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FIELD MUSEUM REVIEW

FM109_02 三上山 一周の巻 2020/02/10 (Ⅱ) 2020年07月21日

ほんものの登山道だ。妙光寺山をこえて三上山に通じている。
そちらには参りませぬ。山のぼりをたのしむゆとりはないの。山の神があらぬ方角から降臨するのをまちうけて、車でひろわねばならないから。

水源である貯水池のまえを通りすぎると、道路に柵がある。これもけものの関所とおみうけいたす。山みちを散歩するひとがいた。どこからきたの、あっち、池があったでしょ、はいはい、三上山にのぼれるよ、なん年かまえにのぼりました、みたいな、あたりさわりのない会話をしておわかれしました。

いったん里にくだり、ふたたび山みちに入る。ほこらのまえに柵。イノシシ対サク。ほこらには龍神がまつられる。(*4)

いよいよ出たぞ、大きな岩。仏さんへの通り道ではない。わき水がでる。わき道はない。

いわくら(磐座)だ。いしぶみに一千五百年前に鎮座した「岩神」「龍神」だというが、琵琶湖の湖底からせりあがったチャートなら約二億五千万年くらい前におちついた古生代二畳紀(ペルム紀)の先輩であろう。

みちをふさぐのは動物除けばかりではない。倒木をくぐって前進。

ありがたや、山嶽でほとけ。妙光寺山磨崖仏です。町の観光協会の説くところによれば、身長160センチメートルほど、彫りの厚みは10センチばかり。崖の大岩にたたみ一畳分くらいの長方形のくぼみをこしらえて、そのなかに地蔵立像を浮彫にした。「書込地蔵」ともいう。尊像は東むき、像の左右に元亨四年(1324年)七月十日の造立、大願主経貞と刻銘されている。鎌倉時代の様式を随処にしめすというのだが、よくわからない、私には。尊像の足にくつをはいている、ってんですがね、これはよくみえる。線刻の蓮華座のうえに、つまさきがまるく出っぱっています。

この信心の山はなかなか奥がふかそうです。ふもとの野洲中学校うらにも、小磨崖仏群が点在する福林寺跡の遺跡があるそうですが、ここから1キロメートルばかりあって、たちよる余裕がありませんでした。

まいごになったときの「ここはどこ」サイン。それこそ随処にある。「わたしは誰」の責任はもてない。

下界におりてきた。分譲住宅の造成地にでた。全147区画、1区画200平方メートル(約60坪)以上、市街化調整区域、建坪率50%、容積率80%、地番は「野洲市小篠原字流レ612番地」。商業用地も2区画、約9200m²と約2850m²と隣接。国道8号に面して事業用地があり、そのうしろの妙光寺山側に分譲地が展開している。買う?


国道8号にならぶ店舗のひとつ、借景はいいんだけど、看板がね。名物「飛び出し坊や」の看板はゆかいだ。

気の毒なのは稲荷神社。鳥居と参道のあいだを国道8号がよこぎっている。街道すじのバイパスにはよくあることだが。

写真28枚目にして小川珈琲店に到着。三角やねの後方は、三上山。ランチはここにしよう。国道8号をへだてて向いは御上神社です。

三上山の南麓でひろったチャート。琵琶湖底につもった珪酸質の殻をもつプランクトンのなきがらが堆積岩となり、この古生層が花崗岩の熱をうけて接触変成した硬い石。

三上山の東から北にかけて地面にころがっている花崗岩のかけら。あまりすぐれたサンプルとはいえない。大きいやつは重い。もっとりっぱなのは家の塀になっていたかもしれない。

さあ、そろそろ山の神おろしの刻だ。七巻半のむかで。はちまきにちょいと足りない、とな。
(大井 剛)

おとりこみ中しつれいいたしました。(写真31枚目、横浜市港北区にて2020年7月10日撮影)

(*4) 龍神のことは後日あらためて。顔をあらって出なおしてきます。

(更新記録: 2020年7月21日起稿、10月7日公開、2021年5月25日修訂)

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