ここ数年、凶悪事件の件数が増えるに従い、その事件の裁判に対する報道も
増えている。特に、幼い子供を狙った事件が増えており、その裁判に対する
ものが目につくように思う。
だが、正直なところ、ここ最近、食傷気味なのだ。
まだ小学生くらいの可愛い年頃の子供を、理不尽な欲望の餌食にされた親の
無念と怒りが、いかほどのものか、それはどれほど語ろうとも語りつくせる
ものではないだろうと思う。
だが、だからといって、法廷でその被害者の親族が、被告に対して向ける
怨嗟の言葉を、マスメディアの波に乗せて、人々に聞かせる必要があるのだろうか?
この間テレビでながれていた、とある凶悪事件の裁判の報道の中で
被害者の親が、ふたりで、犯人への怨嗟の念を1時間あまりもとうとうと
語ったとされる、その一部を流していたのを聞いている内に
被害者をかわいそうと思う気持ちよりも、嫌気のほうがどんどん大きく
なっていった。
そうでなくても、そういった言葉は、関係ない人間までも傷付けるのだ。
メディアが持つ影響力を、報道する側は、もっとわかって欲しいと思う。
増えている。特に、幼い子供を狙った事件が増えており、その裁判に対する
ものが目につくように思う。
だが、正直なところ、ここ最近、食傷気味なのだ。
まだ小学生くらいの可愛い年頃の子供を、理不尽な欲望の餌食にされた親の
無念と怒りが、いかほどのものか、それはどれほど語ろうとも語りつくせる
ものではないだろうと思う。
だが、だからといって、法廷でその被害者の親族が、被告に対して向ける
怨嗟の言葉を、マスメディアの波に乗せて、人々に聞かせる必要があるのだろうか?
この間テレビでながれていた、とある凶悪事件の裁判の報道の中で
被害者の親が、ふたりで、犯人への怨嗟の念を1時間あまりもとうとうと
語ったとされる、その一部を流していたのを聞いている内に
被害者をかわいそうと思う気持ちよりも、嫌気のほうがどんどん大きく
なっていった。
そうでなくても、そういった言葉は、関係ない人間までも傷付けるのだ。
メディアが持つ影響力を、報道する側は、もっとわかって欲しいと思う。
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