東日本大震災と福島第一原発事故、とくに後者の文明論的意味を問う。
「自然の災禍」である震災からは復興ができたとしても、「文明の災禍」としての原発事故からの復興は不可能である。
どうしようもない絶望のなかから、情報環境論、身体論を交えながら、制御不可能な、専門家支配による巨大システムからの脱却を説く。等身大の文明の構築なしにはわたしたちの未来がないことを、あらためて思い知らされる。
目次
序 章 供養----死者と向き合う
第一章 衝撃----自然の災禍、文明の災禍
第二章 群集----イメージの支配
第三章 時間----営みをつなぐ
第四章 風土----存在の自己諒解
第五章 共有----何かがはじまっていた
終 章 自由----イメージとは異なる世界
産業革命以来、「発展」のため進歩させてきた末の技術が、いま暴走している。その意味で、原発災害を原発だけの問題としてとらえてはいけない。これは「文明の災禍」なのである。私たちが暮らしたかったのは、システムをコントロールできない恐ろしい社会ではない。「新しい時代」は、二百年余り続いた歴史の敗北を認めるところから始めることができるのである。時代の転換点を哲学者が大きな視点でとらえた、渾身の論考。
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