浮き世で三昧・狛犬三昧

森羅万象に思いを馳せる

港区にある「久國神社」の狛犬さん(2017年夏訪問)

2023年05月14日 | 狛犬シリーズ
2年半ぶりくらいの更新だろうか。コロナ禍に入って電車にも乗れず、狛犬散策の旅に出られず、新しい狛犬さんたちとの出会いもない中で、かつて撮影した写真の整理ができるかと考えていたが、案外できないものだった。

2年半ぶりにgoo blogにログインしてみたら、テンプレートも削除されて淋しいブログになっていた。テンプレートが反映されるよう、2017年盛夏に訪れた「久國神社」の狛犬さんの紹介をもって、コロナ以前に撮りためていた写真をアップしていこうと思う。

「久國神社」の「久国」とは、鎌倉時代の刀工・粟田口久国作の刀が奉納されている事に由来する神社名だそうだ。まずは神社がどこにあるかをご紹介。六本木など、仕事でもない限り決して近寄らない大都会だが、狛ちゃんとの出会いがあると、あっという間に心やすい場所にも感じたりする、ゲンキンなものだ。


東京、赤坂氷川神社の狛ちゃんを見たくて大都会に出てきたのだが、その帰りにたまたま出会えたのがこの「久國神社」の狛犬さんたちだった。道を歩いている最中に気配を感じ、はたと立ち止まって周りを見回してみたらこの狛ちゃんたちが佇んでいた。


「吽」の狛ちゃんにツノがあり、「阿」の狛ちゃんにはツノがない。そして、どことなく護国神社系・筋骨隆々の体躯を持つグループの一角を担うスタイルだ。




このパターンは他の神社(例えば大國魂神社)でも見かけたことがある。ツノのない狛ちゃんの頭のてっぺんが少し凹んでいたりしたのだが、この久國神社の狛ちゃんの場合、台座が高くて頭のてっぺんを見ることはできなかった。ツノのある狛ちゃんとない狛ちゃんとを組み合わせて並べているのか知りたいと思いながら、詳しく調査をしないまま時が過ぎている。課題のひとつだ。

よくよく見ていくと、久國神社の狛ちゃんのデザインは、ツノだけでなく、全体で全く異なっている。顔の周りの毛のデザイン、立髪のデザイン、前足の羽根毛のデザイン、全部が異なる。尻尾はほぼ同じようには見えるが、もっと同じ角度で撮ったら違いが判別しやすくなるのかもしれない。「阿」の狛ちゃんの場合は全体的にどこもかしこもカーリーヘアの丸みを帯びたデザインで前胸に羽根毛が描かれており、「吽」の狛ちゃんの場合は一本一本がイキイキとした直毛で前胸の羽根毛はない。
「阿」の狛ちゃん。


「吽」の狛ちゃん。


後ろ側から見ても違いは明らかだ。写真で確認して初めて気がついた。記録は残しておくものだと実感させられる。
「阿」の狛ちゃん。


「吽」の狛ちゃん。


尻尾は蕗の薹タイプと言おうか、丸みがある根元のデザインと、これからまさにダイナミックに花開かんとする蓮華や蓮のつぼみに似た部分とからなる素晴らしいデザイン。


この狛ちゃんたちが作られたのは昭和18年ではあるが、デザインはそれ以前のものを踏襲してるのではないかと思われる。この神社の境内には打ち捨てられた古い狛ちゃんの残骸はなかったので確かめようもないのだが、そんな気がする狛ちゃんだった。

東京、赤坂氷川神社の狛犬さん、その6

2021年01月25日 | 狛犬シリーズ
赤坂氷川神社には7対の狛犬さんがいたのだが、見事にみんな異なるデザインだった。1回で7度おいしい、狛犬ファンにはたまらない神社である。今日紹介するのは本氷川坂に面した山口稲荷の前の狛犬さんだ。どことなく、パグ犬のようでもありチワワのようでもある。


「阿」の狛犬さんの前足はどことなく簡便な作りに感じられた。前足の後ろ側に生える羽毛は描かれており、立髪の毛が前にはためいているような彫り込みが入っている。象の足のようなスルッとした前足とツルッとした胸元が印象的だ。


