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FRIARS'N'SNIFFERS

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広島ギグ③

2014-04-02 21:12:00 | ucchhy
長くなったけど回想録はこれで終わりね。

バンドってマイペースであっても続けていかねば答えはみつからない、結果はでないと先輩から教えられた俺にするとここで辞めるなんてホントは考えてなかった。
しかし軽々しくグループを抜ける、やっぱやりたいを繰り返すメンバーに喝を、と思い終わって話そうと伝えた中でイベント当日。

嬉しい事にかなり友人が集まってくれ、この日のギグを見届けてくれた。
事情を知った人からも激励のメールがきたりして。

「俺をみろ!!」
このフィーリングでステージに立ったのをすごく覚えてる。

ギタリストとしてギグが盛り上がったならばやってみたい事があった。
サビんとこでマイクスタンドごと客に投げて歌わせるってやつ。

例のVA収録のナンバーのサビは覚えやすいだろうからとこの少し無茶なアクションをやってみたかった。
バンドを続ける意思のある俺、デカいことをMCで言ってラストナンバーのソレを全力でプレイした。
実際その時のメンバーでのあのプレイはOUT ATTACKでのベストだったと思う。

そしてサビでやったんだ。
あれをやったんだ。
マイクスタンド倒してマイクをパス。
一緒に歌った。
乱暴に倒したマイクスタンド、それを受け取ったHard Menが…

そう、いまのメンバーなのだ!
もちろんその後に一緒にバンドやるなんて思ってもなかったよ、この時は。

俺はこのギグから数年間バンドがやりたくても出来ない悩みにどっぷり浸かることになった。

終わってから継続するかの話し合い、やはり難しかったから。

でも俺は感謝している、あの当時のメンバーに。
共にスタジオで笑ったり怒ったりギグで一喜一憂したり。
サプライズで誕生日会が開かれたりカッコいいCD買えば興奮して連絡とりあったり。
遅れた青春を取り戻してバンドに立ち向かえたから。


彼らが元気に生活してる事を願うよ。
だからみんなも応援してくれていて欲しいね。

悩んだ分だけドラマティックな事が俺に待ってた…
という事にしとくよ。
俺はあのギグでのラストナンバーでマイクスタンドを受け取った彼らといまバンドがやれているから。

長くなったけど俺の個人的な広島ボーダーでギグをするモチベーションってこんな事もあるんだよ。

なにイチイチ感傷的になってんの?
と笑いたきゃ笑ってええよ。

あの時、2007年2月25日から今も俺は変わってない。

広島ボーダーでのギグ②

2014-03-27 21:09:00 | ucchhy
続きな。

90年代から2000年代頭までは広島にはネオポリスホールでのギグが常箱だった。
広島音楽シーン名門ウッディストリートの移転し改名したその場所は広島駅前の雑居ビル。
ここでたくさんのPUNK/HCをインディー、メジャー問わず観たのだけど滋賀/大阪のCLAMPDOWNを観た時に客席に現メンバーが観に来ていた。
噂に聞くLAST REJECTION・・・
そう教えられたが全く喋らなかった。
仲良くなるのはあともう少し先。
(追記・恐らく2004~2005年かな?てことはもう10年か!)

そう、いま思えば彼らと初めて会ったのはここ広島だったのだ。

しかしネオポリスホール移転に伴い広島随一の歓楽街は流川にあるクラブボーダーでのイベントが主流になっていた。
場所が場所だけにヤバい空気感ある箱にパンクにうってつけ!そう感じていた。
(いま特に音もラウドでほんとイイ箱よねー)

ここボーダーで名イベントHOWLING COMMUNICATIONに出演。

燃えない訳ないだろ?
必要以上に燃えていた。

ところが内情は前日記に書いたとおり。
俺の心は複雑だったし何よりこの頃、勤務している会社で福山→広島を行ったり来たりの多忙だったのだ。あの忙しさの中でバンドが続くのか終るのかに揺れていた・・とても辛い時期だったな・・。

このボーダーでのギグの三週間まえに岡山ペパーランドでのギグがあったのだけどそこでなんか「取り戻すギグ」が出来て確信していた、俺はキメれる!と。

散々バンドをやるやらないを繰り返したメンバーもまたやりたいと言ってきた。

ここで男らしく
「ふざけんな、もうオドレに振り回されんわ!」
とか
優しく心広く
「うん、今までの事は水に流してまた頑張ろうな!」

って言えたら俺はあんなに悩まなかったよ。

俺が言った言葉は
「ボーダーのギグが終わったらまた話そうな」
だった。

ひどいよな、俺。

③に続く。


広島ボーダーでのギグ①

2014-03-26 23:41:00 | ucchhy
もちろんギグはどこでだろうが特別なものだけど
そのギグの回数がそもそも少ない俺にとってこのボーダーは
ちょっと他とは違う思いがある。

