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FIELD MUSEUM REVIEW

FM161 かくれキリシタンの里◇茨木市立キリシタン遺物史料館 2023年05月08日

・・・ましまして 御果報(ごかほう)よみしきり[sic]なり
また おんたんねんの尊(
とうと)き御身(おんみ)にて まします。
でうす様の御母様(
おんははさま) たまりを様、いまも・・・
(東ゆたさんのお祈り)(*1)

茨木市立キリシタン遺物史料館*は山の中腹にある。この史料館のある千提寺(せんだいじ)やさらに山奥の下音羽(しもおとわ)の地区は、かつて高山右近の領地であった。

第13回企画展「ザビエルのはこ-隠しつづけたキリシタン遺物」(会期:2023年3月23日-5月22日)に参観した。(*2)
(写真1枚目、大阪府茨木市にて2023年5月8日撮影)
(高山右近 ⇒ FM160「高山右近の城◇高槻市立しろあと博物館」2023年05月05日 へ)

教科書や概説書でなじみのあるフランシスコ・ザビエル像である。これが茨木の山里から発見されたことは、あまり知られていない。展示されていた複製の写真。実物は1935年(昭和十年)池長孟(いけなが はじめ 1891ー1955)の所有に帰し、のち南蛮堂コレクションのひとつとして神戸市立博物館の所蔵となった。(*3)

ザビエル(c.1506-1552)は1549年(天文十八年)鹿児島に来航して日本にはじめてキリスト教を伝え、およそ二年のあいだ日本各地に布教した。この有名な肖像は、16世紀後半から17世紀前半におよぶキリシタン時代に日本人の手でつくられた。紙本着色、縦610、横487mmである。

1920年(大正九年)9月、千提寺の東(ひがし)家で物置のすみからとりだされた「あけずの櫃(ひつ)」が開封され、このザビエル像がほかのキリシタン遺物とともに人目にふれることになった。(*4)

キリシタン遺物発見のきっかけは、東家所有の寺山にあった「「上野マリヤ」銘墓碑」(写真右端)を、東藤次郎(ひがし とうじろう)さんが藤波大超(ふじなみ だいちょう)さんに見せたことである。藤波氏は当時、忍頂寺(にんちょうじ)尋常高等小学校訓導であった。
(キリシタン遺物の発見 ⇒ FM161_S2「キリシタン遺物発見史◇かくれキリシタンの出現」へ [準備中])

花崗岩製の墓石の拓本。採拓は大石一久さん。

東家の「「上野マリヤ」銘墓碑」(写真右端)は、中央上部に二支十字、その下に「上野マリヤ」の名が刻まれる。右の行は「慶長八年」(1603年)、左は「正月十日」である。二支十字とは、上に罪標(罪状をしるす札)をつけた十字架をかたどるラテン十字をさす。漢字の干あるいは千のようにみえる。(*5)

写真および拓本の中と左の墓石は、千提寺のクルス山でみつかった。(*6)
「「佐保カラヽ」銘墓碑」(左)は、中央に二支十字と「佐保カララ」の名、右左にそれぞれ「慶長六年」「四月一日」と刻まれる。中央下部に「蓮台」とも「聖盃」ともいわれる高台の意匠がみられ、和洋折衷の印象をあたえる。

「円頭キリシタン墓碑」(中)は、表面を一段ほりくぼめて縁をつくり、縁どりのなか上のほうにギリシャ十字を刻するところが、ほかの千提寺発見の墓碑と異なる。ギリシャ十字は、縦木と横木の長さが等しく中央で交叉する十字架文をいう。銘文は判読しがたい。

会場にもうけられた「ザビエルははこに入るか」という実験クイズ。アクリル樹脂製の模擬「あけずのひつ」に模造キリシタン遺物をおさめよう。

史料館内のようす。写真の奥に玄関、左方に「ザビエル像」(複製)と「マリア十五玄義図」(その左、おなじく複製)とがみえる。

史料館内で、中央にステンドグラスの窓。右の展示ケースに「厨子入象牙彫キリスト磔刑像」(複製)。左の動画再生機でガイドDVD『世界へはばたくキリシタン遺産』を上映している。

これがうわさの「あけずの櫃(ひつ)」。いま蓋と側面の短辺をうしなっている。もとはスライド式の蓋がついていたものと推測されている。東家旧宅のかまどの上の屋根裏にくくりつけられていたという。旧宅が火災にみまわれ、開封の時点ですでに屋根裏からおろされていた。縦820、横105、高105mmの大きさ。

千提寺の中谷(なかたに)仙之助家から1922年(大正十一年)に発見された遺物をおさめる「木製櫃(ひつ)」。発見者は奥野治(おくの よしはる)さんで、清溪(きよたに)尋常高等小学校教師であった。(*7)

木のひつの解説パネル。


ひつのなかみのひとつ「ロレータ聖母子像」(複製)。厨子にはいっている。
像の実物は錫鉛合金製、鋳造、縦118、横84mmの大きさ。
聖母マリアの膝のうえに立つ幼子イエス、その頭のうしろ(左方)に<LORETA>ロレータの陽刻文字がある。

「ロレータ聖母子像」解説パネル。
ロレータはイタリアの聖地ロレート Loreto をさす。イタリア半島中東部マルケ州のアドリア海に面した町。
この像は、フィレンツェ製説や日本製説がある。(*8)

やれやれ。

史料館の展示品をふくむ、このほかのキリシタン遺物は図説冊子(註(*2)資料)に掲載されている。

千提寺の地形模型である。新名神高速道路が北東から南西に通じ、その北側に寺山と史料館があり、南側にクルス山が位置する。千提寺インターチェンジとそれに隣接するパーキングエリアがある。

