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FREI ABER EINSAM

ロンドンのひとり暮らしで感じたこと~クラシック音楽と旅を中心に~

初秋のパリへ

2006年09月18日 | Weblog




モーパッサンは、自分が少しも好きではないエッフェル塔のレストランで、しばしば食事をした。だってここは、私がパリで塔を見ないですむ唯一の場所だからさ、と言いながら・・・・・。(中略) 塔は見られているときは事物(=対象)だが、人間がのぼってしまえば今度は視点となって、ついさっきまで塔を眺めていたパリを、眼の下に拡がり集められた事物とする。  ロラン・バルト 『エッフェル塔』 (宗左近/諸田和治訳)

バルトならではの実に粋な書き出しである。先般、オランジュリー美術館にて《睡蓮》を目の前に、ふとこの冒頭を思い起した。周りをぐるりと巨大な一連の情景に囲まれていると、私自身が絵画の一部になったような錯覚に陥る。通常、美術館において他の来館者など邪魔者以外の何者でもないが、そのような状況下では、不思議なことに彼らもまた「池のほとりに憩う人々」として心穏やかに眺めることが出来る。エッフェル塔の場合と少しく事情は異なるものの、視点の移動が主客の対立を乗り越えていく、ということだろう。

さて、大作といえば、ロンドンに戻ってからコートールドでココシュカの最高傑作のひとつ、《プロメテウス三連作》を観た。ココシュカによれば、この三連作は己の知性を過信する傲岸不遜な人類への警鐘である。確かに、『ヨハネの黙示録』の4人の騎士を躍動感のある筆触で描いた中央の作品、また、鷲が今まさにプロメテウスの肝臓を食い千切ろうとしている右側の作品、この二つにはそのような画家の意図が容易に見て取れる。プロメテウスの足元に描かれている目が白く塗られた梟も象徴としては単純なものだ。しかるに、ギリシア神話のペルセポネの誘拐に取材した左側のキャンヴァスに目を転じると、そこに、ある興味深い謎が残されていることに気付く。デメテルのもとへ向かうペルセポネを「泉下」より見上げているのはハデスではなく、右手にメデューサの首を掴んだ画家自身なのである。これは一体どういうことだろうか。私の拙い解釈の披瀝は控えるが、あれこれと巡る思いに心を躍らせている。


※ オランジュリー美術館は約6年半もの歳月を経て今年5月にようやく改装が終了した。写真はホテルの部屋からエッフェル塔と凱旋門を撮ったもの。


<最近聴いた演奏会から>


9月13日 ゲルギエフ指揮 ウィーンフィル (BH, London)

モーツァルト 交響曲第36番「リンツ」 ★★★★
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番 ★★★★


9月14日 ゲルギエフ指揮 ウィーンフィル (BH, London)

シューマン 序曲、スケルツォとフィナーレ ★★★★
ショスタコーヴィチ 交響曲第9番 ★★★★+
ブラームス 交響曲第4番 ★★★★

祝祭のザルツブルクへ

2006年09月05日 | Weblog




新涼の中、清々しい気分で飛行機のタラップを下りる。ザルツブルク空港はとても小さい。人通りもまばらだ。あっという間に入国手続きを終え、タクシーでホテルに向う。道すがらここかしこに秋の気配を感じ取ることが出来る。あとひと月も経れば長く暗いヨーロッパの冬の足音が聞こえてくることだろう。ところが、ひとたび旧市街に入ると、世界中から観光やら祝祭目当てに集まった異邦人たちで街は盛夏のごとき熱気を帯びている。ここだけは秋がほんの少し遅れてやってくるのかも知れない。

私の目当てはもちろん祝祭だ。今年はやはりモーツァルト・プログラムが多く、私が聴いたのもブーレーズが指揮したノイヴィルトの作品の他は全てモーツァルトである。中でも秀逸と思われたのはラン・ランの弾いたト長調のピアノ協奏曲(K.453)とアーノンクール指揮ウィーン・フィルの「ジュピター」であった。オペラは《ドン・ジョヴァンニ》が素晴らしかったが、これは歌手陣よりもハーディングの指揮に負うところが大きいだろう。

音楽については既に多くの方がお書きになっているだろうから、私は敢えて音楽以外の話題、食について少しばかり記そうと思う。尚、ザルツブルク祝祭については1月21日付けの日記で触れた『祝祭の都ザルツブルクー音楽祭が育てた町ー』(小宮正安著)や今年発売されたDVD、The Salzburg Festivalなどが参考になろう。私の好きな内田光子も少しく登場する。

さて、旅の楽しみのひとつはその土地の料理を頂くことにあるが、ザルツブルクで地元料理と呼べるのは唯一ザルツブルガー・ノッケールというスフレくらいだ。その代わりここでは地理的、歴史的理由により周辺諸都市の名物料理を味わうことが出来る。ウィーンのヴィーナー・シュニッツェルしかり、ミュンヘンのヴァイス・ヴルストしかり。それにハンガリーのグヤーシュも忘れてはいけない。料理とは呼べないが地ビールもまた美味しい。旧市街にも素晴らしいレストランがいくつかあるが、私の行き付けは旧市街から車で40分ほど離れたフシュル湖畔の古城ホテル、シュロス・フシュルのレストランである。先ず眺望が見事だ。





