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人はなぜ恋に落ちるのか?──恋と愛情と性欲の脳科学

ヘレン・フィッシャー(大野晶子訳),2007,人はなぜ恋に落ちるのか?──恋と愛情と性欲の脳科学,ヴィレッジブックス.(4.6.24)

 科学の真価が、その説明力によってほぼ決まることは、言うまでもない。

 人はなぜ特定の他者(同性、異性を問わない)を好きになるのか、セックスするのか、その人のことを気にかけ、子育てをはじめとして、比較的長期──4年程度は、協調して生活をともにするのか。
 これらの問いに対して、フィッシャーは、主に脳内伝達物質の作用のあり方をもって見事に説明する。

 その概略については、現在でも入手可能な、女と男──最新科学が解き明かす「性」の謎にわかりやすくまとめられているので、そちらを参照していただきたいが、古今東西の文学、芸術作品や伝承からの引用が散りばめられた本書も、なかなか読み応えがある。

 わたしは、恋愛とは、交配と生殖のために進化した脳の三つの原始的なネットワークのひとつだと考えている。その三つとは――まずは「性欲」。これは性的なよろこびにたいする切望で、ほとんどどんな相手とでも性的に結合できるよう、その動機を与えるために誕生した。それから「恋愛感情」。これは「恋する気持ち」にともなう高揚感と強迫観念で、そのときどきでひとりの相手にのみ求愛することで、貴重な交配可能期間とエネルギーを無駄づかいしないために生まれた。そして最後は、男女間の「愛着」。これは長いあいだつき合っている相手に抱くことが多い、落ち着いた、穏やかな安心感のようなもの。ふたりのあいだに生まれた子どもをともに育てているあいだは相手を愛していられるようにと、祖先のなかで進化してきたものである。
 要するに恋愛は、人間の脳内構造と化学作用に深く刻みこまれたものなのだ。
(p.20)

 それでも時間と環境とともに、自然はこのシンフォニーに中心的な和音を設置してきた。恋愛感情は、ほかのふたつの交配衝動と深く絡み合っている。ひとつは性欲で、これは性的な満足感を切望する衝動。もうひとつは愛着で、こちらは穏やかで安定した、長期間にわたるパートナーとの一体感である。
 この基本的な交配衝動はそれぞれ、脳内の異なる通路をめぐっている。それぞれが異なる行動、希望、夢を生みだし、それぞれが異なる神経化学物質と関連している。性欲にかかわっているのは、男女ともにおもにホルモンのテストステロンだ。恋愛感情は天然刺激剤ドーパミンと、おそらくはノルエピネフリン、セロトニンと結びついている。そして男女間の愛着は、おもにオキシトシンとバソプレシンというホルモンによって生みだされている。
 さらにいえば、それぞれの脳内システムは繁殖の異なる一面をつかさどるために進化してきた。性欲は、適切と思われるパートナーなら、そのほとんどすべてと性的につながること動機を与えるために進化してきた。恋愛感情が誕生したのは、男女の交配意欲を好みの個人に集中させるためだった。そうすれば、貴重な求愛時間とエネルギーを無駄づかいせずにすむ。そして男女間の愛着を生みだすための脳内回路は、祖先の時代、少なくともひとりの子どもが幼児期を脱するまでは夫婦一緒に育てるために発達したのである。
(pp.132-133)

 しょせん、人間は遺伝子の「乗り物」であり、自らの遺伝子を後世に残す、つまり生殖、子どもをつくる本能に従い、テストステロンの作用を受けて、性欲をいだき、セックスする。
 こうした説明には、若干の疑問がある。
 テストステロンが作用しているのはまちがいないだろうが、この少子化の時代に、自らの遺伝子を残さんという衝動に駆られる者がはたしてどれほどいるであろうか。

 ドーパミンの作用により、相手への思慕、恋心が燃えさかり、また、テストステロンが分泌されて、相手への性欲が昂進する。
 なるほど、恋とセックスとの連関がすんなり理解できる説明だ。

