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FIELD MUSEUM REVIEW

FM153ex でふね いりふね◇横浜 日本郵船歴史博物館 2023年02月05日

横浜港に日本郵船の横浜支店があった。そのたてものはオフィス・ビルであるとともに、日本郵船歴史博物館*として生きてきた。それが海岸通りの再開発にともない改修をへて生れかわり、博物館が休館することになった。
 
日本郵船歴史博物館のたてものを北東の水路側からみる。
(写真1枚目、横浜市中区海岸通にて2023年2月5日撮影)
 
南から正面をみる。列柱が16本ならぶ。コリント式の大オーダー。設計者は和田順顕。
 
正面左方の出入口、扉のうえの文字は「日本郵船株式会社横浜支店」である。創業50周年記念事業の一環として1936年(昭和十一年)に建設された。
 
歴史博物館の標識と会社のシンボル・カラー。
 
館内では企画展「また会いましょう-横浜郵船ビル写真展」が開催されている(会期:2023年2月4日ー3月31日)。
 
かつて横浜支店であったころ、三階にあった事務部属員養成所で教育をうけた司厨員が、客船にのりくみコックやボーイとしてはたらいた。日米戦争の空襲をまぬかれ、戦後GHQに接収されたが、返還後は横浜支店に復帰した。
 
へやのドアは、たてもののサイズに比例してどれも大きい。そのうちのひとつにふしぎな現象を発見した。ふつうドア・ノブの下に鍵穴があるものだが、まるい頭の把手の上に鍵穴があり、しかも上方下円形なのである。どうみてもドア・ノブが天地逆にとりつけられている。
 
想像をたくましくすれば、GHQ接収のさい背の高いひとに便宜をはかって付けかえたのではないか、把手にじゃまされずに鍵をさしこむことができるから。
 
2003年(平成十五年)建物一階を改装して歴史博物館が開館した。
過去の展示図録を入手しておく。たとえば、
『船と主機関 -エンジンの変遷とこれから-』2021年
よみとることのできる大きさの図面があってうれしい。
 
『就航90周年記念 客船浅間丸 ~サンフランシスコ航路をゆく~』2019年
表紙デザインにかんする記述がなく残念だ。
 
古い「青焼き」平面図を解読するうち、いろいろ疑問がわいて実況検分にうつる。たてものの裏(北側)にまわる。
 
たてものの北西に位置する塔屋は創建当初とかわらず、みなとの出船入り船をみつめている。
 
塔屋の屋上の風向風力計も健在。
 
壁面のメダイヨン。写真1枚目にもうつっています。
 
となりの横浜ビルはすでに解体作業が進行している。日本郵船と三菱地所ははじめ大規模なスクラップ・アンド・ビルドを計画したが、日本郵船横浜支店の外観を保存する方向に転換したようである。見通しがよくなったら、むかいのビルの屋上になんだか思いがけない物件がみえた。
 
フシギ・ドームにせよ横浜郵船ビルのツラにせよ、高大な建築物にさえぎられ地上からみあげることができなくなる日も遠くない。「また会いましょう」とはいうものの、歴史博物館がどのようなかたちに存続するのかしないのか、受付にたずねても答えは「わかりません」と。
 
横浜港に月がでた。正面は横浜ベイ・ブリッジ。
 
右は繫留された氷川丸*。煙突に日本郵船のシンボル・カラーがみえる。
 
氷川丸のイルミネーションは21時まで、それは節電のため。
 
月あかりがたよりです。卯の年にふさわしく、ウサギのすがたに見える。今宵の月に中華伝統のヒキガエル(蟾蜍 せんしょ)をさがしあてられるかどうか。
 
新暦1月22日にはじまった旧正月「春節」のいわいごとが、2月5日の十五夜で最終日をむかえた。山下公園とホテル・ニュー・グランドの夜景。
 
横浜中華街のかざりも今宵がぎり。
 
2022年新装開店した横浜マリンタワー。1961年(昭和三十六年)創設。
名誉館長CKB横山剣さんは健在だろうか。
(大井 剛)
 
(更新記録: 2023年2月5日起稿、2月16日公開)

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