テラスから見渡す湖の蒼と山の翠のコントラストのなんと鮮やかなことだろう。料理は魚、肉共にいける。メニューには目の前のフシュル湖で捕れるマスを使った料理も載っている。私は今回、前菜にトマトとバジルそれにリコッタを加えた冷製スープ、主菜にエステルハージ風牛肉のブレゼを頂いた。








このエステルハージ風とはハイドンの仕えたハンガリーのエステルハージ家に因んだものである。なるほどグヤーシュに似ているのも頷ける。とはいえ、グヤーシュよりはまろやかでクリーミーなのが特徴だ。噛むほどに肉汁が口中に広がり味わいが増していく。ここの料理には外れがない。フシュル湖はザルツカンマーグートの入り口にあたるが、ヴォルフガング湖ほど観光化されておらず、静かな時を過ごすことが出来る。この古城ホテルに投宿し、祝祭に通うのもお奨めである。



この一枚は以前撮ったもの



<最近聴いた演奏会から>


8月13日 サロネン指揮 フィルハーモニア管 (RAH, London)

スタッキー 管弦楽のための協奏曲第2番 NA
ラヴェル ピアノ協奏曲(ギィ) ★★★★
ムソルグスキー/ラヴェル 《展覧会の絵》 ★★★★★


8月18日 ゲルギエフ指揮 LSO (RAH, London)

ショスタコーヴィチ 《黄金時代》より抜粋 ★★★★
シュニトケ ヴィオラ協奏曲(バシュメット) ★★★★
チャイコフスキー 交響曲第6番 ★★★★ 


8月19日 ゲルギエフ指揮 マリンスキー歌劇場管弦楽団 
(RAH, London) 

シベリウス ヴァイオリン協奏曲(レーピン) ★★★★+
ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 ★★★★


8月22日 ブーレーズ指揮 ウィーン・フィル (GF, Salzburg)

モーツァルト セレナード第10番 《グラン・パルティータ》 ★★★★
ノイヴィルト ...miramondo multiplo...  NA
モーツァルト ピアノ協奏曲第17番(K.453)(ラン・ラン) ★★★★★


8月23日 モウルズ指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団、他
(F, Salzburg) 

モーツァルト 《皇帝ティートの慈悲》 ★★★★


8月24日 ノリントン指揮 カメラータ・ザルツブルク、他 (HM, Salzburg)

モーツァルト 《クレタ王イドメネオ》 ★★★★


8月25日 アーノンクール指揮 ウィーン・フィル (GF, Salzburg)

モーツァルト
交響曲第39番 ★★★★★
交響曲第40番 ★★★★★
交響曲第41番 ★★★★★


8月26日ムーティ指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団、他
(GF, Salzburg)

モーツァルト 《魔笛》 ★★★★ 


8月27日 

アーノンクール指揮 ウィーン・フィル (GF, Salzburg)

モーツァルト
交響曲第39番 ★★★★★
交響曲第40番 ★★★★★
交響曲第41番 ★★★★★


ハーディング指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団、他
(GF, Salzburg)
 
モーツァルト 《ドン・ジョヴァンニ》 ★★★★★


9月1日 ラトル指揮 ベルリン・フィル (RAH, London)

モーツァルト 交響曲第25番 ★★★+
ドビュッシー/マシューズ 前奏曲 ★★★★
モーツァルト 交響曲第40番 ★★★+


9月2日 ラトル指揮 ベルリン・フィル (RAH, London)

シマノフスキ ヴァイオリン協奏曲第1番(ツィンマーマン) ★★★★+
ブルックナー 交響曲第7番 ★★★★


9月4日 コヴァセヴィチ ピアノ・リサイタル (CH, London)

ベルク ピアノ・ソナタ ★★★★+
シューベルト ピアノ・ソナタ第20番イ長調(D.959) ★★★★+

ボンよりシューマンの命日に寄せて

2006年07月29日 | Weblog





ライン河。多くの芸術家に霊感を与え続けてきたこの川はシューマンにとってもまた創作の源泉となった。ラインを語らずしてシューマンを語ることなど出来ないだろう。エンデニヒのシューマン・ハウスを後にし、ここバート・ゴーデスベルクのホテルに戻ってからというもの、私はバルコニーから見下ろすラインの悠然たる流れにしばし目を奪われていた。そこにシューマンの生涯を、そして音楽を重ね合わせていたからである。周知の通り今年はこのロマン派の旗手の没後150年の節目にあたる。命日に寄せて何か気のきいた随筆風のものをオマージュにとも思ったが、宿願のエンデニヒ詣でが叶い胸がいっぱいになってしまった。以前の日記をそのまま引用することをお許し頂きたい。


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2005年7月30日付けの日記より
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昨日7月29日はシューマンの命日だった。例年のことだが昨日も朝からシューマンの「レクイエム」やらヴァイオリン協奏曲やらを聴き、シューマンに関する論文と本をいくつか読んで一日を過ごした。

