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本と音楽とねこと

女たちのテロル

ブレイディみかこ,2019,女たちのテロル,岩波書店.(6.20.24)

無戸籍、虐待、貧困―どん底の境遇で育つなか、体で思想を獲得し、国家と対決した金子文子(1903‐1926)。マッドで過激な武闘派サフラジェット(イングランド女性参政権活動家)、エミリー・デイヴィソン(1872‐1913)。アイルランド独立を求めたイースター蜂起の凄腕スナイパー、マーガレット・スキニダー(1892‐1971)。道徳や恋愛の呪縛を超え、全力で生き、闘った、彼女たちが甦る。

 100年ほど前、文字どおり自らの生命を賭けて国家と対峙した、日本、イギリス、アイルランド=スコットランドの三人の女性の物語が、並行して語られていく。

 親に捨てられ、朝鮮で祖母と叔母に虐待されて、朴烈とともに、皇族へ爆弾を投擲することをはかった金子文子。

 彼女は、パートナーの朴も含めて、誰にも隷属しないという強固な意志をもつ人であった。

 文子がここまで平等に拘るのは、人と人との関係はすぐに隷属関係になってしまうということを知っていたからであり、それは家族だろうと恋人だろうと友人だろうと、人間関係である以上はどれも同じだということを、幼い日から今日までの経験で熟知していたからだ。
   相手を主人と見て仕える奴隷、相手を奴隷として哀れむ主人、その二つながらを、ともに私は排斥する。(同前)
 主人がいないと生きていけずに何度も隷属先を変え、再婚を繰り返しながら年を取った母親。美しくさばけた女だった叔母もいつしか不倫相手だった義兄の奴隷となり、父親に殴られながら勉強していた弟も彼の奴隷であることに何の疑問も感じていなかった。こうした家族の姿にうんざりしていた文子は、人間が一緒に暮らすのはヤバいことだと知っていた。だからこそ自分は誰にも仕えないし、気に入られるための忖度もしないよと宣言しているのだ。
 主人に言われたら、求められたらやっちゃうよね。下の立場ではしょうがない、いつだって末端は哀れな被害者なんだから、ではいつまでたっても隷属は終わらない。忖度は犯罪ではないが隷属制度の強化に与している。
 求められてもするな。期待をかけられたらあっさり裏切れ。隷属の鎖を真に断ち切ることができるのは主人ではない。当の奴隷だけだ。
 不平等はけしからんとか差別はいかんとか言っているわりには、家庭に運動は持ち込みたくないとか言って平気でパートナーや妻に「女のとりえ」を求める男性はいまでも多い。が、文子は現実の生活や人となりに現れる思想しか信じなかった。運動は運動。家庭は家庭。などという机上の理想と地べたの切り分けをするからいつまでたっても社会は変わらない。隷属のシステムは足元の家庭からはじまっているのだ。
(pp.113-114)

 「天皇を敬いなさい」、「国の言うことには従いなさい」云々という戯れ言は、文子にはとうてい受け入れられるものではなかった。
 いや、それどころか、天皇にしろ、国家の役人にしろ、爆弾を投げつけるなり、小便をひっかけるなり、唾棄し攻撃する対象でしかなかった。

 予審で文子が爆弾入手計画について聞かれたのは、一月二十五日の第六回訊問だった。
 「朴烈は金重漢に対して爆弾の入手を頼んだことがあるか」
と聞かれた文子は、
 「あります」
と答えた。そして爆弾入手の目的について、「第一階級、第二階級を合せて爆滅させるため」とはっきり言い、君たちは皇族に対して日ごろ尊称を用いていたかと聞かれると、「いいえ天皇陛下のことを病人と呼んでおりました」と答えている。皇太子は「坊ちゃん」、その他の皇族は「眼中にありませぬ」、大臣その他の顕官は「有象無象」、警視庁の役人はブルジョアの番犬だから「ブルドック」または「犬ころ」だったと文子は臆することなく述べた。
 朴は、東京の地べたを這うように生きてきた自分のことを自作の詩のなかで「犬ころ(ケーセッキ)」と形容したが、これは自分に対する誇りがなければ吐ける言葉ではない。
 俺は底辺の犬ころ同然に扱われても、お上からションベン垂れかけられたら垂れ返すだけの意地は持って生きてるぞ。それをお上の言いなりになって番犬のように尻尾を振り、何の疑問も持たずに下側の者たちを小突き回して生きるお前らは何なんだ。本物のファッキン犬ころは誰なんだ。という「官犬(官憲)」に対する痛烈な皮肉をとばした詩にも聞こえてくる。
(pp.148-149)

