bluewallの毎日

マイカーレポ&音楽活動日記

ライフ燃費記録(10回目)

2004年07月10日 | ライフ燃費記録(~07/2)
ついに、新型ライフ納車から3ヶ月あまりで燃費記録も10回目!
みなさんの参考になっているでしょうか?

さて今回の給油段階で、走行キロ数も4千キロを越えていました。

んで今回はこんな感じです
↓  ↓
10回目【2004/7/10】
○ライフディスプレイ 14.8km/l
●満タン法により計算 13.1km/l
 347.6km ÷ 26.34L = 13.1km/l

おそらく最低記録ですね(-_-;)

原因はただ一つ!
エアコン!!
やはりエアコンをつけると途端に燃費が悪くなりますな。。。
そして、チョイ乗り。
今回はあまり長距離運転をしてないんです。

まぁ夏場は仕方ないですよね。きっと。
今月末は、オートギャラリー東京2004に行く予定なので、これで燃費かせぎが出来そうです。


夢見続けて今も。。。PART2

2004年07月10日 | 気ままな日記
bluewallの幼き日々をたどる。。。
夢について語るBLOGパート2は中学~高校へ。

さて高校進学という課題が出てきたわけです。
私は決して成績がいいほうではありませんでした。
外見から、まじめ・勤勉と謳われていましたが、実際のところは市内の中間レベルでないと行けない学力でした。

そこで、ひとつ提案されたのが商業高校への進学でした。

担任が進めた理由。。。ゲームデザイナーになるにはパソコンが使えなきゃ駄目だろう。。。みたいなことを言われて受験する運びになったと思います。

当時、美術の教師の夢よりゲームデザイナーが上をいっていたのでしょう。

あとから気づくのですが、商業高校で学ぶパソコンは実務向けであって製作向けのパソコンを学ぶのは工業だったのですっ!
いや、普通気づくだろうって(^_^;)

しかし、この商業高校進学は、内気だった俺を、180度変える出会いが2つありました。(ちょっと夢の話からずれちゃうなぁ・・・)

・すばらしい女性との出会い
 まったくもって女子と話したことのない俺と積極的に会話をしてくれた方です。感謝しています。はじめて会った日に熱をうつされるほど長時間会話したことは今でも忘れませぬ。。。(-_-;)
 まぁとりあえず、ありがとうと言いたい。。。(詳細は話がそれるので省略)

・すばらしい教師との出会い
 この教師には非常に感謝しています。
 コンピュータ部に所属して平々凡々にすごそうとしていた人生を真っ向から変えてくれた人です。
 正直当時の活動内容は厳しすぎて、涙が出る日もありましたが、前述の女性と友人たちに救われ、そして良く考えれば、この先生自体に救われ、今ではすばらしい思い出です。
 そして3年の時、この先生は異動されました。異動の日は涙をこらえるのが精一杯で言葉を出せませんでした。
 
 その先生にあこがれて商業の教職免許が取れる(しかも県内の)大学に進学しました。
 そしてまた私の夢を変える人々と出会うのです。。。

夢見続けて今も。。。PART1

2004年07月10日 | 気ままな日記
今日は夢について語っておこうと思います。
タイトルはFIELD OF VIEWの曲名からのパクリなのですが。。。

いつもこのbluewallの日記に書き込みをくれるみおんさんが夢について語ってくれたので、そのレスの意味もこめての文章ってことで。

みなさんは将来の具体的な夢ってものを築き始めたのいつごろですか?
俺は小学校の後半だったと思います。

その1.ゲームデザイナー
小学校後半から中学まで夢見た職業です。
当時、週間ファミ通というゲーム雑誌を集めて読んでいました。
今でもそうですが、就職進学の時期になると、ゲームデザイン専門学校の記事が多くなるわけです。
当時の俺は、幼いながらもこういうゲームをつくってみたいなぁ。。。とか想像にふけってました。
元々想像力はあった方なので、ひとりで色々物語を想像して遊んでたりもしたのです。

で、同時進行で中学の後半にあこがれた職業は、、、
その2.美術教師
当時中学の美術の先生は、すばらしく尊敬できる人でした。
結局私が3年になるときに、自らの希望(?)で養護学校へ異動されました。
先生がいい人だと授業も好きになるもので美術が好きになり、
3年(2年だったかな?)のときに課題で自分があこがれている職業調査の時は、本当は数人グループで調べるのですが、私の場合は一人で具体的過ぎる職業だったため孤立して、単独行動でした。
おかげで大変でしたが、美術教師になるためには、美大に行って教職免許とって教員採用試験に受からなければならず、採用自体も狭き門であることを知らされました。

ここまでの2つの夢は中学後半では並行していました。

と、いうのも当時ゲームデザイナーという職業につくためのひとつの道として美大に行くと言う手段もあったからです。

美大にいける高校を探そう。

そう心に決めたのもつかのま・・・

(続く)