写真館

想い出の写真を掲載しています(2008.9.27~)

太鼓の達人

2011-02-06 11:23:10 | その他

 明大サッカー部時代には太鼓担当をつとめ、鹿島のサポーターから「ウチで太鼓を叩いてもらえないか?」とオファーを受けていた長友佑都が、昨年のクラブワールドカップを制した世界王者のインテルへ。

 小学校1年生の頃、「一番女の子にモテるスポーツ」だと思って始めたサッカーで世界の頂点を目指す。

落ちこぼれから世界へ駆け上がった男

 今から5年前、その男は先輩の試合を応援すべく、スタンドで太鼓を叩いていた。
 小柄で頼りない風貌。 オーラはなく、まだ幼さの残る大学生であった。
 これからサッカーを続けることができるのか。それさえ危ぶまれるような状況に置かれていた。

 しかしその男の人生は劇的に変化していく。
 5年の月日を経て、昨年のクラブチャンピオン「インテル」への電撃移籍が決まった。

 その名を長友佑都と言う 。

 アジアチャンピオンへと導いた日本不動の左SBはその歓喜も冷めぬまま、ミラノへと向かった。

 移籍期限は1月31日。
 イタリアにもどった長友を待っていたのは、本人も予想だにしなかった超ビッグクラブ、インテルへの移籍だった。

 長友ほど下から這い上がってきた選手も珍しい。
 もし恵まれた出会いがなければ、今頃はサッカーすら続けられなかったのかもしれないのだから。

 高校時代は名門東福岡高校へ進学するも、さほど注目される事はなく、Jからのオファーはもちろんスポーツ推薦での進学すらできなかった。

 指定校推薦で明治大学に進学した長友であったが、椎間板ヘルニアを患いサッカーができなくなってしまう。
 サッカー部でも影の薄くなった長友は、当然スタンド観戦を余儀なくされる。
 太鼓を叩き先輩を応援する。そのリズム感の良さに鹿島サポーターが勧誘に来ると言う逸話もある。

 このころの長友は鬱憤をパチンコや遊びで晴らしていた。
 サッカーを忘れるために、自暴自棄になっていたのである。

 どうにか周りが説得し、サッカーに戻すものの心の傷は癒えず、2年生の頃に先輩からの仕事をサボり袋叩きに合っている。
 このまま奴は終わる。そう思われても仕方がない状況だった。
 しかし、ヘルニアが完治するとその力を発揮していく事にある。

 走力のある長友を、当時の明治大学監督がSBにコンバート。これが世界の長友への扉を開く事になる。

 監督は懇意のあった当時のU-22コーチ江尻氏に長友を一度見てほしいとお願いしている。
 その走力、持久力を見せつけられた江尻は、すぐさまU-22に長友を選出する。

 その後、FC東京との練習試合で、当時のFC東京監督原氏の目に留まる。「長友を使いたい」と原氏は大学側に申し出る。
 この事によりサッカー部を退部し、FC東京の一員となっていく。

 長友の超人的な走力、持久力は祖父譲りといっても良いだろう。母方の祖父は有名な競輪選手だった。
 競輪は持久力、走力が必要だ。

 長友が少年時代、サッカーボールとともに愛していたのが自転車であった。
 本人も、サッカーをやっていなければ、競輪選手になりたかったと語っている。

 世界に求められた長友の長所は、幼いころすでにその芽は出ていたのだ。 世界一のクラブインテルで、左サイドを駆け上がる長友が見られる日も近い。

 落ちこぼれから世界一のチームへ、そのサクセスストーリーはどこまで進むのか。
 小柄な体に宿る魂は、まだまだ熱く燃え続ける。

                                                     (Sports I need より)

 

■サッカー版今太閤 長友スゴロク■

中学時代   ユースチームの入団試験で、平凡な選手と判断され、不合格 イジケてゲームセンター三昧

高校時代   無名のままに終わり、明大のスポ薦に落ちる 

2005 高校3年間の学業成績による指定校推薦で明大入学
2005 明大サッカー部でレギュラーになれず、その後病気でサッカーできずイジケてパチンコ三昧
2005 サッカーの代わりに応援団をやる 卒業後はサラリーマンになることを決める

2006 大学2年 明大監督が長友のフィジカルの強さに驚き、ポジションをサイドバックに変更したとたん確変

2007 大学3年 FC東京と明大の練習試合で、FC東京FWに完勝し、これを見たFC東京がスカウトし、FC東京特別指定
     選手として招かれJリーグデビュー
2008 大学4年 FC東京加入。いきなり超人フッキに完勝し周りを唖然とさせる 五輪代表へ。

2009 A代表定着

2010 W杯に出場 欧州関係者から世界最高レベルのサイドバックと評価される
2010 セリエA移籍
2010 日本アルゼンチン戦で、世界一のメッシに完勝 欧州リーグ首脳も唖然とする
     レオナルドが実況で世界一のSB認定  欧州にも長友レベルの選手はいないと明言
2010 競争の激しいセリエAのチェゼーナで、ただひとり全試合にスタメン出場

2011 アジアカップで日本優勝の実質的MVP獲得
2011 世界王者インテルに移籍  イタリア代表選手と交換+?億円(監督は元鹿島のレオナルド)

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