耳は寝耳で、目にはうっすら金色が残っている。顎髭の縁には少しだけ渦巻き模様が見られる。


後ろから見ると確実に江戸風の尻尾であることがわかる。左右にパパサリと分かれた渦巻きの流れ尻尾で、左右で巻の数が違うタイプだ。背中は前足のスルッとした様子と比して筋骨隆々としており、そのギャップに驚かされる。


「吽」の狛犬さんは、超特急で直進していたところを突然左折する、まさにその瞬間を描いたのだろうかと思う体の塩梅だ。おでこの巻げや耳の下の巻げ、口の端の巻き毛は同様なのに、「阿」の狛犬さんと異なるのは胸に渦巻きの形をした何かをつけていることだ。前足も筋張った感じに見えなくもない。


「吽」の狛ちゃんも「阿」の狛ちゃん同様に口を開けている感じがするのだが、気のせいだろうか。


やはり「吽」の狛ちゃんも背中は背骨と筋肉(肋骨か?)がはっきりと見て取れるデザイン。尻尾をじっと見ていると蓮の花のようにも見えてくる。尻尾の毛と立髪とが1本1本、見事に立体的に描かれていることに、後ろから見て初めて気づいた。


文政8年(1825年)、江戸後期生まれの狛ちゃんだった。

東京、赤坂氷川神社の狛犬さん、その5

2021年01月11日 | 狛犬シリーズ
赤坂氷川神社、5対目の狛犬さんは社殿に入る楼門手前の、そのまた手前に鎮座していた。看板やら木影に隠れてしまっていて、どこにいるかは判別しづらい。


まずは「阿」の狛犬さん。大樹と看板に2方向を囲まれていて、撮影すると真っ黒になるか色が飛んでしまう。まだ絞りを上手に扱えてない写真だが、表情やデザインや子狛ちゃんの様子をみることができるだろうか。狛ちゃんの口の中が赤い。


子狛ちゃんの尻尾も、小さいながらもたなびく風なデザインだ。親狛ちゃんの左前足に庇護されているかのよう。尻尾を落としている様子を見ると、この子狛ちゃん、怖いことがあって怯えているんじゃなかろうかと心配になる。


角度を変えて。。何かに驚いて親狛ちゃんの懐に飛び込んできたところだろうか。


渦巻き毛で顔の周りが覆われている、関東でよく見かけるデザインの狛ちゃんだ。


横から見ると直毛箇所も美しくなびいている。前足や体躯の筋骨がとてもたくましい。


隆々とした背筋、左右に双極した尻尾。右側にたなびいた尻尾には2巻の巻き毛、左側にたなびいた尻尾には3巻の巻き毛。ときに左右両方ともに3巻ある尻尾の狛ちゃんを見ることがあるが、関東では、2巻と3巻の組み合わせが一番多い気がする。渦巻き毛の数が左右で違うのは、一体なぜなんだろう。


「吽」の狛ちゃんの足元にも子狛ちゃんがいた。この子狛ちゃんは親狛ちゃんに構って欲しい気持ちが強くて、足元に戯れついているようにも見える。生き生きとしたデザインだ。


そんな好奇心旺盛で遊び心満載の子狛ちゃんの尻尾は当然立っているわけだ。


この狛ちゃんたちは、弘化3年(1846年)、江戸時代の生まれだった。

東京、赤坂氷川神社の狛犬さん、その4

2021年01月06日 | 狛犬シリーズ
赤坂氷川神社の4番目の狛犬さんは、西行稲荷の向かって左側にある階段の手前に立っていた。彫りの深い、メルヘン系の狛犬さんである。高い台に座っていて、ある一定の角度からの撮影だけになりそうだ。


「阿」の狛犬さんを見てみよう。立派な巻き髪をそこかしこに持つ、なかなか洒落た狛犬さんだ。額、顔の横、顎髭、尻尾、たっぷりとした巻き毛に囲まれて座っているかのようだ。


真横から見ると、巻き毛と風にたなびく立髪や尻尾がバランスよく組み合わさって、毛並みの豊かさを感じさせる。風にたなびくストレートの毛が見事な房として彫り込まれている。ウフィツィ美術館のボッティチェリ作「ヴィーナスの誕生」を想起させる。


尻尾側から見てみよう。関東でよく見られる双極にぱさりと分かれた尻尾。この狛ちゃんの尻尾には両サイドともに3つの巻き毛が彫り込まれている。台座の下まで流れるように垂れ下がり、生きているかのような躍動感のある尻尾だ。