残念ながらシューマンに関する本はこのロマン派の旗手の西洋古典音楽に占める重要性に比して、格段に少ないと言わざるを得ない。そのような中で近年、前田昭雄の『シューマニアーナ』が復刻され、また門馬直美の遺稿『シューマン』が出版されたことは欣快に堪えない。遡って2001年にはOUPからEric Frederick JensenのSchumannが上梓されており、昨日はこの中からいくつかの章を拾って再読したのである。とりわけ第15章の「エンデニヒ」は何度読んでも胸の潰れる思いがする。以下ではこの章の内容に則し、シューマン最晩年に纏わるある二つの疑問に対しごく簡単に答えてみたいと思う。

見出しから察せられるように、この章ではエンデニヒのサナトリウムでのシューマンの最後の日々(1854年3月4日ー1856年7月29日)が描かれている。周知の通り、シューマンの病気・死因に関しては諸説あって(入手が容易なものでは、岩田誠『脳と音楽』メディカルレビュー社とその文献表などが参考になろう)、今となってはどれも憶測・推測の域を出ないが、シューマンがこの療養所でどのような扱いを受け、またどのような気持ちで日々を過ごしていたかということについては書簡等を基に比較的容易に窺い知ることが出来る。

それによればシューマンは1855年の春まで幾度となく退院もしくは転院の希望を述べている。否、「述べている」などという中立的な表現では済まない。私にはほとんど悲痛な叫びのようにさえ聞こえる。この時期までは創作活動も継続されており、それらに異常が認められない点はヨアヒムも指摘しているが、退院もしくは転院の望みが絶たれた途端シューマンの病状は悪化の一途を辿る。否、むしろ自ら死を選んだとしか思われない節があるのである。

ではシューマンがそれほどまでに退院を切望したのはどうしてだろうか。またそれにも拘らずその望みが叶えられることがなかったのはなぜか。前者の疑問から見ていこう。それはこのサナトリウムの治療方針に由来すると思われる。ジャンセンによれば、大雑把に言って、ここでは心の病の治療が心ではなく体に対してなされており(例えば冷水浴や極端な食餌療法)、体の調子が整えば心の病はそれに伴って自ずと治癒されると考えられていた。こうした考えが根底にあったため患者の精神活動(シューマンの場合とりわけ創作活動)は軽視され、シューマンはピアノを弾くのさえ担当医の顔色を窺いつつ許可をもらわなければならないほどだったのである。これは精神活動を重視し、創作活動を奨励した当時のパリのサナトリウムとは著しい対照をなしている。エンデニヒのサナトリウムも当時の公立の施設に比べれば格段に進んでいたようだが、ここでの治療方針がシューマンに合わなかったことはこの作曲家の性格に思いを致すとき容易に推察出来ることである。担当医リヒャルツのシューマンに対する態度が冷たいものだったのも患者の心の軽視の現われであろう。事実、シューマンを見舞い転院を支援したベッティーナはこのサナトリウムで理性的といえるのは唯一シューマンだけだ、とさえ述べている。

今ひとつの疑問。なぜシューマンのこの悲痛な叫びが聞き入れられなかったのであろうか。様々な要因が考えられようが、クラーラの演奏活動が大きく関与したことは疑いを入れない。よく知られているように、後年、クラーラは職業ピアニストとして華々しく活躍することになるが、その活動はシューマンのサナトリウム入所後に盛んになっていったのである。これについてクラーラ本人はシューマンの入院費を捻出する為と述べている。しかし実際には彼女が演奏活動を行わずとも入院費を支払うだけの貯えも経済的援助の申し出もあったのである。これに対するジャンセンの指摘は単なる邪推と言えるだろうか。彼はクラーラがたとえ無意識だったにせよシューマンの退院によってピアニストとしての活動が妨げられるのを恐れたのではないかと推測している。実際、彼女にとってコンサート・ピアニストとして活動することは積年の夢だったのである。いずれにしてもシューマンの望みが叶えられることはなかった。ジャンセンを引用しよう。

「初めてヨアヒムに退院の希望を伝えてから既に一年以上の月日が流れていた。おそらくシューマンは諦めたのであろう。医師たちの意のままにされ、治療もされるがまま受け入れるより他なかった。そして気づいたのかもしれない。自らに残された唯一の自由は生か死かを選ぶことだけにあると」 

7月29日の夕方4時、シューマンはひとり病室で息を引き取った。最愛のクラーラにもブラームスやヨアヒムにも看取られることなく。




<シューマン関連の図書をほんの少し>


Eric Frederick Jensen (2001) Schumann
Oxford University Press

著者ジャンセンは音楽学者。生涯と作品解説のバランスの取れた記述になっている。何より著者のシューマンに対する並々ならぬ愛情が伝わってくる。

John Daverio (1997)
Robert Schumann: Herald of a New Poetic Age
Oxford University Press

Isserlis, Steven (2001)
Why Beethoven Threw the Stew: And Lots More Stories About the Lives of Great
Composers
Faber and Faber Limited

チェリストのイッサーリスが子供向けに作曲家の生涯を紹介した本。大人が読んでも充分に楽しめる。

「極めて一般的に言えば、バッハの音楽は神の世界観がどのようなものであるかを示しており、モーツァルトの音楽は自然界の一部であり、ベートーヴェン(の音楽)は全人類の代弁をしている、と言えるでしょう。ではシューマンはどうでしょうか。シューマンの音楽が伝えるのはローベルト・シューマン個人の感情です。しかし、それにも拘わらずシューマンの音楽は私たちみんなに語りかけてきます。なぜでしょうか。それはシューマンの抱く感情が極めて強烈でリアルなために、私たちはシューマンに自分自身を重ね合わせて見ることが出来るからなのです」 (p.84)

