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本と音楽とねこと

外岡秀俊という新聞記者がいた

及川智洋,2024,外岡秀俊という新聞記者がいた,田畑書店.(8.14.24)

東大在学中に「北帰行」(文藝賞)により鮮やかなデビューを果たし、作家の道を嘱目されながら、新聞記者として生きることを選び、朝日新聞社に入社。以後、四十数年にわたるジャーナリスト人生を余すところなく伝えるオーラル・ヒストリー。ジャーナリズムが病み廃れた現代にあって、健全なメディアを取り戻す方策を示唆する言論人必読の書!

 朝日新聞で健筆をふるった名新聞記者、故外岡秀俊の記者、編集局長時代を回想するオーラル・ヒストリーを、後輩の記者が聴き取る。

 わたしは、学生時代から朝日新聞、朝日ジャーナル、Aera等を愛読していた。

 朝日新聞が安倍シンゾーと癒着しているのではないかという疑念から、4年ほど前に、M新聞に変えたが、社会、文化面の記事や書評のクオリティの差に、愕然とした。

 腐っても朝日、外岡さんのあとを継ぐ優れた記者がいることの証だ。

 新聞が、「社会の木鐸」、「第四の権力」と呼ばれたのは、いまはむかし。

 購読部数と広告出稿の激減で、どの新聞社も経営は厳しい。

 新聞が輝きを放っていた最後の時代に、外岡秀俊さんはいた。

 東西冷戦体制の崩壊、阪神・淡路大震災、コソボ紛争、湾岸戦争、911テロ、イラク戦争、東日本大震災等々、時代を画するできごとに伴走した記者の熱いスピリットが伝わってくる。

 官僚制の「鉄の檻」と化した新聞社との闘争も興味深い。

目次
朝日新聞に就職「私は新聞記事が下手だった」―一九七六‐八三年 新潟支局→横浜支局
疋田桂一郎氏の教え―一九八三‐八九年 東京学芸部「世界名画の旅」→社会部
広く多様なアメリカ社会を取材―一九八九‐九三年 外報部→ニューヨーク支局
冷戦終結後の国連、湾岸戦争を取材―続・ニューヨーク支局
阪神・淡路大震災の現場から―一九九三‐九五年 AERA(アエラ)編集部・論説委員
転機となった沖縄取材―一九九五‐九六年 AERA(アエラ)編集部→社会部兼論説委員
沖縄から日米安保問題、アジアへの展開―一九九六‐九九年 社会部兼論説委員
コソボ紛争を現地取材 9・11の衝撃―一九九九‐二〇〇一年 編集委員
混迷する9・11後の世界をめぐる―二〇〇一‐〇二年 編集委員→ヨーロッパ総局長
イラク戦争、テロ・EU拡大、揺れる世界を見つめる―二〇〇二‐〇六年 ヨーロッパ総局長
東京編集局長 ゼネラル・エディター(GE)に就任―二〇〇六‐〇七年 混乱する朝日の再生を託されて
イデオロギーを排し、暮らし掘り下げ歴史を検証―続・東京編集局長(GE)
朝日の立て直しに手ごたえ、アジアの現場へ―二〇〇七‐一〇年 東京編集局長(GE)→香港駐在編集委員
東日本大震災取材、早期退職と帰郷、再び現場へ―二〇一〇年―
メディアの技術革新とこれから―「二十一世紀 新聞の将来」(朝日新聞社内用提案資料の一部抜粋)
映画少年から創作活動への道―「私が影響を受けた映画」リスト


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