丸みを持って描かれた体躯。前足と上半身の絶妙な丸みのバランスが、この狛ちゃんに柔らかな印象を与えているようだ。


「吽」の狛犬さんの立ち姿はこちら。鋭い視線を持った狛ちゃんであるにもかかわらず、体の至る所に彫り込まれた渦巻のデザインによって、メルヘンの要素が前面に出てきている。現実の世界でも同じことが言えるのではなかろうか、そんなことをふと思ったりした。


正面から狛ちゃんを見た途端、小さい頃に読んだ学研まんが「卑弥呼」の中で、ムロタニツネ象さんによって描かれていた卑弥呼の弟を思い出してしまった。髪型のせいだろうか。


羽二重餅のようなぽってりとした耳を持つメルヘン狛ちゃんは、大正4年の生まれらしい。


肉感的でありながらもお伽話の中にいるような姿。複雑で多面性を持ち合わせた、ひとつの形容詞だけでは言い表せない狛ちゃんだった。

【ようこそ、2021年】東京、赤坂氷川神社の狛犬さん、その3

2021年01月04日 | 狛犬シリーズ
毎日400文字書き続けることに挑戦しようと思ったのに早速サボってしまった。今日また再起しようと筆を取る。

新年最初に紹介するのは、これまでの我が狛犬人生の中でも忘れられない10対の1つであることは間違いない印象深い狛犬さんだ。彼らは社殿に入る楼門手前の木陰にひっそりと佇んでいた。


彼らは大樹や灯篭や天水桶に囲まれて、狛犬さんに関心のない人ならおそらく見逃してしまうような場所に佇んでいた。ともすると、両手で抱えられそうな小さな体躯。彼らに出会った瞬間、私の息はとまった。


なんて、なんて可愛いのだろうか。「阿」の狛犬さんが笑っていた。息をするのも忘れて近寄りその体に触れていた。糸魚川の能生で出会った狛犬さんと同様に、もはや言葉はいらない。


横からも拝見。ウインナーが何本も並んでいるような髪型といい、マリー・アントワネットのようにたっぷりとカールした立髪の裾といい、ウシガエルのようなお腹と後ろ足といい、草食動物のような粒のそろった平たい歯がびっしり並んでいる口元といい、短いポッチャリした前足といい、見れば見るほど目が離せなくなる。


斜め前方からみたこの躍動感はどうだろう。今にもその後ろ足で力強く地面を蹴って飛び出していきそうだ。


後ろ姿がこちら。頭上の穴よりも尻尾の形が気になる。これは1600年代生まれの狛ちゃんに比較的よく見られる聖徳太子の笏(しゃく)風だ。上部が不揃いの長さである様子、付け根に様々な珠飾りがついている様子が実に美しい。立髪は左右にしっかり分かれている。


「吽」の狛ちゃんは木々と苔むした緑の中に微笑んで佇んでいた。


穏やかに微笑んだ狛ちゃん自身の体もすっかり苔に覆われていた。柔らかい表情の目をしてこちらをじっと見つめている。狛ちゃんの丸い胸板が、小さな体のどこに閉じ込めているのだろうと思わせるような、何か、躍動するエネルギーを感じさせてくれる。


じっと見ていると体温を感じてこないだろうか?


この狛ちゃんの目はアーモンド型をしている。ギリシャ彫刻のような神々しさすら感じさせる、切れ長な目。よく見ると顔横の巻き毛は右巻きに渦巻いているが、立髪の巻き毛は左巻きに渦巻いている。凝ったデザインだ。


「吽」の狛ちゃんの耳はわかりやすい丸い垂れ耳だ。体の流線型の彫りの美しさはどうだろう。1600年代の石工の方の力量に舌を巻く。


やはり「笏」の形をした尻尾。「吽」の狛ちゃんの尻尾の先は残っていた。貝殻の縁を思わせる見事なデザインだ。


延宝3年、1675年生まれの狛犬さんたちとの出会いは感動の連続だった。フォルムの美しさに見惚れて、私は彼らのそばから小1時間ほど離れることができなかった。

東京、赤坂氷川神社の狛犬さん、その2

2020年12月28日 | 狛犬シリーズ
「赤坂氷川神社の狛犬さん、その2」で紹介するのは、「西行稲荷」の前にいた狛犬さんである。もうとろけてしまって原型をほとんどとどめていない。どこにいるかわかるだろうか。