演奏家によるシューマン観として隻眼と言わねばなるまい。




<追記> 


蛇足とも思われるが、ここでの私の意図はクラーラを断罪することではない。結局のところクラーラはシューマンが命をかけて愛した女性である。それでもやはりハーシュに過ぎただろうか。

Martin Demmler (2006)
Robert Schumann. Eine Biografie. Ich hab im Traum geweinet
Reclam

Beate Perrey, ed. (forthcoming)
The Cambridge Companion to Schumann
Cambridge University Press


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日付は29日に変わった。夕刻には花束をもって旧墓地に参ろう。ローベルトと語り合うために。


* 上の写真はホテルの部屋からのライン河の眺め。対岸に聳えるズィーベンゲビルゲの雄姿に英雄ジークフリートが重なろう。下は裏庭側から撮ったエンデニヒのサナトリウム。現在はシューマン・ハウスとして公開されている。シューマンが息を引き取った部屋は二階左端。







<最近聴いた演奏会から>


7月17日 (CH, London)

エッシェンバッハ他

シューマン オーボエとピアノのための3つのロマンス ★★★★★
モーツァルト ピアノと管楽器のための五重奏曲(K.452) ★★★


7月21日 (RAH, London)

ツェートマイアー指揮 ノーザン・シンフォニア

リゲティ ラミフィケイションズ ★★★★★
シューマン 交響曲第4番 ★★★★★
ブラームス ヴァイオリン協奏曲 (ツェートマイアー) ★★★★+


7月25日 (ROH, London)

ヴェデルニコフ指揮 ボリショイ・オペラ

プロコフィエフ 《炎の天使》 ★★★★★

向暑のヴェネツィアへ

2006年06月29日 | Weblog



ストラヴィンスキーの墓に詣でるべくヴェネツィアへ飛んだ。サン・ミケーレ島。ヴェネツィア中心部とヴェネツィアガラスで有名なムラーノ島の中間に位置するこの島に20世紀を代表するかの音楽界の巨匠が眠っている*1)。島を囲む牆壁と聳立する糸杉からベックリンの《死者の島》を思い起こす向きも多いことだろう*2)。サン・ミケーレ島は《死者の島》ほど静謐で粛然とした雰囲気こそないが、どこへ行っても観光客でごった返しているヴェネツィアの喧騒にあってはサンクチュアリとでも呼びたい静寂を保っている。囚人島としての歴史も併せ持つこの島には一般の観光客を魅了するものなど何もない。そのせいか観光案内所で島への行き方を伺った折には案内係の女性に怪訝な顔をされてしまった。この点、ウィーンの中央墓地やストックホルム郊外の「森の墓地」などとは少しく事情が異なるようである。ヴァポレットから島に降り立ち、何人もの方々に伺ってようやく目指す墓に辿り着いた。墓石は地味の一語に尽きる。取り立てて意匠を凝らした跡はなく、供えられた色とりどりの花々のみが高名な主の存在を僅かに伝えていた。その簡素な佇まいはまた「派手やかなバレエ音楽の作曲家」という偏ったレッテルを拒んでいるようにも見える。そっと手を合わせ、いつの日か「イタリア組曲」を弾くことを誓って島を後にした。


*1 他にディアギレフやノーノの墓もある。
*2 "Die Toteninsel"は《死者の島》、或いはより明示的に《死者たちの島》
と訳すべきであって、《死の島》は文法上誤訳である。英語の定訳も
"The Isle of the Dead"であって"The Dead Isle"ではない。「死の島」は
草木の生えない荒涼とした島にこそふさわしいだろう。






<最近聴いた演奏会から>



6月11日 ゲルギエフ指揮 ロッテルダム・フィル (BH, London)

ショスタコーヴィチ 交響曲第3番 ★★★★
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番 (ランラン) ★★★+
ショスタコーヴィチ 交響曲第15番 ★★★★+


6月13日 ハイティンク指揮 ウィーン・フィル (BH, London)

モーツァルト 交響曲第38番 (K.318) ★★★★
モーツァルト フルート協奏曲第1番 (K.313) (シュルツ) ★★★
ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 ★★★★★


6月16日 ブレンデル ピアノ・リサイタル (BH, London)
 
ハイドン ピアノ・ソナタ ニ長調 (Hob. XVI/42) ★★★★
シューベルト ピアノ・ソナタ第18番 (D.894) ★★★★
モーツァルト 幻想曲 ハ短調 (K.475) ★★★★
モーツァルト ロンド イ短調 (K.511) ★★★★
ハイドン ピアノ・ソナタ ハ長調 (Hob. XVI/50) ★★★★★


6月20日 マッケラス指揮PO (QEH, London)

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番 (ブレンデル) ★★★
シューベルト 交響曲第9番 「グレイト」 ★★★★


6月24日 デイヴィス指揮OROH、他 (ROH, London)

モーツァルト 「フィガロの結婚」 ★★★


6月27日 尾高忠明指揮LSO、他 (St Paul's Cathedral, London)

