お気づきの方もいるかと思いますが、最近、アルファベットを併記するようにしています
私はカタカナ語に関しては、どちらかと言えば、“より多くの人が使っている表記”を変えてまで、“現地の発音に近い表記”を使おうというスタンスではございませぬ。
ちっともカタカナ表記が定着していない、トニー・マコーレイ(Tony Macaulay)なんかは、現地発音に近いと思われる“マコーレイ”を流行らせたがっていたりします。
この辺のことは以前書きました。
ですが最近、「現地発音を丁寧に調べ、より近づけた表記に変えていこう」という動きが、そこここに見られるようになりましたので、言い訳のように、アルファベット併記作戦をとり始めたのです。
私は、この流れは大いに歓迎です。その方向に進むべきだとは思います。
ですが、以下の議論について、ちょっと考慮しておいて欲しいな、と思うのです。
私の主張は、「カタカナ表記は、できる限り現地の発音が近い方が良いが、徹底は不可能だし、すべきではない」です
どっかで書きましたが、私は、最大で7つの言語が読解できていた人間ですので(←過去の栄光。今はほとんど無理です)、このスタンスは「???」と思われるでしょうが、実はそうなんです。
具体的には「今、普通に使用されている表記を変更するほどじゃない」という感覚です。
そもそも、現地発音により近いカタカナ表記に変更すべきだと考える理由は、大きく2つあるのだと思います。
「相手国に敬意を払う」「より正確な外国語の習得を推進する」
その理由を、「言語の性格」と「文化観と政治観」という2つの側面でご説明いたします。
1つ目「言語の性格という側面」についてですが、これはやっぱり単純に無理があります。
例えば英語で言えば、発音記号をもとに、ルールを策定してしまったら、「香港」を「ホングコング」と呼ぶか、「キングコング」を「キンコン」と呼ぶか、どちらかに妥協しなくてはいけません(笑)。
もう一つ、不可能な好例として、バーズ(The Byrds)が上げられます。
バーズは恐らく、これ以外のカタカナ表記はありえませんが、私の経験上、日本語の「バーズ」は、アメリカ人に通用しませぬ。
「R」の発音がないのもそうなんですが、イントネーションが違うからです。「彼氏」のイントネーションではなく、「教師」のイントネーションが近い。
※これは実話。私の友人が「バーズ」と伝えて、アメリカ人に通じず、「ミスター・タンブリンマン」って言ったら分かってくれました。
逆転の現象が、ジョージ・ハリソン(George Harrison)。
一時期、「こっちの方が現地に近いんだよ」と、「ジョージ・ハリスン」という表記が流行りました。
が、これは多分、日本人が「ハリソン」と呼ぼうが、「ハリスン」と呼ぼうが、現地人に通じるはずです。
これは母音のつかない「S」を、「ス」と書いた方が良い、というアイデアだったのでしょうが、サ行は日本語の中では比較的、母音の存在感が薄いため、支障が少ないんだと思います。
つまり、現地の発音に近いはずの「バーズ」という表記は通用せず、現地の発音に遠いはずの「ハリソン」という表記は通用する。
こんな例はおそらくもっとあると思います。
その上で、日本人としての発音のしやすさは最低限確保したい、とも思います。
タイガースやヤンキースは、もはや慣れ不慣れの次元でしょうけども、「タイガーズ」「ヤンキーズ」という発音に、多少の難しさがあるかと思います。
「ママズ&パパズ」とか。
ですので、私はウィリアムス(Williams)さんは、極力「ス」で書いています。
もちろん、正しくは「ウィリアムズ」。
でも、ちょっと発音しづらいし、「ス」で十分通じると思います。
また、「カバー」と「カヴァー」は迷いますが、「布団カヴァー」は違和感あり。よって私は前者を使う方が多いです。
前者なら「ヴァージョン」とくっつけますが、「カヴァーヴァージョン」となったら見苦しいですし
ちなみに、タイガースとか以上に、今使っている発音を、今更変えられない地域があります。
中国です(笑)。
我々があそこを「チョングオ」と呼ぶようになる可能性はメチャクチャ低い
後半の議論にもつながりますが、「現地に近い発音で表記しよう! でも、一部の国は無視しよう!」なんてスタンスはまずい。
現地発音が、相手国への誠実な姿勢につながるのであればなおさら。
続いて、「文化観と政治観」という側面についてです
これは、“日本やアジアが欧米に合わせて、欧米が日本やアジアに合わせない”ということを「是」としすぎじゃないか、というお話。
最大のポイントは、我が国の国名を、現地の発音、つまり「にほん」という音で表記している国などない、ということです。
大半は「ジャパン」に近いですよね。国名コードも「JPN」。
紙幣ですら、「H」を発音しないフランス語系の人たちに考慮して、間違いではないですが、そんなに使う機会の多くない「Nippon」が採用されるほど。
これだけ、譲歩しているんですから、何もそんなにへりくだって、(言語上の大きなカベにわざわざ挑みながら)「英語の発音に近づけよう」なんてしなくて良いのでは、と思うのです
例えば、日本人が海外に行くと、「コウスケ・キタジマ」とか呼ばれる訳ですよね?