まずは「阿」の狛犬さん。苔むして翠色になっている。顔の前にはお茶とお神酒がお供えされていた。箒草タイプの尻尾にも見える、もこっと盛り上がったタイプ。前足は伏せの姿勢をしているのだろうか。もしかしたらお尻を上げている出雲族系狛犬なのかもしれない。


上側面から見てみる。立髪は複数の房によって構成されている、狛犬の中では比較的ストレートヘアに入る部類ではなかろうか。頭に近い毛だけがくるくると巻いた形で、さぞかし美しい狛犬だったのだろうと我が妄想は広がっていく。お尻の付け根あたりの毛は渦巻いているようだ。


狛ちゃんの間の階段を登って、上から撮影してみた。あれ、狛ちゃんの尻尾と思っていた部分が、なんだか2頭の狛ちゃんが並んで座っているようにも見える。目の錯覚だろうか?2頭いた記憶はないので体躯の一部だったのかもしれないが、なんとまぁ体躯の流線の美しいことか。翠色の深さに吸い込まれそうになりながら、狛ちゃんの造形の美しさに見惚れてしまう。


「吽」の狛ちゃんの顔は落ちてしまっていた。「阿」の狛ちゃん同様に、お茶とお神酒がお供えされている。腹の側面の、前足と後ろ足の間に、丸い毛玉が4つほど彫り込まれているようだ。この丸い彫り物のおかげか、狛ちゃん全体が与える印象は顔のない衝撃を飲み込んで、むしろまろやかだ。一体どんな顔をした狛ちゃんだったのだろうか。関西では、落ちた顔をその場に一緒に置いておいてくれたりする神社もあるので、もしかしたら顔がどこかにあるかもしれないと思ってあたりを探してみたが、見当たらなかった。


尻尾の方から見てみよう。やはり箒草タイプのそそりたつ尻尾に思われる。尻尾の裾には丸い毛玉が彫り込まれている。首から体にかけてのなだらかな脚線美。さぞかしたおやかな狛ちゃんだったに違いない。


個人的に尻尾のデザインの中で箒草タイプが一番好きだからだろうか、この二対の狛ちゃんから離れがたい心境だった。朽ち果ててしまう前に出会えただけでもありがたや。

東京、赤坂氷川神社の狛犬さん、その1

2020年12月26日 | 狛犬シリーズ
今日から7回シリーズで紹介するのは、東京は赤坂氷川神社の狛犬さんたちだ。この神社はもしかしたら狛犬愛好家のあいだでは有名なのかもしれない。最近買った狛犬本でも紹介されていた。


まず第1回目の今日は、「氷川坂」に面した鳥居の前の狛犬さんを取り上げる。ちょど諏訪大社上社本宮の正面入り口に座っていた狛犬さんや、東京千駄ヶ谷の鳩森神社の入り口に立っていた狛犬さんにそっくりである。筋肉質で豪壮なタイプの狛犬さんだ。


すごく高い位置に座っている上に大きいため、下から写真を撮ることしかできない。「阿」の狛犬さんから見てみようと思ったら、「阿」の狛犬さんの位置にいる狛ちゃんのほうが口を閉じている。鼻は幅広で耳は立ち、胸板は厚く、前足は筋肉が浮き立つほどのムキムキさ。肩は玉のように盛り上がっている。


横から見てみよう。体躯は引き締まり、肋骨が浮き立っているようにも見える細身だ。前足に比べて後ろ足がほっそりしているのも、この手の豪壮系狛ちゃんたちの特徴のひとつだ。前足が少しずつ前後にずれていることもわかる。立髪は短いが雷神のように四方八方に向かってたなびいている。後ろ足の表面がモコモコしているのはなぜなのか、上から眺めることができないのでまったくわからない。


斜め後ろから見てみよう。尻尾は細めで優雅な海藻風だ。なんとなく波にゆらゆら揺れているようにも感じられる彫られ方である。前足と後ろ足両方に羽毛が翻っているのも美しい。