このイベントに誘ってもらってボーダーでやる事の嬉しさと諦めなかった自分を少しだけ褒めてやりたい気持ちを

そしてあの当時、OUT ATTACKで汗を流したメンバー達に感謝したい。

2007年2月25日。
この日、OUT ATTACKのギグであのバンドは止まってしまった。
いや正確には辞めるつもりではなかったけども。
あの日、というかあの前後の日々を思い出すと少ししょっぱいけど自分を整理したいからここに記すね。

前年にBRONZE FISTレコードから発売されたVA「sons of skinheads 2」に参加できて(俺は初めて世に音源をだせた!)浮かれたパワーそのままにデモCDRをレコーディングしたりソレに拘りをみせたりTシャツ作ったりスタジオに頻繁に入ったり。

VAに収録したNo One Likes Usというキャッチーなナンバーは俺の自信作で当時のバンドを取り巻く状況を勝手にひがんで作ったナンバー。
誰も俺達のコトよく思ってないだろ、でも関係ねぇぞ!
血統書のない野良犬が意味なく一生懸命に吠えたてるあの感じだった。


VA発売後、少しずつギグをこなしていたが内情はよろしくなかった。
辞める辞めないを繰り返したりプライベートがキツいメンバーにさじを投げたくなるのをグッとこらえてたけど・・・

小さなウソ。
不義理。
ルーズ。
身に覚えのない噂。
不都合な事は人のせいにする。
前向きになれない。
バンドの問題に第三者がなぜか入ってくる。

うんざりだった。
本当にうんざりだった。
もういいよな、キレても。
我慢する必要あるか?
いつからこんなバンドになったんだ?
そもそもなんでこうなった?

だから決めた。
決定している2月25日のKLASSE KRIMINALE来日の広島公演@ボーダーで俺はこいつらを黙らせるカッコいいステージをする!と。
心のどこかでバンドの好転を信じて。
一縷の望みをかけた。

まさか自分が作ったNo one Likes Us、それをメンバーに向かってプレイするなんてマジ皮肉だった。

俺の間違いはどこにあったんだろう。
きっと何かあったと思う。

今ならそう思えるが正直に言うけどあの時にそんな心の余裕なんて持ち合わせてなかった。
被害者意識だけが俺にあった。
(もちろん俺の言い分もあるけど)

長くなったんで後日続きます。






Tommy And The Chili Peppers Club Band

2014-03-05 21:08:00 | ucchhy
すごいバンドが出てきた、いやマジマジ。

Tommy Skinhead。
東京のoi!/skinheadで名前を聞いた事ある人も多いだろう。

ROUGH STUFFではギタリスト。(現在は活動休止中)
バス運転手が生業で讃岐うどんが大好きでブログでの発信もマメ。
みんなのイメージもそうだろうし間違ってない。

90年代のoi!/skinheadをホールで直撃した人物はこの界隈で珍しくない。
その感性持ってバンド始めた人達にハズレはない、と言いたい。

デビューギグが高松なんてどこまでシャレてるんだろう。
ふざけてギグに取り組まないのは彼のブログみればわかるコト。

紆余曲折あったような彼。

とにかく確かめたかった。
レコーディングお疲れ様、次はギグだ!の自分への気合いれたくて高松に向かった。
もちろんうどん巡りもしながら。

緊張持って観戦したかったからギグスタートまで彼と顔合わせないようにしてたけど、あっさり顔をあわせてしまった。
だって彼、スタート寸前にホールおるんじゃもん!

そうか、自然体で臨むか・・
んでスタート!

・・・ビビった、とにかく予想と全く違うサウンド。
いわゆるoi!oi!サウンド、コーラスでなくマイナーコード多用したハードコアではないハードパンク!
ありきたりではないサウンド、この音は国内では例えようがない。
んでコーラスも冴えてるし情熱的なドラム、安定してるギター&ベース。
何よりデビューと思えないトミー君のシンガーとしての佇まい。
UKパンク聴きこんでなきゃでないだろうサウンドとステージング。

シャウトしながらファニーなアクションする彼にoi THE VIDEOを連想させられてもう俺やられっぱなしだった。
PETER&TEST TUBE BABIESのカバー「JINX」もバツグンで敢えて言えばこのバンドのサウンドの雰囲気にマッチしていたように思う。

ほら、もうどこにも属さないサウンドって感じじゃろ?
いそうでいなかったのはこのサウンドは簡単ではないしセンスが絶対にいるんじゃないかなぁ。

音源に期待せずにいられない彼ら。
どこかで一緒にギグができたらいいなと心から思うよ。
その時は綺麗な白ボタンダウンがギグの回数と共に汚れてむしろカッコよくなってるよね、きっと。

トミー君も俺もこれからだ!