ブラームス ドイツ・レクイエム ★★★★

風薫るベルリンへ

2006年05月27日 | Weblog
アバドがシューマンの「マンフレッド」を、ブーレーズがマーラーの交響曲第8番を振るというのでベルリンへ飛んだ。とりわけ楽しみにしていたのは前者である。序曲のみ有名で、全曲となるとなかなか聴く機会がない。普段取り上げられることの少ないこうした作品を聴けるのはやはりシューマン・イヤーの恩恵というべきだろう。

技術的な観点から言えばアバドとベルリン・フィルはほぼ完璧で、綻びがなく綺麗にまとまっていた。この点、この両者であれば十分に予測されることであり、特に驚くにあたらない。脆弱と評されることもあるシューマンのオーケストレイションも多分に演奏上の問題であることが改めて諒解されたのみである。だが、そこにはシューマンをシューマンたらしめている何か、シューマンらしきものが欠けていた、と言わざるを得ない。シューマンの語法や様式。これについて語るのは他の作曲家の場合と同様、容易なことではない。しかし、例えば、腐心を重ねて積み上げた構造の間隙を衝いて湧き上がるロマンティシズム。或いは浅田彰が「シューマンを弾くバルト」でフモールと呼んだもの。そうしたものがアバドのシューマンには決定的に欠けている。

無論、これに拠ってアバドを断罪するつもりは毛頭ない。そうした類の印象のみに基づく断罪を吉田秀和ならば「演奏者に気の毒」と言って慎むだろう。異論はない。「シューマンらしくないから駄目」は言われる側にしてみれば「駄目だから駄目」と大差ないのである。だが、一方で、私がアバドのシューマンに感じる違和感を私自身が諒解する際には「シューマンらしくない」という言葉は大きな重みを持つ。

さて、ベルリン・フィルといえば今年のジルベスターは内田光子がモーツァルトを弾く。八面六臂の大活躍である。Dussmannで最近DGからリリースされたDVDを購入したがこれも素晴らしい。それだけにモーツァルトの誕生日のガラ・コンサートを収めたDVDの発売が中止されたのは返す返すも残念に思う。


*写真はUnter den Lindenのぼだい樹。英国ではLime treeと呼ばれ親しまれている。釈迦が悟りを開いた常緑の菩提樹とは違い秋には落葉する。



<最近聴いた演奏会から>



5月14日 五嶋みどり ヴァイオリンリサイタル (BH, London)

シューベルト ヴァイオリンソナタ (D.384) ★★★★
プロコフィエフ ヴァイオリンソナタ第1番 ★★★★+
シェーンベルク 幻想曲 (op.47) ★★★★
ベートーヴェン ヴァイオリンソナタ第7番 ★★★★


5月15日 ユンディ・リ ピアノリサイタル (QEH, London)

シューマン 「謝肉祭」 ★★★+
リスト ピアノソナタロ短調 ★★★★


5月16日 ソコロフ ピアノリサイタル (BH, London)

バッハ フランス組曲第3番 ロ短調 ★★★★★
ベートーヴェン ピアノソナタ第17番 「テンペスト」 ★★★★+
シューマン ピアノソナタ第1番 ★★★★+

*ソコロフはやはり素晴らしい。アンコールにショパンを何曲か
弾いてくれたが、これは絶好調時のペライアに肉薄する。ただ、
「テンペスト」第二楽章の非常に遅いテンポには首を傾げざるを
得ない。


5月17日 ネトピル指揮LPO (QEH, London)

シューマン ヴァイオリン協奏曲(ホープ) ★★(第二楽章★★★★+)
モーツァルト 交響曲第38番 「プラハ」 ★★★★

*ホープは音程が甘く、オーケストラとも合ってなかったが第二楽章
だけはとても素晴らしかった。


5月18日 アンスネス ピアノリサイタル (WH, London)

シューベルト ピアノソナタ第19番 (D.958) ★★★★+
ベートーヴェン ピアノソナタ第31番 (op.110) ★★★★+


5月21日 アバド指揮ベルリン・フィル他 (Philharmonie, Berlin)

ヴァーグナー ヴェーゼンドンク歌曲集 ★★★+ 
(アンネ=ゾフィー・フォン・オッター) 
シューマン 「マンフレッド」 ★★★★


5月23日 ブーレーズ指揮シュターツカペレ・ベルリン他 
(Philharmonie, Berlin)

マーラー交響曲第8番 ★★★★★


5月25日 ブリュッヘン指揮PO (QEH, London)

オール・モーツァルト・プログラム

交響曲第36番 「リンツ」 ★★★★
協奏交響曲 (K.364) (トールセン&パワー) ★★★
交響曲第41番 「ジュピター」 ★★★★★

*オーケストラがノンヴィブラートを徹底している時にソリスト
だけがヴィブラートたっぷりとはどのような理由によるのか?