「吽」の狛犬さんの位置に座っている「阿」の狛犬さん。首元にマントの留め金のような玉模様が彫り込まれている。こちらは耳が寝ているデザインだ。


「吽」の狛ちゃんの横姿。渦巻いた毛と尖った毛が明確に掘り分けられている。尖った毛は恐竜の背の角のようにも見えて、どことなく瑞々しい。


「吽」の狛ちゃんの後ろ姿。立髪は蓑虫の箕を彷彿とさせるではないか。そういえば最近、蓑虫をまったく見かけていない。子供の頃、蓑虫を見つけてはよくその蓑を剥いていたものだったが、ついぞ剥き切ったことはなかった。


長らく更新もせず放置状態であった我が狛犬三昧ブログ。ご訪問くださる皆さん、本当にありがとうございます。撮り溜めている我が狛犬さんたちの写真を少しずつ整理していこうと改めて決意したのが数日前。新型コロナウイルスの大流行で電車にも乗れず、お正月の2日間以外、2020年は狛犬さんに会いに行くことができないままもうすぐ終わろうとしている。いつまで生きられるのかわからないが、我が人生、生命が尽き果てるその日まで、日本全国の狛犬さんと出会う探索の旅を続けたい。外に出られない今、切実にそう思っている。

埼玉県所沢市、多聞院毘沙門堂の狛寅さん

2020年12月24日 | 狛犬シリーズ
多聞院毘沙門堂の前には、虎が毘沙門天の化身とされているためだろう、狛虎さんがいた。


多聞院の狛寅さんは、チーターのように細身で優美な曲線で彫られている。「阿」の狛寅さんを見てみよう。顔から体から尻尾まで、全身に横線の彫りが入っている。顔の中に細かく掘り出されているボーダーのデザインをじっと眺めていると、京劇の「西遊記」に出てくる孫悟空の隈取りを見ているような錯覚に陥る。見れば見るほど不思議な表情だ。ひょうきんにも見えれば寂しげにも見える。尻尾は今にもふわりと動き出しそうだ。


胸からお腹にかけて隈取りがなかったことは、自分の撮った写真を拡大してみて初めて気づいた。狛寅さんの口元は赤く、少し開いている。そして並べて置かれている「身代わり寅」の数々。


「吽」の狛寅さんがこちら。足元の「身代わり寅」の黄色い体色と紅色の紐が、苔むした狛寅さんと妙にしっくりくる。「吽」の狛寅さんの口元にも紅がうっすらひかれていた。ずいぶん首を下げているが、その瞳はどこを見つめているのだろうか。


曲線の優美さを実感できる最後の1枚。前足の柔らかい湾曲美には、石工の想像力を垣間見ることができる。


制作は慶応2年(1866年 寅年)らしい。

埼玉県所沢市、多聞院毘沙門堂の独りきりの狛犬さん、その2

2020年12月23日 | 狛犬シリーズ
多聞院は空間が美しいお寺だ。植物の蒼さと深さ。枝振りといい植物の覆いかぶさり具合といい、どこを切り取っても様々な石像と融合している。飛び石ですら自然で、周りの木々と溶け合うように配置されていて、息をのむほど美しい。

そんな中に独り、ポツンと存在している狛犬さんがいた。「吽」の狛犬さんじゃなかろうか。


相当古いのだろう、体全体が苔むし、顔の判別もつかない。おそらく豊かな巻き姿の尻尾があったであろうお尻部分はかけてしまっている。独りっきりの狛ちゃんを哀れんでか、「身代わり寅」がいくつか置かれていた。「身代わり寅」とは毘沙門天の化身とされる虎に因んで、このお寺で行われる「寅まつり」や初詣で奉納されるものだ。

狛ちゃんを斜め後ろから見てみると、関東風の立髪を持つことがわかる。


立髪も尻尾と同様に左右にたなびいていたのではないだろうか。狛ちゃんの向こう側には回れなかったので半身しか見ていないが、そんな気がする。顔の横には巻き髪がいくつか描かれている。繊細な作りだ。

相方の「阿」の狛ちゃんはどこへ行ったのだろうか。いつまで一緒にいたのだろうか。ひっそりと植木の間にたたずむ狛ちゃんを眺めながら、会うことの叶わない「阿」の狛犬さんの姿を思い浮かべていた。


