックリスト入りするんだ。

 自分を前向きにさせようと思って選曲した宇多田ヒカルのGive Me A Reason。でも心で歌い切ることができなかった。ステージをすべて終らせたあと、私の頬を涙が滑り落ちた。「あぁ、これでいいんだ、楽になれる。少し休もう、そしたらまた歌えるから。」そう決意して、客席に大声で叫んだ。「ありがとう!」って。前にも話したけど、下手でもなんでもいいんだ。その時伝える何かがあれば。でも、それだけじゃダメだったんだけど。みんなは私がなんで泣いているのか理解していなかったようだ。そりゃぁそうだ。本番前はすっごく元気で、まるでうつ病なんか嘘のように振舞っていたから。歌い終わったあとの涙は、私の休憩信号であり、そして素の自分に戻る時だったらしい。文化祭が終ってから時が経つのは早く、30日くらいピタッと学校を休んだ。そして、学校から電話が鳴り、中退宣言をしたのである。先生も私がなんでやめるのか理解できておらず、今までの診断書を提出。扁桃腺炎による入院、血小板減少症による体調不良。それから…、診断書こそはまだなかったが、自分の口からウツが酷い事を告げた。なかなか解ってもらえず、情がわいてしまい、耐えられなくて涙を流した。「このままだと、どうせ留年するんだから、はやく楽にさせてください」それが私の願いだった。11月締めで私は学校をあとにした。



~空を見上げてはうなずいた~

 闘病生活が始まり、半年が経とうとするころ、少し身体の重みが減った気がしたので、中学の頃どうせ高校行くなら・・・と決めていた通信制高校のHPにアクセスしてみた。なんだかやる気が少しわいてきたので、思い切って試験を受けてみた。倍率高かったけれど、なんとか受かった。一時の喜びだった。何かをやり遂げる喜びは、人一倍知ってるつもりだった。ただ、実行できるかできないかで…。

そうやって物事を考える時はいつも空を見上げていた。病院へ行くバス停、駅のホーム、晴れた日には公園で1人ベンチに座って空を眺めた。そしてこぶしを握って、「よし!」と一声あげて、実行に移す。ただ、続けられないのが苦だった。

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第3章 再出発と闘病のリピート2
【通信制高校】

~出会いがいっぱい~

 通信制高校に入学して、早速友達ができた。この学校は昔、正社員の人が中心となってできた学校らしく、働いている人が多い。でも、近年フリーターや高校を中退した人、障害などで普通高校に通えない人などがたくさん通っている。私の場合はどれにでも当てはまるんだけど(笑)やっぱりココにもギャルはいっぱいいた。タバコOKの学校なので、喫煙者も多い。それだけが少し痛いところだけど、年齢層が高い分、私にとっては好都合だった。ほら、昔から先生と仲良くするのが好きだったから、同世代の子と付き合うよりは上の人と付き合う方が楽だったのだ。最初のスクーリングでHRに入ったら、あいさつしてくれたグループがいた。話を聞くと、どうやら1年生の時から仲がいいらしくて、しかも平均年齢が26~30歳くらい。みんなそれぞれ仕事を持っていて、私みたいに病気って感じじゃなかった。すごい迫力にちょっと戸惑ったけれど、いろいろ話しかけてくれたのですぐに馴染めた。

 残念ながら、また1年留年してしまったのだけれど、この学校のいいところは、学年関係なく付き合えることで、決して誰も何も言わなかった。



~バドミントンにくぎづけ~

 編入してから絶対にやるって決めていた事があって、それが運動。私は部活動なしじゃ学校に通えないのか、あえて部活に入る事にした。そこで目をつけたのがバドミントン部だった。どうやら一番ハードらしいが、私ができる唯一のスポーツだったから思い切って入部してみた。そしたらなんと、例のグループの9割が所属していて、「あらぁ~」って感じで迎えてくれた。嬉しかった。ハードだと思っていたけれど、それは自分の体力の問題だけで、なんら難しくなかった。

