本と音楽とねこと

断片的知識と論述力そして行動力

 今日は概論の試験。
 わたしは、大学に就職してこの方、論述問題しか出題したことがない。ここ数年は、全科目、持ち込みなんでも可、だ。試験時に、自分のあたまでものごとをじっくり考え、事前に用意したネタを巧くくっつけ、論理的一貫性のある文章を書く経験を積むことも大事な学習の一つだと思う。何より、就職してから、文章が上手く書けずに仕事に挫折するようなことはあってほしくないから、試験もそうした学習経験の機会として考えている。
 それはいいんだが、悩ましいのは、出題する問題。大切なことは毎年の講義でそう変わることはないから、結局、いつも同じような内容の出題となる。試験終了時に問題用紙を回収してるのは、次年度の履修学生に問題が漏洩しないようにするためである。w
断片的な知識は、社会福祉士をはじめとする各種資格試験でイヤでも詰めこまなけりゃいけなくなる。だから、通常の定期試験で、暗記を強いる形態の試験は一切やらない。持ち込みなんでも可にしてるのもそのためだ。もっとも、表現というものは、そのほとんどが先人が遺したもののパクリか、ぱくったもののパッチワークでしかないわけだから、持ち込み可の論述試験とはいえ、そうしたレヴェルでの暗記学習の成果は当然問われることになる。
 論述の力量は、最終的には、4年生になって書く卒論で問われることとなる。わたしは、ゼミの授業で、ひどいものはひどいとはっきり言う。それでも、言われた方がそう堪えていないみたいなのは、わたしが「これはひどい」と言うとき、絶対に侮蔑したりしていないからだと思う。対人サービスの仕事であれば、多少、文章がきちんと書けなくても、顧客の必要や感情を敏感に察知し、機敏に動けることも大事なことだ。文章が下手なら、行動力で補えばよい。
 とか何とか考えながら、NHK福岡放送局が制作した討論番組・「いじめとどう向き合いますか?」をながら視聴したんだが、これがおもいっきしくだらねーの。口先だけのペテン師である教育評論家だの、メンヘル系元いじめられっ子で自殺まで考えました☆のNPO代表だの、言ってることに意味ないのを通り越して、うぜーーー。
解放同盟による教育介入を立証―党県議団 決算特別委員会 2006年11月7日 <三輪中学校いじめ自殺問題>
こんな問題も当然無視。
 本気でいじめ問題を解消していく気があるんだったら、人権教育と名を変えていまも教育現場に介入する解同と反戦平和バカの日教組を排除し、一方で愛国心を植え付けんとする時代錯誤の「美しい国」(ってアベシンゾーみたいな正真正銘のバカにしかクチにできない恥ずかしい言葉だな、しねよアベてめえは)教育も撤回して、読み書きそろばん、ふつーに仕事して生きていくのに必要な基礎学力だけは身につけさせ、あとは子どもの好きなことやらせろよ。知識の蓄積量も、表現力も、行動力も、あとスポーツの能力とか料理の腕前とか、どれか生き抜いていく術となるものがあればそれでいいじゃん。
 そういや、一昨日の講演会で、ミスターハンディこと森さんがいいこと言ってたな。福祉の仕事を目指す人は、何か(利用者を)楽しませる「芸」をもってくださいという主旨のこと。多少文章が下手でも、社会福祉の専門知識に欠けていても、何か「芸」があればなんとか仕事をとおして自分の居場所を確保できるもんだよ。

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