埼玉県所沢市、多聞院毘沙門堂の狛犬さん、その1

2020年07月24日 | 狛犬シリーズ
所沢市中富の「神明社」にいる狛ちゃんたちを紹介したが、真正面に立ち、道路から向かって右側には「神明社」と並んで「多聞院」がある。この多聞院には狛犬さんがいた。毘沙門天の御使が虎であることから、中に入ると狛虎さんもいた。狛虎さんや虎まつりの際に用いられる「身代わり虎」さんの紹介は次回に譲ろう。


多聞院の真正面の階段を上ったところに、大きな狛犬さんがいた。


関東でよく見るタイプの、体の右側と左側両方に流れるような尻尾を持った狛ちゃんだ。「阿」の狛ちゃんはこちら。垂れ耳タイプ、前髪あり、そして前足の付け根に渦巻きとたなびく毛の彫刻が入った作り。


よく見ると、顎の付け根にも渦巻きとたなびく毛が描かれているだけでなく、顎の下にも渦巻きがある。


前足を凛々しく作りながらも、足はか細い彫りになっている狛ちゃんをよく見かけるが、この狛ちゃんは後ろ足も前足同様しっかり描かれている。それ以外の体躯部分はわりとさっぱり、つるりとしたデザインだ。


「吽」の狛ちゃんはこちら。顔の周りの渦巻きが美しい。鼻梁に皺を彫り込んで、細かい表情を描き出している様子は見ていて楽しい。胸板の厚みも相当だ。


体躯をつるりと描く一方で、前足の爪と肉との境目に毛並みまでも彫り込んでいる。細部にこだわりを感じるではないか。


たなびく尻尾の毛が狛ちゃんの座っている台座から流れ落ちているかのごとき彫り具合には、石工の粋を感じてしまう。

埼玉県所沢市中富の「神明社」内にある「いも神社」の狛犬さん、その2

2020年05月31日 | 狛犬シリーズ
1月以来半年ぶりの更新になってしまった。新型コロナウイルスの影響で新しい狛ちゃんの写真は増えないから過去の溜まりに溜まった狛ちゃん写真の整理ができるかと思いきや、意外にも在宅勤務以外でパソコンに向かうのが億劫になってしまうとは。

今日は半年前にアップした埼玉県所沢市中富の「神明社」の中にある、「いも神社」の「甘藷ノ神(通称『いも神さま』」を紹介する。供えられているのはやっぱりサツマイモ。


江戸時代、武蔵野台地の夏の干ばつで苦しむ農民の苦境を救うべく、サツマイモの栽培導入と普及が開始されたそうだ。サツマイモの普及では青木昆陽先生が有名だ。この地でサツマイモの栽培が開始された年より255年経ったときに記念して作られた神社で、干ばつ時にもできるサツマイモに感謝して「いも神さま」が祀られるようになったそうだ。導入と普及に尽力した名主の弥右衛門さんの功績も称えているという。
私の撮りためている狛犬さんの方向性とは違うのだが、川越いもの発祥であるこの地の新しい神社として記録にとどめておこうと思う。


まずは、「阿」の狛犬さん。眉毛、たてがみ、尻尾、首回りの毛、口髭、あご髭、全てが渦巻き様式である。ここまで耳が小さい狛犬さんも珍しい。


特に尻尾からは関東の狛犬作品の特徴が見て取れる。片方がみつ巻きでもう片方がふたつ巻きのたなびく尻尾。平成18年11月生まれ。


足元にはどうやら3本のサツマイモがあるようだ。


「吽」の狛ちゃんも見てみよう。「阿」の狛ちゃんがまっすぐにサツマイモを踏んでいるのに比して、「吽」の狛ちゃんがサツマイモの上に置く前足は優美な曲線を描いている。大きな目に愛くるしさを感じ、ひょうきんな笑顔に目が吸いつけられる。おでこの肉付きの良さも比類無し。


「吽」の狛ちゃんの尻尾は不思議だ。左右にたなびく尻尾があると同時にお尻の真ん中に笑顔に見えなくもない線が刻まれている。何だろう。


近づいてみても、やっぱりわからない。。


「吽」の狛ちゃんの足元にはサツマイモが一本。サツマイモの持つデコボコ感が存分に描かれているだけでなく、ボックリした膨らみのある作りに仕上がっている。今にも食べられそうなサツマイモだ。