 文子は、子ども期、両親も含めて、自らを虐待する醜悪な大人たちの振る舞いをさんざん見てきたからこそ、親、天皇、政府の役人等の権威、権力を認めず、生粋の平等観念を自らに血肉化していたのであろう。

 あたしら同じ人間じゃん。という、一言でいえばあまりに単純すぎる、しかし実は徹底するのが非常に困難な天然の平等思想を文子は持っていた。いや、あまりにそれは肉体的・経験的な実感だったので、平等感覚、または、平等本能、と言ったほうがいいかもしれない。そもそも上とか下とか、そんなアンナチュラルな人間の観念が作り上げたものが、制度になって人間を縛っているのがおかしい。おかしいものはぶち壊すのみだ。
 「前回にも申し上げました通り、皇太子は木偶でありますが政治の実権と一体不離の関係にありますから、爆弾を投げて皇太子にそれが当ればなお結構だと思っておりました」(第七回被告人訊問調書)
(p.161)

 平等を語るとき、人は「マイノリティ差別はいけません」とか、「貧しい人々を救いましょう」とか言って、人の下に人がいる状態は正しくないのだと説く。それなのにいつまでたっても人の下に人がいる。なぜだろう。
 それは人の上に人がいるからだ。
 生まれながらに蔑まれるべき人が存在しないのなら、生まれながらに敬われるべき人だって存在するわけがない。
 それなのに、「生まれながらに高貴な人」をデッチあげて社会を統治しようとするから、それとまったく同じ論理で、民衆を支配するために「生まれながらに蔑まれるべき人」が設定され、スケープゴートに使われ続ける。天皇のいる社会は、差別で統治する社会だ。これはシンプルなファクトである。
 蔑まれ、いじめられ、無籍者、アンダークラス民として虐げられてきた文子だからこそ、その構造がクリアに見える。「それはそれ、これはこれ」と誤魔化されて維持されている不平等の元凶がどこにいるのかが見える。私がいるのは、あなたがいるからだ。死んでもらいます。
   私らはいずれ近いうちに爆弾を投擲することによって、地上に生を断とうと考えておりました。〔略〕
   私の計画を突き詰めて考えてみれば、消極的には私一己の生の否認であり、積極的には地上における権力の倒壊が窮極の目的であり、またこの計画自体の真髄でありました。
   私が坊ちゃんを狙ったのはこうした理由であります。(同前)
(pp.164-165)

 文子は、「魂の同志」、朴もろとも死すことを怖れない。
 いや、むしろそれが本望なのだ、と。

 人はみな人であり人として平等に生まれたという直感を頭ではなく肉体に宿している文子にとり、この世に優民と劣民を作る欺瞞の大本にあるものが天皇制だった。それこそが生涯を通じて彼女を劣民にしてきたものだった。ならば、誰が失敗したとか、巻き添えを食うとか、そんな手続き上のことはもうどうでもいい。我々は地べたの犬ころの分際で天皇制と戦っている希代のバカ者たち、魂の同志だ。一人では死なせないぜ、ブラザー。
   私は朴を知っている。朴を愛している。彼におけるすべての過失とすべての欠点とを越えて、私は朴を愛する。私は今、朴が私  の上に及ぼした過誤のすべてを無条件で認める。そして朴の仲間に対してはいおう。私はこの事件がばかげて見えるのなら、どうか二人を嗤ってくれ。それは二人のことなのだ。そしてお役人に対してはいおう。どうか二人を一緒にギロチンに放り上げてくれ。朴とともに死ぬるなら、私は満足しよう。して朴にはいおう。よしんばお役人の宣告が二人を引き分けても、私は決してあなたを一人死なせてはおかないつもりです。──と。
(pp.192-193)

 鶴見俊輔は、文子のことを「国家に対してひとり立つもの」と評したが「何が私をこうさせたか』筑摩叢書版)、文子の最後の三か月間を思うとき、国家という巨大なスプーク(妖怪)と対峙して一人で立っている傷だらけの若い娘の姿を思い浮かべずにはいられない。
 この人は、思想を体から乖離させて机上に置ける人ではなかった。思想を本で読んだのではなく、体で獲得した人だからだ。思想は体であり、体が思想だった。転向が思想を殺すことなら、そのとき体も死ぬ。思想だけを殺せると思っていた当局が間違っていたのだ。
(p.234)

 「思想は体であり、体が思想だった。」
 文子は、権力に隷従するのではなく、死んでわが思想を生かすことを貫いた。

 イングランドのサフラジェット(女性参政権活動家)、エミリー・デイヴィソンは、破壊、放火といった過激な手段で自らの意思を実現しようとし、最期は、ダービーの競走馬の群れに歩み寄り、国王の馬に蹴られて死ぬ。