春爛漫のウィーンへ

2006年05月07日 | Weblog
                  


エッシェンバッハがウィーンフィルを指揮してシューマンの交響曲第二番を取り上げるというのでウィーンへ飛んだ。午前中はホテルに籠もって論文を書き、午後は美術館へ出かけたり、カフェで本を読んで過ごした。目が疲れるとあてもなく街や公園を散歩をした。プラタナスやマロニエの若葉がウィーン特有の黄色い街並みに映えてきらきらと目に眩しい。夜はもちろん演奏会。エッシェンバッハ指揮ウィーンフィルの二日前にはサヴァリッシュ指揮ウィーン響によるシューマンの「ライン」も予定されていたが、残念ながらこの組み合わせによる演奏会は実現しなかった。代役のオロスコ=エストラーダ(*1)も悪くはなかったが、サヴァリッシュが描き出すあの構築の見事なシューマンをこの若手指揮者に期待しても無理というものだろう。私が最後にサヴァリッシュのシューマンを生で聴いたのはかれこれ十年ほど前のことだろうか。春爛漫のただなかで暮秋を想わずにはいられなかった。


1. アンドレス・オロスコ=エストラーダ(Orozco-Estrada) 1977年コロンビアのメデリン生まれ。幼少期よりヴァイオリンを学ぶ。1992年から指揮を始め、1997年にウィーンに渡りウィーン音楽演劇大学でラヨヴィッチのもとにて研鑽を積む。


                   

写真の中ほど、紅梅色のGalerieと書かれた建物にシューマンが住んでいた。シュテファン寺院から徒歩数分のところにある。壁のいしぶみには「この家にローベルト・シューマンが1838年10月から1839年4月まで住んでいた」とある。



<最近聴いた演奏会から>


4月24日 ハイティンク指揮LSO (BH, London)

ベートーヴェン

交響曲第8番 ★★★★
交響曲第5番 ★★★★★


4月25日 アバド指揮グスタフ・マーラー・ユーゲントオーケストラ 
(楽友協会大ホール、ウィーン)

シェーンベルク 交響詩 「ペレアスとメリザンド」 ★★★★★
マーラー 交響曲第4番 (ソプラノ独唱 バンゼ) ★★★★★


4月26日 ムーティ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団 
(ウィーン国立歌劇場、ウィーン)

モーツァルト 「フィガロの結婚」 ★★★+


4月27日 オロスコ=エストラーダ指揮 ウィーン交響楽団 
(楽友協会大ホール、ウィーン)

シューマン 「序曲、スケルツォとフィナーレ」 ★★★
メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲ホ短調 (カヴァコス)★★★★
シューマン 交響曲第3番 ★★★★


4月29日 エッシェンバッハ指揮 ウィーンフィル 
(楽友協会大ホール、ウィーン)

シューマン チェロ協奏曲 (ヴァルガ) ★★★★
シューマン 交響曲第2番 ★★★★+


4月30日 ハイティンク指揮LSO (BH, London)

ベートーヴェン 交響曲第1番 ★★★★
ベートーヴェン 交響曲第9番 ★★★★+


ハイティンクのベートーヴェン・チクルスもこの9番をもって終わりを告げた。ハイティンクの指揮は立派だがもう一つ心に迫ってくるものがないという評をよく耳にする。思うところあってオランダ人の友人にもこの同国人の巨匠について聞いてみたが大体同じような答えが返ってきた。確かにハイティンクの指揮は感情に揺さぶりをかけたり、聴きどころをハイライトしてくれることは少ない。端的に言って理知的だ。しかしその分バランスと見通しの良さは随一だと思う。私はもとよりハイティンクに恣意的なアゴーギクやディナーミクによって扇情されたいなどとは思わない。演奏は十分に素晴らしい。最後の9番も不満は独唱陣のみである。

岡田暁生 著 『西洋音楽史ー「クラシック」の黄昏』 (中公新書)を読む

2006年04月20日 | Weblog
結論から述べよう。新書という制約(紙数、対象とする読者等)の中で書かれた一冊ものの西洋音楽史(通史)の概説書としては好著である。何より理路整然と書かれており、著者の目論見通りストーリーに推進力もある。

本書の特徴のひとつは記述の対象とする時代に応じて、それに見合った(と著者が考える)語り口・記述様式を採用していることで、具体的には

「クラシックの時代」を語る場合にはその歴史化を、逆に「古楽/現代音楽の時代」を語る場合にはそのアクチャル化を図りたい (p. v)

ということである。また中心となるのはあくまで「クラシックの時代」であり、「古楽の時代」や「現代音楽の時代」は自己充足的にではなく主として「クラシックの時代」との関連で語られる。個人的には現代音楽にもう少し紙幅を費やして欲しいところだが、それは無い物ねだりというべきか。

さて中心となる「クラシックの時代」であるがその「歴史化」とはいかなることか。著者自身の言葉を借りればそれは

主要な新潮流とその展開を、それを代表する作曲家と作品に沿いつつ、美学や作曲技法や時代精神から説明する (p. 219)

ということになる。一読して気が付く通り、なんら目新しい記述法ではない。この著者の優れた知見や手腕はここから先に見出される。そのような点を二つ挙げよう。一つはこの広く浸透し、標準化されたいわば「無標」の語り口=歴史化の有効性を疑ってみることであり、実際に「現代音楽の時代」を記述する手段としての歴史化はこれを不適格として排除する(ついでながら、私は現代音楽とそれ以前の音楽を隔てる分水嶺の決定には脳内における音楽認知の仕組みが深く関与していると思っているが、それについては機を改めねばならない)。