こちらの鋳物の狛ちゃんたちは川口鋳金工芸研究会の方々による作品で、監修は鋳物師の鈴木文吾氏。


サツマイモの新鮮な感じが伝わってくる今日の一枚。サツマイモの葉っぱと蔓まで手を抜かぬ、川口鋳金工芸研究会の方々と鋳物師の鈴木氏の行き届いた細やかさに思わず笑みがこぼれる。

埼玉県所沢市中富の「神明社」の狛犬さん、その1

2020年01月05日 | 狛犬シリーズ
8月以来アップしておらず、あっという間に半年経ってしまった。もう3年分の写真が溜まっている。時間は飛ぶように過ぎてゆく。

今日は所沢市中富にある「神明社」の狛犬さんを紹介。この地域は1694年以降に開墾されてできた土地で、地域に集住を始めた人々のために作られた神社らしい。


緑が鬱蒼として空気も清らかで、呼吸は深くゆっくりになる境内。


「阿」の狛ちゃん。背中にもたてがみが尻尾と同じように渦巻いてたなびいている。そのたてがみが尻尾まで届くほどに長いのは珍しいかもしれない。子狛ちゃんは龍かと見間違うほどの顔の造りだ。


正面から見ると親狛と同じお尻でもあるので、龍ではなくやはり子狛ちゃんなのだろう。


フラッシュをたいたので見づらいが、真横の姿も。関東でよく見かけるタイプの右尻尾3巻と左尻尾2巻のデザイン。


「吽」の狛ちゃんはこちら。鞠の上に軽やかに乗せる右前足の優美なカーブに心奪われる。やはりマントのようにたなびくたてがみ。珍しい。「阿吽」ともに寝耳だ。


阿吽ともに苔が生してすっかり緑色が強くなった狛ちゃんたちだが、明治16年の作でそこまで古いわけではない。鬱蒼とした緑に覆われ、周りには畑が広がっている、そのような環境の影響もあるのだろうか。


神社で祀られているのは天照大神ということではあるが、しめ縄を見てみると出雲の香りがする作風。この土地に最初に住み始めた人々の古い古い祖先は出雲族かしら、などと思いを巡らせる。


次回は同じ神明社内にある「いも神社」の狛ちゃんたち。

またも埼玉じゃないけど東村山市の「金山神社」の狛犬さん

2019年08月31日 | 狛犬シリーズ
東村山市や東大和市というのは東京都に属するのだが、埼玉県との県境にある都市のため、歩いていると容易に両県を行き来してしまうようだ。そんな中で出会った神社の1つがこの「金山神社」の狛犬山たちだ。


突然厳島神社の海に浮かぶ鳥居と同じスタイルの鳥居があった。


金山神社という名前には、鉱山や鉱業、鍛冶などの金属にかかわっていた人々の生活が垣間見られる。どこからやってきた人たちが住み着いたのだろうか。想いを馳せながら由緒書きも撮影。


期待の狛ちゃんはというと。。。岡崎様式のようにも見受けられるが、どことなく変形型である気もしないではない。「阿」の狛ちゃんから見てみよう。


尻尾もたてがみも多くの特徴は岡崎様式を踏襲している。しかしどことなくユーモアがあるのは全体的に上から均等に圧力をかけて押しつぶしたようなサイズの変形があるからだろうか。横に広く縦に短い感じがしないだろうか?


前足の後ろにたなびく毛も生えているが、これも岡崎様式とを感じさせる切り込み方である。しかし鞠はないようだ。変形といえども岡崎様式には珍しい気がする。


やはり後ろ髪もひげも尻尾の様子も肉付きや毛のなびかせ方も岡崎様式に香りがする。


「吽」の狛ちゃんも見てみたい。前足の短さ、上から下に下がるとともにキュッと細くなる前足の様子にどことなく笑いを催してしまう愛らしさがないだろうか。石工さんのセンスの良さを感じさせる。