 恋愛感情の中心を占めているのは、相手をほかのだれよりも好む気持ちである。二章で紹介したプレーリー・ハタネズミを思いだしてほしいのだが、あの動物の好みは脳内の特定部位におけるドーパミン分泌量の上昇と関係していた。ドーパミンのレベルがプレーリー・ハタネズミの交尾相手の好みに関係するのなら、それが人間の好みにも影響を与えると考えてもおかしくないはずだ。哺乳類の脳は、サイズ、かたち、部位の配置という点ではたしかに種によって異なるものの、基本的には同じ機能を持つものだから。
 高揚感もまた、恋愛の際だつ特徴のひとつである。これもまた、ドーパミンと関係しているらしい。脳内ドーパミンの濃度が上昇すると、爽快な気分になる。と同時に、恋に落ちた人がたびたび口にするほかの数多くの症状も生みだされる。たとえば、エネルギーに満ちあふれたり、やたらと活動的になったり、眠れなくなったり、食欲がなくなったり、震えたり、心臓がどきどきしたり、息づかいが速くなったり、そしてときには躁状態になったり、不安になったり、怖くなったり。
 ドーパミンが関与しているとすれば、恋の虜になった男女が、その恋愛関係なしには生きていけないと感じたり、相手にも同じ気持ちでいてほしいと切に願ったりすることにも説明がつけられるかもしれない。なにかを切望してやまないこれは中毒の症状だ。そしておもな中毒症状はどれも、ドーパミン分泌量の上昇と関係している。恋愛は一種の中毒なのだろうか?わたしはそうだと考えている。相手も同じ気持ちでいてくれれば至福の中毒となり、こちらの想いがはねつけられたときには、苦悩と悲しみに満ち、破滅的になることも多い渇望状態にはまってしまう。
 じっさいドーパミンは、恋愛が危機に瀕したとき、恋する人間が奮い起こす一心不乱の努力をうながしているとも考えられる。報酬がなかなか得られないと、脳内でドーパミンを生みだす細胞が仕事量を増し、この天然刺激物をさらに送りだすようになる。そうやって脳にエネルギーを供給し、集中力を高め、報酬を得るためにもっと励めと本人を駆り立てるのだ。ちなみにこの場合の報酬とは、相手の心を勝ち取ることを意味する。ドーパミン、汝の名は執拗さなり。
 愛する人とのセックスを切望する気持ちも、間接的ながら、ドーパミン分泌量の上昇と関係している可能性がある。脳内ドーパミンが増えると、テストステロンのレベルが上昇することが多いのだ。そしてテストステロンとは、性的願望を引き起こすホルモンである。
(pp.97-98)

 エミリー・ブロンテの嵐が丘における、ヒースクリフとキャサリン相互の愛情と憎しみには、狂気じみた激烈さがあった。
 だからこそ、恋愛小説の傑作として、人々の琴線に触れ続けてきたのであろう。

 フィッシャーは、この愛と憎しみの共存が、脳の構造と脳内伝達物質による必然である、と考える。

 わたしは自問した。情熱的な恋愛感情を生みだす脳内回路は、心理学者が「憎悪と怒り」とよぶ感情を生む脳内ネットワークと、どこかで直接的につながっているのだろうか?わたしはそれまでずっと、愛の反対は憎悪ではなく、無関心だと思っていた。しかしそのとき、もしかすると愛と「憎悪と怒り」は、人間の脳のなかでややこしくつながっているのかもしれない、無関心はそれとはまったく異なる脳内回路にあるのかもしれない、と思うようになった。それにもしかすると、愛と「憎悪と怒り」をつなげる脳内リンクこそが、ストーキングや殺人、自殺など、痴情がらみの犯罪が世界中でこれほどたくさん起きている原因を解明する鍵を握っているのかもしれない。愛着が破壊され、愛の衝動がくじかれたとき、脳はいとも簡単にこの強力なパワーを憤怒へと変えてしまうのではないだろうか。
(p.245)