この真っ白BDの特注エリは彼のウルトラフェイバリットLRFシンガーを意識したかった!との思いから。この時点で間違いないよね、もう。wanna beな気持ちで動くって大事と思う。





レコーディングを経て。

2014-02-27 21:59:00 | ucchhy
ホッとするという事は全くなくむしろ気持ちがヒートしている。

3日前にベーシスト井上が記したようにフライアーズ初のレコーディングをラフミックスまで終え後は最終ミックスのみとなった。

本当は新曲というよりいつもやってるパンクナンバーを収録しようと思っていた。
自分で言っちゃアレだけどシンプルでキャッチーな必殺ナンバーのつもりだったし。
ところが今年入ってある日のスタジオでドラマー亮一が
「新曲作ったからきいてみてくれ」と。

曲作りや部屋で弾いたりしたいからギターを購入したと言っていたがスタジオにわざわざそのテレキャスターを持ち込み披露した。ドラマーだし嗜む程度かと思ってたしお手並み拝見気分で聴いてみると・・

驚いた事に前途した本来のレコーディングナンバーよりシンプルで不思議な雰囲気のナンバーだった。
暗黙の了解とはこのコトか、この時以来ずっとこのナンバーを練り込むようになった。

実際こんなにシンプルなナンバー初めてだけど何だか楽しくなってきた。
これでイケるか心配になっていながら。

それでもまだ予定曲の方がイイんじゃないかと俺自身は腹が決まらないまま、いよいよレコーディング当日。

実は年が明けてから問題があった。
シンガーマサミツの生業がこの上ない激務スケジュールだったのだ。
スタジオに仕事着でやってきてスタジオ終ればまた業務に戻るという。
そりゃ調子もでない。
フライアーズのギグを観て頂いた人はわかると思うがフライアーズは何と言ってもイケイケなシンガーの歌いっぷり、シャウトっぷりが肝だ。
仕事の合間を縫っての練習練習だった。

まずい・・
やばいよ、間に合わないわ、これ・・
従来のナンバーでやっぱいこうよ

そうは言ってみたがリリックまで書きあげた亮一は大丈夫、やれるとこまでやる!
と言って聞かない。

この頃には俺は彼らを信じてみよう、以前から俺と全く違うセンス、そこに惚れ込んだのだから・・と自分に言い聞かせた。

あのね、ただ「音の趣味が合う」「仲が良い」それだけでこのバンド組んじゃないよ。
この距離を飛び越えて、非効率なやり方でも真剣に取り組める、腹を決めたはず。
だからいまこのバンドがあると思う。
ちっぽけな俺の価値観を凌駕できる何かを3人が持ってるんじゃないかって。

やはり仕事で遅れるシンガー以外のバック3人で新曲含む2曲を気持ちよくレコーディング。
予定よりやや押して到着との事でさらに既存曲をもう1曲録音。

主役は遅れてやってきた。
片手には缶ビール。

あれ?調子戻してる!

ここからはマサミツと亮一、この実兄弟2人の底力を発揮!
歌い回しのチェックを徹底、スタジオでは疲労感たっぷりでリハに身の入らなかった事がウソのように歌い方にもいつもの彼、いや初めて聴く部分もあり、にレコは進んでいく。

でも時間は残酷だ。予定時間の終わりが近づく・・
日を変える、つまり俺は帰福せねばならんから歌入れに立ち会えないのを覚悟したけど・・・なんと歌いきった!
ゴールイン!
4人で完成した!
いやそれどころか最後のボーカル被せを関野3兄弟イチの男前三男坊も遊び心で参加。
5人で完成した!!

ラフミックスを色んな角度から聴きつつ彼らを信じて良かったという気持ちとそれでも少しの戸惑いを感じた自分を恥じた。

生きてるなぁ俺。
文章にすれば軽く聞こえる言葉かもしれないが本当にそう思ったんだ。
このバンド組む前、何もかもうまくいかず劣等感しかなかった。
焦るなという方が無理だ、バンドやりたくて仕方なくてもう何年たつんよ・・

だからホッとすることなく気持ちがヒートしてるんだよ、俺。
周りからみりゃマイペースかもだけど一歩ずつ噛みしめてまた次のアクションをしよう。

早くみんなに聴いてもらいたいな。

しつこいけど最後にもう1回。

ヒートしてるよ、俺。


福岡の名所!お世話になりました!


これリビングでギター弾いてるんじゃないよ、絶賛音録り中。


自分の音をいちばん持っているベース井上!しかもほぼノーミス。


今回の使用マイギター。広島・福山から発送したよ。


ここでこのリリックを彼は歌いきったんよ。


ラフミックスをチェックする4人。


終ってしまえばこの表情の俺とマサミツ。