体の横にボコボコと玉のように筋骨が浮き彫りにされている様子も立派な岡崎様式に感じる。


その一方で、子狛ちゃんが一緒ではない点においてだいぶ異なる。この石工さんだったらどんなふうに子狛ちゃんを描いただろうか、ぜひ見てみたかった。


この狛犬さんたちは、小平市の石工さんによる昭和三年の作品だ。子狛犬をぜひ彫ってみてほしかった。


埼玉じゃないけど東大和市の「清水神社」の狛犬さん

2019年06月30日 | 狛犬シリーズ
東京都ではあるが、埼玉県から歩いてたどり着いた「清水神社」の狛犬さんをご紹介。前回(おまけの前)「氷川神社」の狛犬さんを典型的な岡崎様式のデザインとして紹介したが、今回の狛犬さんはまさに、岡崎様式の変形版の好例だ。出会った瞬間に笑ってしまうほどの愛らしさ。今までも何度か岡崎様式の狛ちゃんがアニメーション化されたような狛犬さんに出会っているが、「清水神社」の狛犬さんもまさにその1つである。


「阿」の狛犬さん。この笑顔についつい引き込まれてしまう。岡崎様式の変形と考えるポイントはなんだろうと自問してみると、耳の形、尻尾の形、ベースとなる顔つき、たてがみのデザインなどで判断しているように思う。


横姿を見てみる。彫りすぎていないシンプルな岡崎様式の香りがする。しめ縄がどことなく出雲大社風な様子も気になる。


「吽」の狛犬さんはこちら。岡崎様式ではよく見かける子狛犬さんはいないが、口の締め具合、牙の生え具合、牙の奥の口の開き具合がやはり岡崎様式を感じさせる。ただし目は正当な岡崎様式の狛ちゃんと比較するとどことなくベルサイユの薔薇的な彫りの深さが際立っている。


やはり耳と尻尾の形には岡崎様式を感じる。ふさふさとして蓑を思わせる重厚な鬣は、この清水神社の狛ちゃんたちの特徴といえそうだ。


平成2年生まれの狛犬さんとの、笑みがこぼれてやまない出会いだった。

埼玉県所沢市、西武遊園地駅そば「氷川神社」の狛犬さん

2019年05月19日 | 狛犬シリーズ
西武線に西武遊園地という駅がある。この近くで見つけた「村社氷川神社」の狛犬さんが今日の主人公。


ここの狛犬さんは私が岡崎様式と呼んでいるデザインの典型的な狛ちゃんだ。


狛犬を観察し始めてからというもの、面白いことに気が付いた。東西を問わず出会うデザインの狛犬さんがいることである。これまでのブログの中で記載済みの狛犬さんの中にもこのデザインの狛ちゃんがいるのだが、愛知県岡崎市の石工によるデザインだそうだ。

岡崎様式「阿」の狛ちゃん。


狛ちゃん観察の醍醐味は、石工の方々の想像力が遺憾無く発揮されている様子に出会えること、そして石工の方々の願いを垣間見ることができることにある。どの狛ちゃんを見ても石工の方々の愛情を感じることがしばしばある。狛犬への興味が尽きないのも、日本全国で様々なスタイルの狛ちゃんを見ることができるためだ。

ところが岡崎様式だけはいつもほぼ同じデザインで、出会うたびに実は私が唯一がっかりする狛ちゃんだった。調べていくうちに、日本全国で岡崎様式の狛犬を見かけるのには理由があることがわかってきた。答えは明治政府にあったのである。

「阿」の狛ちゃん、斜め後ろ姿。岡崎様式の典型的な尻尾デザイン。天に向かって波打つ形で先っぽをヘラでポンと叩いて平たくした感じ。


明治政府ができた後、政権が中央集権国家化を進めるために、神社、天皇、神道を利用したことは史実としても知られているが、実は狛犬業界にもそのような押し付けがあったことはあまり知られていないのではないだろうか。政府が日本全国の石工に、今後神社に据え置く狛犬にはこのデザインのものを用いるように、として岡崎様式を押し付けた結果のようなのである。

「吽」の狛ちゃん。まさにいつもこのての顔立ちで耳の角度や目の形もほぼ同じ。


しかしながら狛犬オタクとして必ずしも諦める必要はないと強く感じているのもまた事実である。石工の方々の粋な計らいかいたずら心かはたまた矜恃か、全国で同じ岡崎様式を見る一方で、岡崎様式をどことなく崩した変形版の狛ちゃんに出会うことがあることにも気づいたからだ。

子狛ちゃんの顔も踏まれ具合もほぼこのデザインである。



今日は典型的な岡崎様式を紹介したが、実に愉快な変形版の狛ちゃんもおいおい紹介していきたい。