 なぜなら、愛と憎しみは人間の脳内で複雑に結びついているからだ。憎しみと怒りを生みだすおもな回路は、小脳扁桃の部位をいくつか通って視床下部へと進み、中脳に位置する部位、中心灰白質へと走っている。怒りにはほかにもいくつかの脳の部位が関係しており、肉体の内部と感覚からデータを集める皮質の一部である島皮質もそこにふくまれる。
 ただし、ここが肝心だ──怒りを生みだす基本的な脳内ネットワークは、報酬の評価と報酬の期待を処理する前頭前野皮質の中心部と密接につながっているのである。そして人間その他の動物が、期待していた報酬が危機にさらされている、あるいは手に入らないと気づくと、前頭前野皮質の中心部が小脳扁桃にシグナルを発し、怒りを引き起こすのだ。
(p.255)

 恋と同じく、憎しみも盲目だ。なかには極端な暴力に走る者もいる。そしてその暴力を駆り立てているのは――少なくともその一部は――脳内の化学物質である。おぼえているだろうか、愛する人から拒絶された人間は、まずは抵抗する――これはドーパミンとノルエピネフリンのレベルが急上昇することにともなう反応だ。この天然刺激剤のレベル上昇が、ストーカーに、暴力をふるう者に、殺人者に、高い集中力と荒々しいエネルギーを与えるのだろう。それに、脳内でドーパミンのレベルが上昇すると、セロトニンのレベルが減少することが多い。そしてセロトニンのレベル低下は、他人にたいする衝動的な暴力と結びついている。
(pp.276-277)

 憎しみが高じて、相手にストーキングしたり、暴力をふるったりする事件は、数多くある。

 そうした行為を抑止するためにも、こうしたメカニズムを理解しておくことは大切だ。

 既存の性教育にも組み込まれるべき知見であろう。

Roxy Music - Love Is The Drug

 「恋はドラッグ」、脳には、まさにそのとおりのメカニズムがはたらいている。

 恋愛には至福の「高揚感」がともない、その情熱はほとんどコントロールがきかないほど激しく、切望、強迫観念、抑えがたい衝動、現実の歪曲、感情的そして肉体的な依存性、性格の変化、自制心の喪失などがともなうことから、多くの心理学者が恋愛を中毒の一種だと見なしている――愛が実れば楽しい中毒だが、想いをはねつけられたのにあきらめきれないときなどは、おそろしくやっかいな中毒となる。
 恋する人におこなったわたしたちのfMRI実験でも、その主張が裏づけられた──恋愛は中毒性の麻薬と同じである。
 直接的であれ間接的であれ、ほとんどの「乱用ドラッグ」は、脳内のひとつの通路に影響を与えている。ドーパミンによって活性化される大脳辺縁系中心部の報酬システムだ。恋愛の場合も同じ化学物質によって、同じ通路の一部が刺激される。じっさい、神経科学者のアンドレアス・バーテルズとセマール・ゼキが、恋に夢中の被験者の脳スキャン画像と、コカインやオピオイドを注射した男女の脳スキャン画像とをくらべてみたところ、脳内の同じ部位の多くが活性化されていることがわかった。たとえば島皮質、帯状回前皮質、尾状核、そして被殻などである。
 それに恋に惑わされた人間には、典型的な三つの中毒症状が見られる──耐性、離脱、再発だ。恋に落ちた当初は、愛する人にときおり会うだけで満足できるものだ。ところが中毒症状が進むと、その「ドラッグ」をもっと欲するようになる。やがて彼らはこんなことをつぶやくようになる。「あなたに会いたくてたまらない」、「きみのことがもっとほしい」、さらには、「あなたなしでは生きていけない」。愛する人と、ほんの数時間ほど離れていただけでも、恋する者は新たな接触を切望してしまう。愛する人以外からの電話は、どれも落胆でしかない。
 そして相手に関係を絶たれたとき、恋に落ちた人間は薬物を離脱したときに共通するありとあらゆる兆候を見せる。憂うつ、号泣、不安、不眠症、食欲不振(逆に暴飲暴食)、短気、そして慢性的な孤独感。あらゆる依存症患者と同じように、恋する人は自分の欲する麻薬を獲得しようと、不健康で、不面目で、さらには肉体的に危険な範囲におよぶことにまで手をのばす。
 恋する人間も薬物依存症患者のように逆戻りばかりしてしまう。恋愛関係が終わってからかなりの時間がたったあとでも、特定の歌を耳にしたり、かつてふたりでよく行っていた場所を訪れたりといったちょっとした出来事がきっかけとなって、ふたたび「高揚感」──愛する人とのロマンティックなひととき──を得ようと、切望したり、衝動的に相手に電話をかけたり、手紙を書いたりといった行動をとってしまう。恋に落ちた人間を「情熱の奴隷」とよんだラシーヌは正しかった。
(pp.282-283)

