結婚してしばらく経って、夫が「最近の洗剤はすごいな~、ワイシャツの襟とか全然黒ずまないね」と言うので「それはね、わたしが襟用洗剤を付けてから洗ってるからだよ」って教えたら、少女漫画に出てくるいけ好かないイケメンに前髪付いた葉っぱを取ってもらった女子みたいな顔になってた。
この季節山の中とかで突然フラフラ歩いてる人と会うことあるけどアレはエクストリームスポーツの一種である山菜採りの人達だから気をつけろ
死亡率の高さならエクストリームスポーツの中でも最強だ pic.twitter.com/pc8PLHwqau
石原慎太郎が老いぼれてくると橋下徹が現れ、みのもんたが自粛モードになると坂上忍が偉くなり、曽野綾子が炎上すると林真理子がしゃしゃり出てきて、はあちゅうの影が薄くなると北条かやがアップを始める的な現象に、なにかしっくりくる名前をつけたい。
失敗するかもしれませんがやらせてみてください!じゃなくて、もし失敗して落ちたときでも我々が全力サポートするので安心してください!って言って欲しいけど言っちゃくれないのよ支援者という生き物は。失敗するかもしれませんけどね、どうします?選択権はあなたにありますよお母さん?こればっか。
こんな重たい責任を親に押し付けておいて、「チャレンジさせる勇気を持ち、経験を後押ししてあげましょう!」なんて言える支援者ってほんとにお気楽でいいなと思う。私もそういう無責任な立場にいたら、言うだろうけどね。
何度その勇気を振り絞って、お金も時間も無理してチャレンジングなことだとわかってることを支援して、芳しくない結果や本人の不平不満に打ちのめされようと、親は逃げられないのに。支援者なんて所詮は金の切れ目が縁の切れ目で、すぐいなくなるじゃん。
やさぐれててすみませんが、実感としてあるからね。支援者は子どもの熱心な支援者かもしれないけど、親の支援者でもあるとは限らない。このことに気づくまでは、ほんとに死ぬ思いをした。この人たちのいうこと全部きいてたら死ぬ。この人たちは基本的に子どもしかみてない。
親のことは人間じゃなくて「子どもを支援するための手近なツール」ぐらいにしか思ってないんじゃないの、って思うことは何度も何度もありました。こんな風に親が感じて疲れ果ててしまうような支援なんて支援とは言えないんだよ。
支援者という人たちには、ほんとに親や家族のQOLまでひっくるめた提案を自分がしてるのか、っていうことをよくよく考えて欲しいと思います。子ども中心主義が視野狭窄につながって、結局親子共倒れにしちゃったら支援の意味ないでしょ。
「え~?義両親と同居~?私には無理~」「え~?介護~?えらーい!私には無理~」「お子さん、障害があるんでしょう?きちんと育ててすごいやーん。私には無理~」
あんた義両親も高齢者も障害児も、自分の人生にかかってきたら何の躊躇もなく棄てそうやもんなって言い返したことがあります。
クレーマーに謝ってるとたまに「機械みたいな対応!マニュアル通りに接客すればいいとでも思ってるの!?」ってキレてくる奴いるけど、私が人の心を持ってお前の対応したら「死ぬがよい!!!」って言いながら額に飛び膝蹴りを入れてるからね