 再度留年してからちょっと体力が落ちていることに気がついて、2年目は地元のバドミントン連盟に所属するチームに入れてもらった。全くの初心者からやる事になった。でもそれはすごくタメになることで、学校の部活じゃぁ基礎なんて教えてもらえないので、本格的に学べるような環境ができたわけだ。それからかな、体力も段々元に戻ってきて、いや、以前に増して健康的に見られるようになって、精神状況も安定しつつある、2003年の夏(執筆中)。
第3章 再出発と闘病のリピート3
【リストカットと記憶】

~解離性障害~

 私はたまに記憶が飛ぶことがある。ただの健忘症だと思っていた。つい数分前のコトが思い出せない。時には仕事中に物忘れをしたりして、連絡事項が伝わらず失敗することもあった。でも、まさか解離していたなんて、思いもしなかった。

 ある日、私は出先から帰って来る途中、道を斜め横断しようとした。が、そこで記憶が跳んだ。ふと気がつくと私は道路の真ん中に一人ぽつんと立っていた。車がたくさん走ってくる。何が起こったのか全く分からなかった。ただ立ちすくむしかできなかった。ドライバーのみなさんはすごく困ってたでしょう。私も怖かった。怖かったけど、どこかで笑ってる自分がいた。本当に何が起こったのだろう。

 病院へ行った時にこのコトを告げた。そしたら、医師は「解離性障害」と告げた。解離性障害はまだ明確にされていない症状がたくさんあるらしい。一番身近によく聞くのが解離性同一性障害。これは分かりやすいでしょう。一言で言えば多重人格のコト。私は解離性同一性障害ではない。病名をつけるとすれば、解離性健忘か解離性遁走。薬のせいで健忘症になることもあるらしいが、私のように記憶が飛んだままというのは稀。それから、離人症もある。これも解離性障害の特徴である。自分の体の感覚と脳で感じている感覚とがかみ合わないなんとも気持ちの悪いもの。そうだな、説明しようとすると難しいけど、簡単に言えば、自分の手を自分の手で握った時に誰か他人が身体を触っているような感覚に陥る。またはフワフワ浮いている気分になる。といったのが主な離人症の症状だと私は実感している。人それぞれ感じ方が違うので一概にはいえないけれど。

 それにしても解離性障害には薬がない。常に自分で意識していなければならないので、仕事など大切な行事の時にはすごく神経を使う。ストレスや疲労の元だな(笑)

(追記:すでに解離性同一性障害は自覚していた)


第3章 再出発と闘病のリピート4
~パニック症状~

 よく街中で「過呼吸症候群」と呼ばれる症状に襲われる人がしばしばいる。つい先日、私の働いていたバイト先でも1人過呼吸で倒れて救急車で運ばれた。その人はどうやら精神的なものから来ていたらしく、恐らく「パニック障害」でしょうね。

 私も似たような経験を何度かしたことがある。パニック障害とまでは病名づけられていないが、誰にでもあるコトで酷いか酷くないかの違いだと私は思うが… (前書き長い!)私が発症したのは、ミスチルの屋外ライブでオールスタンティング会場の時の出来事だった。もともと温度変化に弱い私だったが、あそこまで苦しかったのは初めてだった。会場に辿り着いてから、中に入るまで、出入り口が1箇所しかなかった。これには驚いた。何万人という席で出入り口が1箇所。災害があったらどうすんだ?なんて思いながら流れに沿って歩いていた。夏だったのでそこはもう蒸し風呂状態。その頃対人恐怖症が酷かった私は、その場にいるだけで吐き気がした。あと少し、あと少しと思いながらやっとの思いで外に出た。(受付が屋内で会場が屋外だったためにこのようなことが起きたのである)