高速道路建設の事前調査は、2012年から2013年にかけて大阪府文化財センターにより実施された。

高速道路の下にあたる尾根で多数の墓と人骨が出土した。千提寺西遺跡である。


キリシタン墓の特徴は伸展葬であること。そうでない墓は、座棺による屈葬が主流であった。
(キリシタン墓 ⇒ FM161_S3「キリシタン墓の考古学◇『季刊考古学』から」2023年10月01日 へ)

史料館のとなりが東家である。「北摂キリシタン遺物発見最初の家」の石碑がたつ。

谷あいの田んぼにむかってくだったところにカトリック教会「愛と光の家」がある。


家の前に、胸の十字架をかざす高山右近の銅像。



この構図を FM160「高山右近の城◇高槻市立しろあと博物館」に転用しました。
(大井 剛)

(*1) 東ゆたさんのお祈り、映像「クルス山の夕映え」『隠れキリシタンと遺物発見秘話』より。いわゆるオラショのひとつ、隠れキリシタンの祈りの句。
茨木市立キリシタン遺物史料館の館内で上映される史料館ガイドDVD『世界へはばたくキリシタン遺産』より、画面の字幕をひきうつした。「たまりを様」はサンタ・マリヤ様であろう。
(オラショ全文 ⇒ FM161_S1「つたえるいのり◇茨木のオラショ」2023年06月09日 へ)

ガイドDVDの内容はつぎのような構成である。ダイジェスト(6分17秒)につづいて、
『キリスト教伝来と茨木』(6分2秒)
『隠れキリシタンと遺物発見秘話』(9分24秒)
『茨木のキリシタン遺物』(13分40秒)
『隠れキリシタンの里(景観と散策)』(8分41秒)
が順次上映され、一部に内容の重複がある。ダイジェストをのぞき計約38分。

(*2) 以下の記述は、展示解説パネル、および1987年(昭和六十二年)に開館したキリシタン遺物史料館の開館30周年を期して刊行されたつぎの図説資料によった。

『茨木のキリシタン遺物-信仰を捧げた人びと-』茨木市立文化財資料館編、茨木市教育委員会、2018年(平成三十年)3月。48p. 第3刷、2020年(令和二年)10月による。

同書「凡例」(p.4)によれば、「本書は桑野梓(茨木市立文化財資料館学芸員)が執筆・編集」した。

(*3) 神戸市立博物館の所蔵となる経緯は、つぎの記事にくわしい。
神戸市*ウェブサイト所載、特集記事「池長孟と南蛮美術館」
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(*4) 茨木市立キリシタン遺物史料館で、「「聖フランシスコ・ザビエル像」発見100周年記念 ザビエル・ストーリー」展がひらかれた(会期:2021年9月16日-10月12日)。

(*5) 二支十字の名称は、『茨木市史』茨木市、1969年による。

(*6) 註(*2)前掲『茨木のキリシタン遺物』(p.27)は、写真の中と左の墓石を中谷(なかたに)栄次郎家のものとする。移動する以前(後述の調査以前)にはクルス山の尾根に祀られていたことがわかっている。

「佐保川が、佐保(さほ)の盆地から福井地域の平野部に流れ出ようとする丘陵の先端部にあたる標高184mの栗栖山(くるすやま)の山頂に築かれた」とりでがある。戦国時代に守備の目的で築城されたものとみられる。
佐保の地名は上述の墓碑銘「佐保カラヽ」にみたものである。
「クルスの地名からキリスト教との関係も考えられるが、この辺りをキリスト教伝来以前よりクルスと称していたようである。」
『茨木の史跡』茨木市教育委員会編刊、1998年。114p. 「63 佐保クルス山砦」(p.77)

「クルス山の東部尾根の先端近くの平坦な所に、多数の墳墓がつくられていた。」1968年(昭和四十三年)に発掘調査がなされ、鎌倉時代後期から室町時代中期あたりのあいだに墓地が営まれたのではないかと推測されている。
『茨木の史跡』「53 クルス山 中世墓地」(pp.68-69)

(*7) 中谷仙之助家旧蔵キリシタン遺物は、発見されてまもなく京都帝国大学文学部考古学研究室によって写真撮影された。画像は京都大学研究資源アーカイブにある。
註(*2)前掲資料(p.24)参照。

(*8) 註(*2)前掲資料(p.21)によれば、「ロレータ聖母子像(厨子入)」は16世紀後半~17世紀前半の遺品。
「16世紀のロレートは、イエズス会と密接な関係を持つ一大巡礼地で、天正遣欧使節も訪れている。
「同様の作例はイタリア・ブレーシャ市立美術館など、ヨーロッパにも残されていることがわかっている。本像の作者については、フィレンツェの彫刻家ヤコポ・サンソヴィーノ(1484年~1570年)工房作の可能性が指摘されている。また、京都で布教を行い、高山右近との親交もあったオルガンティーノが来日前にロレート神学校長を務めていたことから、関係性のある可能性や、あるいは素材について考慮すると、16世紀にもたらされた原品を鋳直したものであるとの指摘もあり、様々な議論が展開されている。」

【見出し写真】 神戸市立博物館蔵「聖フランシスコ・ザビエル像」重要文化財、その複製。茨木市立キリシタン遺物史料館の展示品のひとつ。
(大阪府茨木市にて2023年5月8日撮影)

(更新記録: 2023年5月8日起稿、6月8日公開、6月9日、6月11日、9月20日、10月1日修訂)

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