でも、ウィルソン家のブライアンは、日本で「ウィルソン・ブライアン」とは呼ばない訳です
留学生のトム君が、日本での授業中、先生に指される前に、ドンドン発言したら、「これが欧米の習慣なんですね。皆も見習おう」ってなりがちですが、
留学生の山田君が、アメリカでの授業中、先生に指されるまでは、少しも発言しなかったら、「これが日本の習慣なんですね。変えた方が良いよ」
ってなるのが当然すぎるのも、ちょっと立ち止まって考えてみたくもなるんですよね。
いつもいつも、向こうのルールに合わせている我々が、現地の発音から遠いカタカナ表記をして、「これが日本流の発音なんだ」と堂々としてても許される、と思ったらまずいですかね
良いじゃないですか、全部日本人が使いやすいような発音に変えちゃっても。
そしたら、正しい外国語が身に付かない! と言われるかもしれませんが、僕はそれはないと思うんですよね。
インド人やラテン・アメリカ系たちの使う英語なんて、発音はムチャクチャな訳ですよ。でも、日本人よりは英会話が上手な訳です。
また、日本語の通訳をしている外国人の日本語発音も、結構おかしいですよね? でも、彼らはそれで飯食っている訳です。
そんな通訳を非難する日本人はそんなにいないと思うのですが、なぜか日本人に対しては、「英語は発音がよくないとダメだ」と非難してしまいがち
ちなみに、私自身の外国語習得の経験からも、カタカナ表記は助けにも、妨げにもなった印象はないです。
英語からマイナー言語に至るまで、そんなに現地に行かずに、黙々と机に向かって勉強していましたが、発音はメキメキ上達しましたよ。
日本人らしい発音なんて、滅多にしないです。さんざん言っておきながら
人生初渡米のその初日、現地人に、僕だけアメリカ人(日系人)だと思われましたし、カナダのチャイナタウンでは、中国人の真似していても滅多にバレませんでした。
つまりですね、通じない発音よりは、通じる発音が良いに決まっています。
でも、その勉強はその勉強で、別途行ったら良いだけです。
カタカナ表記は、あくまで日本語。だから、日本人にとって読みやすいものであれば構わない。
少なくとも、今使われているものは変更しなくて良い。
というのが、私なりのまとめです。
ちなみに、広まっているカタカナ表記を改めた方が良い時もあるとは思います。
それは学問上の必要がある時だと思います。(逆に、必要がないなら変えない。だから、その国のプロほど、カタカナ表記に寛容な場合が多いように思います)
急に変な話をしますが、最近で言うと、「フビライ・ハン」を「クビライ・カーン」に修正した方が良いって話があります。
「カーン」でないと、彼の持っていた権限が小さいことになってしまうから、などが理由です。
そのつながりで思い出しましたが、“現地の発音にこだわる”という姿勢が、混乱を招く一曲を、最後にご紹介します。
それは、デイヴ・ディー・グループ(Dave Dee Dozy Beaky Mick & Tich)のヒット曲、「ギザナドゥーの伝説(The Legend of Xanadu)」です。
この邦題にある「ギザナドゥー」は、歌を聴く限り、ほぼ正確で、その意味では現地発音に近い訳です。
※「ギ」が小さく発音されているので、「ザナドゥー」という表記がその後は一般的ですが、上記の曲の邦題としては「ギザナドゥー」が採用されていました。
では、この「ギザナドゥー」とは何かというと、それこそ、モンゴルの中国政権、つまり「元」の、夏の首都「上都(Shang du)」のことなんです。
ですから、「シャンドゥー」の方が現地発音に近いのですが、当時の書き方が「Xian du」とかだったために、欧米語圏に「ギザナドゥー」と発音されてしまったのでしょう。
そしてこの「ギザナドゥー」という単語には、理想郷、桃源郷の意味があります。
なぜなら、歴代の「元」の皇帝が、贅沢の限りを尽くしてきた都だと思われていたからです。
という訳で、私にとって、「ギザナドゥー」という単語は、欧米語圏のものの見方や、発音が優先されてしまった事態に思えて、ちょっとばかし悲しくなる訳です。
これ一つとっても、「正しい現地発音に変更しよう!」という姿勢に、ナンセンスさを感じてしまうのですよ
そういえば、ありがたかったのは「ミレニウム(The Millennium)」ですよね。
まさかの「ウ」で定着していましたが、近年、無事に正式発音が流行りました。
そして、幸か不幸か、彼らは一般にはちっとも有名ではなく、その名称を呼ばれる機会も少なかったため(笑)、「ミレニアム」と呼べるようになりました。
こんな現象が色々と増えていってくれたら良いですけどね
それにしても・・・
大学の講義みたいな記事ですね
なんかすごい説得力がありますね
しかもいつもと比べて、
漢字の量が半端じゃないし
英語とカタカナ表記の食い違いみたいなのって
確かにホントたくさんありますよね~
いざ例をあげようとすると
なかなか思いつきませんけど・・・
>>いつもいつも、向こうのルールに合わせている我々が、
>>現地の発音から遠いカタカナ表記をして、「これが日本流の発音なんだ」
>>と堂々としてても許される、と思ったらまずいですかね
僕は偉そうなことは言えないけれど、
ぜんぜんそれでいいんじゃないかなあ、なんて思います
通じれば、問題なしかなって
そもそも日本人は反り舌とか巻き舌とか
苦手じゃないですか、全員かどうかは知りませんけど。
無理に本格的にやることないんじゃないかなあ
って思うんですよね。勉強してると
自分ができないから思うだけなんだけどw
あと、サラッと言っちゃってますが
7ヶ国語できるんですか!?
さしつかえなければ何語か教えてくださいw
読んでいただいただけでも感謝ですよね、この小論w
でも、結構あちこちから好評のお声を頂きました。
正直ホッとしてます。
>7カ国語
「7言語」って感じです。
いわゆる「死語」も勉強していたので。
会話レベルまで頑張ったのは英語と中国語だけ。
書けるレベルまではペルシア語。
読むだけのレベルがちらほら。
読解力に限定すれば、多分「漢文」が一番できたと思います。