Mortd'EmilyDavison1913

   真のサフラジェットとは、自分自身の魂を持たんとする女性の決意を体現する者だ。
   神の言葉は永遠に真実である。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の魂を失ったら、何の得があるだろう?」
   そして、この理念を実現するために、もっとも進歩的なフェミニストたちは、今日、すべての犠牲を払っても徹底的に抵抗するに至ったのだ。
(Lucy Fisher,Emily Wilding Davison:The Martyr Suffragette)
 この文章はエミリーの信条そのものだ。たとえ富や幸福や健康を手に入れても、自分の魂を失ってしまったら、私は何も持っていない。自分自身の魂を持たなければ、私は生きていないのである。
 だが、どれだけ多くの女性たちが、経済的・社会的に男性に庇護されて生きるために自分自身であることを捨て、または庇護されて生きることが幸福だと思い込み、自分自身を生きないでいることだろう。それは生きていることにはならない。それは生きているように見えるが、死んでいることだ。そんな死人の生は彼女には生きられなかった。
 だからエミリーは燃やし、石を投げ、抵抗した。あなたたちは死んでいる。いつまでそうしているんだ。とっとと目を覚ましやがれと暴れ続けた。しかし女性たちは起きない。社会は眠りから覚めることを拒否している。
 それどころか、それは生きようとしているわずかな女たちを殺しにかかってくる。本気で潰しにかかってくる。警官に力ずくで押し倒され、抱え上げられ、投獄され、体の中に管を突っ込まれてレイプ摂食されてベッドの上に投げ捨てられる。わかるまで反復してやると彼らは言うのだ。お前たちの中に覚醒したその生きようとするものを殺せと。それが死ななければこの社会では生きられないのだと。
 では、それを反転させたらどうなるだろう。本当に死ねば逆に生きられるのではないか。本当に死んだら逆に生かすことができるのではないか。
 何を?私を。そして女たちを。
(pp.137-138)

 エミリーの死は、現実的には女性参政権の獲得とは関係なかったとも言われる。サフラジェットの暴力的行動は、英国における女性参政権運動の広がりを妨げたという意見もある。
 しかしその一方で、エミリーは、フェミニストの枠にとどまらず、様々の社会問題に取り組んでいる人々にインスピレーションを与え続けている。彼女の葬儀に労働党や組合の男性たちが数多く参加した時代から現代まで、それは変わっていない。
 近年、「MeToo」運動の世界的な広がりを受けて、フェミニズムは、「個人主義的または新自由主義的な闘い方」から「私も」「私も」と連帯を呼びかける「ソーシャルな闘い方」にシフトしているというモイラ・ドネガンのような若い世代のフェミニストがいる。
 この点では、エミリー・デイヴィソンの社会主義フェミニストとしての側面は注目に値する。WSPUのメンバーたちの中でも、とりわけエミリーと彼女の北部の友人たちには、社会主義者としての色合いが濃かったと言われているからだ。
 エミリーは、優れたスピーカーであり、優れた書き手でもあったので、様々な新聞や雑誌に寄稿していた。一九一二年にホロウェイ刑務所から出所し、階段の手すりから飛び降りたときに負った傷を癒していた間にも、ノートにいくつかの論考を書きつけていたが、その中には、刑務所制度の改善に関するものもある。何度も刑務所に送られたエミリーは、自分のムショ経験を活かし、社会における刑務所制度の在り方を考察していたのだ。
 エミリーは、刑務所の中の待遇をひどくすればするほど犯罪の防止に効果的だという当時主流だった考え方を信じなかった(実際、強制摂食をさせられても何度も刑務所に戻ってきた自分の例もあったろう)。
 そして刑務所で日常的に行われている慣習の例をあげ、それが囚人や看守たちにどのような有害な影響を与えているかを分析し、犯罪を減少させるには、刑務所の待遇だけでなく、社会構造の改革が必要なのだと説いている。そして膨大な格差を作り出している経済のおかげで、まったく希望のない場所に生まれ育っている人々が多く存在することが問題の元凶なのだと主張し、白人奴隷の売買の問題などにも言及して、自分たちが向き合うべきイシューはむしろそこにあるのだと訴えている。
 女性の権利のために命をかけたことで知られているエミリーは、このような考えも持っていた人だった。エミリーのような考え方を持つサフラジェットにとっては、女性参政権は「最終目的」ではなかったのである。それはむしろ、より大きな社会構造の変化を起こすための「手段」だった。
(pp.223-224)

 三人三様の波瀾万丈の人生と、各人がテロルに込めた思いが立体的に伝わってくる。

 歴史は、男たちだけのものではない。


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