 フィッシャーのポリアモニーに対する否定的見解には、賛同しかねる。

 ポリアモリーはユートピア的だが、現実的ではない。ご存じのとおり、恋愛感情は脳内でその他の数多くの動機と感情の回路に縫いこまれている。性欲や男女間の愛着といった、原始的な交配衝動もそこにふくまれる。この三つの脳内システムが定期的に相互作用しながら、それぞれ独自でも作用することはすでに書いた。じっさい人は、長年のパートナーに深い愛着を感じる一方で、ほかのだれかに恋し、その一方で、本を読んだり、映画を観たり、いやらしい想像をしたりすることで、性的な衝動に駆られることもある。こうした脳内配線が進化した理由の一部は、太古の男女が長年の絆を維持しながらも、おまけの交配機会(内々のことが多かったが)に恵まれたためだろう。ポリアモリーを信条とする男女は、これを正々堂々と実践しようというのである。
 しかし人間というのは、気持ちよく愛を共有することなどできないものだ。オーストラリアのあるアボリジニーがこういっているように。「人間というのは嫉妬深いものだから」ポリアモリーを実践する夫婦が、毎週何時間も費やして独占欲や嫉妬といった感情の克服に四苦八苦しているというのも、不思議ではない。
 この三つの交配衝動が独自に作用することで、わたしたち人間はだれでも、人生のどこかの時点で苦悩している。不倫や離婚が頻発し、ストーキングや家庭内暴力がそこかしこでおこなわれ、痴情がらみの殺人、自殺、うつ病が世界的に偏在していることは、すべて、人が何度も何度も恋するという衝動の副産物なのである。
(pp.334-335)

もう一人、誰かを好きになったとき

 わたし自身がポリアモリストであり、その自覚どおりの人生をおくってきた。

 愛する人が、他の男(女)とセックスして、良い思いをしたのであれば、素直に喜んであげれば良い。

 そのような自己を喜ばしく思い、自己肯定感なり、自尊感情が高まれば、言うことないのではないか。

 本書を読んで、あらためて、自分のからだとこころのメカニズムを理解しておくことの大切さを感じた。

 こうした良書が絶版なのは惜しい。
 ぜひ再版してもらいたい。

好きな人ができると、一日中そのことばかり考えてしまうのはなぜ?どんなに愛するパートナーがいても、人は浮気をしてしまう生き物なのか?別れ話のもつれ、ストーカー行為…愛が憎しみに変わるメカニズムとは!?恋の謎を解くために「恋に落ちたばかり」&「失恋直後」の人の脳をスキャニングする大実験が敢行された。見えてきたのは、理性ではコントロールできない恋の脳内反応。手に入らない相手に燃えるのも、セックス後の一体感も、愛が四年で終わるのも、すべては脳内ホルモンのなせるわざだ。恋のミステリーがいま解明される。

目次
第1章 恋に落ちたらどうなるのか―特別な心理状態
第2章 動物たちの恋愛―高揚、忍耐、独占欲
第3章 恋する脳をスキャンする―愛の化学作用
第4章 愛が織りなす網の目模様―性欲、恋愛感情、そして愛着
第5章 なぜ「あの人」を好きになるのか―恋人選びのルール
第6章 人はなぜ恋をするのか―恋愛の進化
第7章 失恋とはなにか―拒絶、絶望、怒り
第8章 ロマンスを長つづきさせる―恋わずらいに効く薬
第9章 それでも人は恋に落ちる―愛の勝利


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