浮き世で三昧・狛犬三昧

森羅万象に思いを馳せる

埼玉県川越市「熊野神社」の三足烏

2019年03月10日 | おまけ
埼玉県というのは、武蔵国と呼ばれた地域である。この武蔵国の発展は、朝鮮半島からの渡来の人々の持ち込んだ技術によるところが大きいというのは歴史的にも有名な話だ。もともと、弥生時代から古代にかけて、朝鮮半島南部と日本本土(特に北九州地域)は同じ文化圏の中にあった。海という道を辿って朝鮮半島と日本列島、中国大陸沿海州、ミクロネシアなどの間では頻繁に人の行き来があったのであるが、もっとも近い朝鮮半島と日本列島の間では600年代に百済から、700年代には高句麗や新羅からの渡来が一気に増加する時期である。当時の航海技術は非常に優れていたし、海が陸地を隔てる障壁ではなく、むしろ陸地をつなぐ道だったと言われていることがよくわかる史実だ。

高麗(コマ)という地域が飯能方面にある。700年代に高句麗からの渡来人が開拓した地域である。新座市ももとはといえば新羅郡という名の、新羅からの渡来人が多く住み着いた地域であった。
神社の起源のひとつとして、渡来の人たちが持ち込んだ氏神が始まりであるという説もかなり信ぴょう性が高い中で、なるほどと思う出会いが川越市であった。「熊野神社」である。


神社の中で出会ったのは、三足烏。三足烏は高句麗の天孫のシンボルでもあった。まさかこんなところで出会うとは!平野神社や松尾大社など、すでに渡来系とわかっている神社も多いが、三足烏を見ると、なるほど熊野神社の起源に想像がいくのである。


神社側に朝鮮半島とのつながりを忌む傾向が強くなった中古以降、社名の表記や発音を変えるだけでなく祭っていた神様さえも変えてしまった例が多い(記紀から持ってくることが多い)のは本当に残念である。なので、神社の由緒書きも半ばあてにならないのではあるが、せっかくなので掲載。


神社の起源を知ることは、日本列島の成り立ちや倭人がどこからやってきたのかに繋がる題材だ。残りの人生で、もっともっと深掘りしていきたい。