Life is Fantastic Journey

まだ見たことのないノンフィクションな瞬間を追い続けて。北の大地、三つの海に囲まれた美しい北海道が私の恋人。

覚書ですよ

2020-01-26 09:15:21 | 考える
新型肺炎に関して。

見つけたツイート。



連続してるので引用した。

これから2019-nCoVの話をします。今中国発で始まってる新型の肺炎を引き起こすウイルスのことです。武漢肺炎って名前にはならない。なぜなら今は病気に具体的な地名とか動物にちなんだ名前を付けないから。過剰反応と差別を引き起こさないためです。
現在中国政府は流行の策源地となっている湖北省を封鎖し、流行のカーブを縮める努力をしています。一度発生した呼吸器系感染症は社会の八割から九割の人が一度かかったか何らかの理由で有効な免疫を獲得するまで広がります。いずれ日本にも来るでしょう。それ自体は大騒ぎするようなことではありません
再生産係数は2-3、致死率は2%程度という予測がたっているようです。えぐいインフルエンザがはやっているようなものです。日本では有効な社会保険に支えられて、致死率はもっと低いはず。
患者が確認されることも流行地から帰国した方の中にとどまっているうちは大した問題ではありません。問題は日本国内で生活していても発症する時期に来たときです。持続的なコミュニティレベルの感染拡大みたいな言い方をします。
このとき私たちの社会では、特定の要因に感染症の拡大責任を押し付けたり、治療法としてあまり聞き慣れないような話を聞いたりする事が起きるでしょう。過去の感染症で必ず起きたことです。
今回のコロナウイルスは、どうやって生まれたかはともかくとして、一度世の中にでてしまった以上、その拡大は避けられないことであり、誰の責任でもありません。特定の要因、特定の属性を持つ人に、感染拡大の責任はありません。
一度始まった感染症は必ずどこかで収束します。その過程で犠牲者を最小限にとどめるためには、医療機関の治療提供能力を上回らない程度に発症者を抑制し続けることが一番大事です。
そのために必要なのは、発症したら電話して指示を受けてから病院を受診することと、発症したら医師の指示する期間外出しないことです。Support our hospital!といってもいいかもしれません。ここらへん中国も米国も巧みに医療従事者を社会的に賞賛します。私たちも見習うべきことです。
感染拡大を防ぐ責任は国民一人一人にもあります。やるべきことは簡単、医療従事者に感謝し、無茶を言わないこと、電話して指示を受けてから医療機関を受診すること、医師から指示を受けた期間外出しないことです。私たちは忘れがちですが、私たちの社会を守ることにそれぞれ応分の責任があります。
何人が悪い、どこの企業が悪い、国が悪いと言い立てても問題は解決しません。私たちが私たちの社会を守る一人一人の責任を自覚し、その範囲で必要な行動をとることが人を守り、社会を守り、最終的に国を守ります。自ら独立自尊を保つ気概が求められる所以です。
もう一つ病気を発症した人には何の責任もありません。病気の発症に責任が厳しく問われるようになったら、みんな病気を隠します。結果的に流行は長引き、犠牲者も増やします。過去の感染症差別がもたらした惨劇を思い起こして下さい。ご存知なければ東京都清瀬市の国立ハンセン病資料館を訪問下さい。
私たちの社会が感染症への恐怖により何をやらかしたかが誰にもわかる形で示されています。拡大を防ぐ責任はみんなにありますが、防げなかったとして結果に対する責任は誰にも問われるべきではありません。感染をより拡大するからです。
以上「感染症に対する社会の反応」に関する専門職からの助言でした。
感染症そのものがもたらす被害にくわえて感染症に対する社会の反応がもたらす被害はより深刻な問題起こすこともあるのです。
中国との交通遮断しろとかいわれても、とりあえず国際保健規則2005年版をよく読んで考えてなとしか言ってあげられない。あとはっきり言えば、こういう反応にどう対応するかが私の商売なので、タダではできない。
うーん、責任という言葉に色んな意味が詰まってるんです。対応する責任という話もあれば、やらかしたことに責任をとるという話もある。前者がResponsibility、後者がLiabilityといったんしましょうか。対応する責任がある人や組織に対して、もっとこうするべきだったという話をするのは問題ないすよ。
一方患者さんに後者の責任を追求するのはまずいことになりますよというのが一点。もう一つ中国が海外への団体旅行を禁止しましたが、これも彼らが自分でやる分には日本の問題じゃないけど、日本が渡航を制限するよ!という場合は色々根拠を確認する必要がありますよという話。
昨日、堀先生が書いてらっしゃったけど、大きく振りかぶって何でも止めちゃうというのは初期の本当になんにもわからない時には許容されても、かなり色んなことがわかってきた段階では対応を変えないといえなくて、この対応、つまり制限を必要最小限にすることはとても重要なことです。
根拠なく止めると、向こうも根拠なく止めていいということになり、とても大変なはずです。中国に本邦企業がどれだけ拠点を置いて、大きな商売の根拠地にしてるかも考え合わせて、最終的に総合判断していくプロセスが各国で行われている。アフリカの国が東アジアからの入国者全員に検査してるのも
普段からのつきあいが少ないからであって、あれが隣国なら話は全然違うことになるはずなのです。福島における東電原発事故の影響による各国の規制についても科学的根拠を確認して、再考を求めるのが本邦の立場ですしね。国は立場を使い分けていいんですが、そこには対応の原則が柱として必要。
まあ、あとフランスでもあったけど、症状隠して無理矢理入国してくるみたいな話は、いつでもある話で、それについては日本も麻疹輸出してくんなと切れられているので、どこの国にも辛い歴史の話の一つや二つあるんですよねという話。そこはそういうこともあるという前提で対応を考えるんです。
国民におふれを出したら、みんなが一糸乱れず従うだろうって国民が社会秩序割と重視する日本でもそんなことないでしょ。他の国ではもっとないです。国が政策出せばどうやって出し抜き、どうやって儲け口にしようかと考えるのがグローバルスタンダードかもです。
まあ、健康の問題ではなかなか冷静でいられないのは当たり前なのだ。怖いもんね。目に見えない物に身体を犯されて、んで、死ぬとか、そりゃ怖い。冷静になれとか言うつもりもない。無理だもん。もう一度言うけど、日本に入ってきた時に変な予防法や治療法の紹介が増えるけど、それは無視してね。
手指衛生はエビデンスある。うがいはエビデンスないけど、やる方が気持ちいいならやっていいと思う。でも一番大事なのは人の集まる機会の削減で、これはコストが高い。ある年の正月は、インフルエンザ流行してるから初詣禁止って難しそうな気がしません?どこまでやるかは結局リスクの大きさ次第。
(終わり)


よく読んでおきます。


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