 外に出た瞬間、少しふらついた。原因はたぶん、あれだけ人ごみに呑まれていて、急に広い場所に出て気圧が変わったからでしょう。一気に酸素を吸ったせいか、今度は変に息苦しくなってきた。たぶん、それが酷かったら過呼吸になっていたかもしれない。自分達の席に着いて、辺りを見渡した。すごく不安になった。人が同じ高さで大勢いるところが私は苦手だったらしく、後に立ちくらみがしてきた。ライブが始まってからしばらく経つと、今度は慣れないミスチルのファン達に囲まれていることに恐怖を覚え、段々息苦しさが増してきて、次第に気持ち悪くなってきた。頭もフラフラしてきて、もう周りに合わせて手拍子をするのがやっとで…曲に集中できない-

 ふと気がつくと、もう限界が来ていたらしく、しゃがみこんでいた。一緒にいた彼氏はそっとしておいてくれたのか、状況判断できなかったのか、「大丈夫?」と言っただけだった。過呼吸や吐き気の知識は少しだけあったので、一先ず手で口を押えてゆっくり呼吸した。過呼吸の場合は袋をかぶったりして二酸化炭素を吸うといいらしい。が、そんなものは持ち歩いていなかったので、とりあえず頓服になるような薬を選んだ。レキソタン…。その時はそれしかなかった(笑)レキソタンと胃薬を飲んで、しばし目を閉じ、深呼吸を繰り返した。やっとの思いで立ち上がることができたのは、もうすでにアンコールの時だった。なんだかもったいない気がしたけれど、アンコールは薬が効いてフルパワーで歌った。これが私の最初のパニック症状と思われる出来事だった。

 パニック症状とかいいながら、良く考えてみると、広場や閉所などの恐怖症だったのかなと今思うけれど、次に同じような症状が出たのは冬、お台場に行ったときだった。元々冬が弱い私だったが、その日はすごく元気良くお台場に向かった。はずだったのだが…。現地についた途端に、妙な不安を覚えた。何が原因かは今も不明。そしてお台場のショッピングモールにて買い物をしようとあちこち歩きまわっていたのだが、頭痛がしてきたのである。いつものように「あぁ、目が疲れてきたのかな」なんて思っていたのだが、それだけじゃなかった。頭痛は次第に悪寒を覚えさせた。眩暈がしてきて、冷や汗もかいた。どうしたもんかとだんだん不安は募るばかり。彼氏に事情を説明して外に出た。すると…あのライブの時のように、また息が苦しくなって気持ち悪くなった。

 そういえば私は嘔吐恐怖症だったなぁと思いながら、たぶんそれが吐き気の不安の原因だと悟った私だったが、お台場なのでどうすることもできない。歩くことすらできなくなって、ずっとベンチに座ってもがいていた。この時もどうしていいのか分からなかったらしく、彼氏は「大丈夫?」としか言えなかった。無論私もどうしていいのか判らなかったから。「これ以上酷くなったら救急車…でもココに来ても病院辿り着くのは時間がかかるよね」と私は言った。それなら帰った方がマシだと、ろくに買い物もできずに家路に着いた。その後ゆっくり寝たのだが、冬だったので1週間以上吐き気が治まらなかった。(嘔吐恐怖症の私は吐かない)

 こんな想いはもうしたくないと、いつも冬になると怖くなる私だった。
第3章 再出発と闘病のリピート4
~パニック症状~

 よく街中で「過呼吸症候群」と呼ばれる症状に襲われる人がしばしばいる。つい先日、私の働いていたバイト先でも1人過呼吸で倒れて救急車で運ばれた。その人はどうやら精神的なものから来ていたらしく、恐らく「パニック障害」でしょうね。