もう一つは「クラシックの時代」を語る場合のこの歴史化の巧さといったらよいだろうか。改めて言うまでもなく歴史化の巧拙は各時代を「代表する作曲家とその作品」をいかに確定するかによって決まるのではなく(無論、そうした側面も皆無ではないが、先ずキャノンの問題があるのであって、これを無視した結果語られる音楽史はKitschであることを免れないだろう)、それらを貫く歴史の流れをいかに掘り起こすかによって決まる。本書で著者が水先案内を務めるのは比較的淀みや蛇行の少ない流れである。そこをストレートに一気呵成に下って行く爽快感。それは或いは読む者に西洋音楽史を手中に収めたとさえ錯覚させるかも知れない。見事な手腕である。

だが、この推進力の強さ、リーダビィリティの良さは同時にその負の側面をも浮き彫りにしている。つまり、ここで語られる西洋音楽史はー否、それをいうなら歴史とはなべてー多かれ少なかれ語り手の偏見や憶断に基づく切捨ての美学の結晶とでも呼ぶべきものであって、この強力な推進力は一方で歴史化の過程で抽象化に与らなかった人物や事物、さらには文化や思想などといったものがいかに多いかを示しているのである。無論、そうしたことは百科事典のような項目のリスト化とは根本的に異なる歴史化に伴う必然であって避けることの出来ないものであろう。ならば歴史の流れに身を置きつつも、切り捨てられたもの達の怨嗟の声に耳を傾けること、それらの屍から目を逸らさないことこそ肝要なのではないか。畢竟、本書で語られる西洋音楽史も無数にあり得る西洋音楽史の一つに過ぎないのである。



<最近聴いた演奏会から>


4月5日 内田光子 ピアノリサイタル(BH, London)

オール・モーツァルト・プログラム ★★★★★+

親指と人差し指で「ほんのちょっと」と示した後のアンコール。モーツァルトだろうとばかり思っていたらあにはからんや聞こえてきたのはシェーンベルク(Op.19-4)。相変わらず面白いことをする。最後はK.545の第二楽章。魂は遥かSeventh heavenへ。


4月14日 ゲルギエフ指揮LSO (BH, London)

ショスタコーヴィチ 交響曲第1番&14番 ★★★★


4月19日 ハイティンク指揮LSO (BH, London)

オール・ベートーヴェン・プログラム
序曲「レオノーレ」第3番 ★★★★★
交響曲第4番 ★★★★   
ピアノ協奏曲第5番(ルイス) ★★

ミラノにて内田光子を聴く

2006年04月06日 | Weblog
内田光子がブーレーズの《12のノタシオン》を弾くというのでミラノへ飛んだ。内田さんは同曲を昨年RFHでも取り上げているが、そのあまりの衝撃を忘れられずにいたのである。プログラムは以下の通り。

モーツァルト 幻想曲 ハ短調 K.475
ブーレーズ 《12のノタシオン》
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 op.110
モーツァルト ピアノ・ソナタ 第18番 ヘ長調 K.533/494
モーツァルト ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調 K.576

会場はヴェルディ音楽院、楽器はFabbriniである。この楽器については昨年も少しばかり触れたが、有名なところではポリーニが愛用している。クリアでブリリアントな響きを聴かせてくれるが、どこか陰影に乏しいと感じるのは僕だけだろうか。さて、肝心の演奏であるが、これはもう素晴らしいの一語に尽きる。他に何が言えよう。否、大切なものをそっと自分の胸だけにしまっておきたい、徒に言葉を重ねたくない、というのが正直なところかも知れない。

今夜もバービカンにて内田さんによるオール・モーツァルトのリサイタルが催される。会場がロンドンということもあり、例によって御自宅のピアノを運び込まれるそうだ。80年代のスタジオ録音、91年5月のライヴ録音、それに演奏会を加えた3者を比較してみるというのもファンにとっては興味の尽きないところであるが、今は何より内田さんの創りあげるモーツァルトの世界を心ゆくまで堪能したいという思いが強い。朝から気も漫ろな訳である。

3月28日(ミラノ) 内田光子 ★★★★★

<最近聴いた演奏会から>

4月2日 ガーディナー指揮LSO
バルトーク ピアノ協奏曲第3番 (アンデルシェフスキー) ★★★+
シューベルト 交響曲第9番 《グレイト》 ★★★★

Pierrot Lunaire

2006年03月14日 | Weblog
先日、久しぶりにROHでオペラを観た。近年は海外でオペラを観ることが多く、拙宅から歩いてすぐのこの歌劇場にも足が遠のく一方だが、《ヴォツェック》となれば話は別で、さらにはハーディングが指揮ということもあり、大いに期待しつつ足を運んだのである。そして結論から言えば期待を裏切られることはなかった。子どもに母親の情事や父親の変死体を目撃させるといった演出も、霊安室を彷彿とさせる舞台も実にブリークで、観ていて気分が悪くなるほどだったが、ハーディングの指揮がやはり素晴らしく、目を瞑ってただ音楽に耳を傾けていたいという衝動に駆られる程だった。周知のように、このオペラの音楽上の緻密な構成は驚くばかりで、それぞれの場面に応じて様々な手法(一幕四場のパッサカリア、一幕五場のロンドなど)が用いられているが、ハーディングは各々の性格づけが見事で、結果、専ら音楽に神経が傾いていったのである。この指揮者は交響曲を振る場合も非常に理路整然とシャープに音を運んでいくが(例えばDKBとのブラームスの交響曲の第三番の見事なこと!)、かといって無味乾燥に陥ることなく、それどころか、匂い立つような、そして官能的とも呼べるような美しさを垣間見せてくれることがある。今回の《ヴォツェック》はそうしたハーディングの特質が遺憾無く発揮されていたように思う。

