ほとんどアコースティック・ギターのアルペジオの伴奏のみで歌われる小品。歌詞を見ると、なんとなく「風が唄った日」の世界に近いような気もする(あ、どっちも「風」だ)。
この歌詞、「長い長い道を もう私は行かなくてはいけない」と言いつつ、「昨日鳴る鐘の音」のような決意は感じられない。メロディーラインや甲斐よしひろの唄い方やアコギのアルペジオからは、決意どころか未練すら感じてしまう。「私にとっては お前はただのゆきずりの風」が何を指しているのかは詮索しないけれど、これも失ってしまったがゆえに無理にそう思い込ませているように思える。ともかくこの曲、「ホントは行きたくないんだよね」的な未練を持ちつつ、宿命みたいなものに背中を押されていることを自覚しているがゆえに「行かなくてはいけない」とつぶやいているような気がする。つぶやいている?そうかもしれない。この曲は聴き手に対してではなく、甲斐よしひろ本人に向けて唄われているのだろう。
ちょっと興味深いのは、ジャケット写真のような夜明けを感じさせる、冒頭の「ガラスの動物園のテーマ」に対して、「ゆきずりの風」は、なんだか夕方を感じてしまう点だ。おそらくは、曲のもつ切なさがそうさせるのだろうけど(「夕焼け小焼け」的切なさとでも言いますか…)。で、この曲の切ない感じ、大好きなんだけど、一番の聴きどころは、あえて「曲が終わったあとの余韻である」と言いたい。最後のC#7のアルペジオ(キーがF#mなので完結しない)の終わり切らない感じを引きずった余韻の中、遠慮がちに聞こえるレコード針のノイズ。その余韻を味わうためにも、「ゆきずりの風」は、ぜひレコードで聴くべきだ。
この歌詞、「長い長い道を もう私は行かなくてはいけない」と言いつつ、「昨日鳴る鐘の音」のような決意は感じられない。メロディーラインや甲斐よしひろの唄い方やアコギのアルペジオからは、決意どころか未練すら感じてしまう。「私にとっては お前はただのゆきずりの風」が何を指しているのかは詮索しないけれど、これも失ってしまったがゆえに無理にそう思い込ませているように思える。ともかくこの曲、「ホントは行きたくないんだよね」的な未練を持ちつつ、宿命みたいなものに背中を押されていることを自覚しているがゆえに「行かなくてはいけない」とつぶやいているような気がする。つぶやいている?そうかもしれない。この曲は聴き手に対してではなく、甲斐よしひろ本人に向けて唄われているのだろう。
ちょっと興味深いのは、ジャケット写真のような夜明けを感じさせる、冒頭の「ガラスの動物園のテーマ」に対して、「ゆきずりの風」は、なんだか夕方を感じてしまう点だ。おそらくは、曲のもつ切なさがそうさせるのだろうけど(「夕焼け小焼け」的切なさとでも言いますか…)。で、この曲の切ない感じ、大好きなんだけど、一番の聴きどころは、あえて「曲が終わったあとの余韻である」と言いたい。最後のC#7のアルペジオ(キーがF#mなので完結しない)の終わり切らない感じを引きずった余韻の中、遠慮がちに聞こえるレコード針のノイズ。その余韻を味わうためにも、「ゆきずりの風」は、ぜひレコードで聴くべきだ。