 私も似たような経験を何度かしたことがある。パニック障害とまでは病名づけられていないが、誰にでもあるコトで酷いか酷くないかの違いだと私は思うが… (前書き長い!)私が発症したのは、ミスチルの屋外ライブでオールスタンティング会場の時の出来事だった。もともと温度変化に弱い私だったが、あそこまで苦しかったのは初めてだった。会場に辿り着いてから、中に入るまで、出入り口が1箇所しかなかった。これには驚いた。何万人という席で出入り口が1箇所。災害があったらどうすんだ?なんて思いながら流れに沿って歩いていた。夏だったのでそこはもう蒸し風呂状態。その頃対人恐怖症が酷かった私は、その場にいるだけで吐き気がした。あと少し、あと少しと思いながらやっとの思いで外に出た。(受付が屋内で会場が屋外だったためにこのようなことが起きたのである)

 外に出た瞬間、少しふらついた。原因はたぶん、あれだけ人ごみに呑まれていて、急に広い場所に出て気圧が変わったからでしょう。一気に酸素を吸ったせいか、今度は変に息苦しくなってきた。たぶん、それが酷かったら過呼吸になっていたかもしれない。自分達の席に着いて、辺りを見渡した。すごく不安になった。人が同じ高さで大勢いるところが私は苦手だったらしく、後に立ちくらみがしてきた。ライブが始まってからしばらく経つと、今度は慣れないミスチルのファン達に囲まれていることに恐怖を覚え、段々息苦しさが増してきて、次第に気持ち悪くなってきた。頭もフラフラしてきて、もう周りに合わせて手拍子をするのがやっとで…曲に集中できない-

 ふと気がつくと、もう限界が来ていたらしく、しゃがみこんでいた。一緒にいた彼氏はそっとしておいてくれたのか、状況判断できなかったのか、「大丈夫?」と言っただけだった。過呼吸や吐き気の知識は少しだけあったので、一先ず手で口を押えてゆっくり呼吸した。過呼吸の場合は袋をかぶったりして二酸化炭素を吸うといいらしい。が、そんなものは持ち歩いていなかったので、とりあえず頓服になるような薬を選んだ。レキソタン…。その時はそれしかなかった(笑)レキソタンと胃薬を飲んで、しばし目を閉じ、深呼吸を繰り返した。やっとの思いで立ち上がることができたのは、もうすでにアンコールの時だった。なんだかもったいない気がしたけれど、アンコールは薬が効いてフルパワーで歌った。これが私の最初のパニック症状と思われる出来事だった。

 パニック症状とかいいながら、良く考えてみると、広場や閉所などの恐怖症だったのかなと今思うけれど、次に同じような症状が出たのは冬、お台場に行ったときだった。元々冬が弱い私だったが、その日はすごく元気良くお台場に向かった。はずだったのだが…。現地についた途端に、妙な不安を覚えた。何が原因かは今も不明。そしてお台場のショッピングモールにて買い物をしようとあちこち歩きまわっていたのだが、頭痛がしてきたのである。いつものように「あぁ、目が疲れてきたのかな」なんて思っていたのだが、それだけじゃなかった。頭痛は次第に悪寒を覚えさせた。眩暈がしてきて、冷や汗もかいた。どうしたもんかとだんだん不安は募るばかり。彼氏に事情を説明して外に出た。すると…あのライブの時のように、また息が苦しくなって気持ち悪くなった。

 そういえば私は嘔吐恐怖症だったなぁと思いながら、たぶんそれが吐き気の不安の原因だと悟った私だったが、お台場なのでどうすることもできない。歩くことすらできなくなって、ずっとベンチに座ってもがいていた。この時もどうしていいのか分からなかったらしく、彼氏は「大丈夫?」としか言えなかった。無論私もどうしていいのか判らなかったから。「これ以上酷くなったら救急車…でもココに来ても病院辿り着くのは時間がかかるよね」と私は言った。それなら帰った方がマシだと、ろくに買い物もできずに家路に着いた。その後ゆっくり寝たのだが、冬だったので1週間以上吐き気が治まらなかった。(嘔吐恐怖症の私は吐かない)

 こんな想いはもうしたくないと、いつも冬になると怖くなる私だった。



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