先週はまた二夜連続でシェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》を聴いた。特筆すべきはスコヴァが以前に比べ格段に良くなったことで、かつては内田光子のピアノやスタインバーグのヴァイオリン/ヴィオラと齟齬をきたしてしまったり、破擦音の硬さが耳に障ったりということもあったが、久しぶりに聴いてみるとフレージングの問題から生じていたアンサンブルの乱れが解消され、発声/調音も喉頭より上部(鼻腔や口腔)に頼り過ぎることなく、腹からの呼気が不自然な狭窄/閉鎖を経ずに無理なく発せられていた。無論、この曲が難しいのはただ自然に歌ってしまってはダメなところだが、そこはやはり女優というべきか、堂に入った語りを聴かせてくれたのである。してみれば、これはSprechgesangのひとつの理想形といえるかも知れない。この劇世界によほど同化してしまったせいだろうか。O alter Duft aus Maerchenzeit!と明瞭なアーティキュレイションで結ばれた時、現実との境界を覚束ない思いで探さなければならない程であった。


<最近聴いた演奏会から>

ベルク 《ヴォツェック》 ★★★★
シェーンベルク 《月に憑かれたピエロ》 ★★★★★
ベルク 《抒情組曲》 ブレンターノQ ★★★★
シューベルト 即興曲集(D.899) 内田光子 ★★★★★(一日目は★★★★)
チョン・ミュンフン指揮LSO マーラー 交響曲第五番 ★★★+
ユンディ・リ ショパン ピアノ協奏曲第一番 ★★★★

モーツァルト週間のザルツブルクへ~In search of Mozart~

2006年02月05日 | Weblog
モーツァルトの生誕250年記念を祝うべくザルツブルクの地を踏んだ。ちょうどモーツァルト週間の時期である。今回は内田光子によるオール・モーツァルト・プログラムのリサイタルとウィーン・フィルによるコンサートを聴いた。

内田さんの演奏会はひとつひとつが忘れ難い貴重な思い出となっている一方で、不思議なことに、彼女と共有したあの時間や空間が果たして現実のものだったのだろうか、という思いに囚われることがある。別世界に連れ去られてしまうからだろうか。演奏の細部については到底書く気になどなれないが、同じ日の夜に聴いた別のピアニストによる凡庸な演奏と比較してみた時、書かれた楽譜と聴き手が認知する音楽との間に存在する恐ろしく深い溝(ここにこそ演奏家のレーゾンデートルを見出すことが出来る)に改めて思いを致すことになった。一方、ウィーン・フィルの演奏会はバレンボイムが振る予定だったが、病気のためホーネックが代役を務めた(曲はK.543他)。ホーネックはなかなか面白い指揮をする人で、特に変ホ長調の交響曲の第一楽章は随所に工夫が見られた。重厚な響きを保ちつつも、鈍くならないのはこうした工夫のおかげであろう。後半は息切れしてしまったのか、意思が通わず、ただ漫然と音が流れる箇所があったのが惜しまれる。

それにしてもモーツァルトの音楽のなんと素晴らしいことだろう。最近のモーツァルト騒ぎにはつい背を向けてしまうという向きも、ひとたびモーツァルトの音楽に接すれば、そうしたちっぽけなプライドなど一瞬にして吹き飛んでしまうのではあるまいか。

モーツァルト関連の話題をもう一つ。先日、グラブスキーによるドキュメンタリー・フィルム"In search of Mozart"を観た。グラブスキーは2003年にグラインドボーンでラトル指揮の《イドメネオ》を聴いた折、"Who was Mozart? Where did he come from? What made his music?"といった疑問が次々と頭に浮かんだと述べているが(Classic FM February 2006)、それに対する答えが"In search of Mozart"として結実した訳である。モーツァルトの生涯を音楽家や歴史学者へのインタビュー、それに楽曲を通じて時代順に追っていくという構成になっている。一見まとまりがなくフラグメンタリーな印象を受けるが、これはこれで良いのではないだろうか。モーツァルト関連の資料は膨大な数に上り、モーツァルト観もまた人それぞれである。高高二時間余りのフィルムから首尾一貫した特定のモーツァルト像が浮かび上がってくるとしたら、それは製作側による断章取義の傍証でしかない。大した主張もない代わり、そうした類の押し付けがましさがなくて心地良いのである。評判ほど素晴らしいとは思わないが、モーツァルトの生涯について手軽に知るには悪くないと思う。

内田光子 ★★★★★+
ウィーン・フィル ★★★(協奏曲)/★★★★(交響曲)

* 写真は修復されたモーツァルト像。背後にモーツァルト専門のインフォメイション・ブースが見える。正面にはデーメルがオープンする予定。