疾走感

2013年12月31日 | 日記

 バスや電車に乗るのがあまり好きではないから、普段、片道40分かけて自転車通勤している。周りの人にそのことを話すと驚かれることが多い。もちろん、バイクや車があればいいかなと思うこともある。そもそも免許を持ってないことで兄からは、「成人男性で免許を持ってないのはお前ぐらいだ。お前は馬鹿だ」とよく言われる。でも、自転車に乗っているといい運動になるし、何かと感じることもある。

 ちょうど今の冬の季節だと寒いのだけれど、20分ほどすると体が温まってきて運動しているのと同じ感覚になってくる。すると、高校の時のサッカーをしていた自分が自然と思い出されてくる。フェイントを何度もかけられて悔しかった自分や、逆に、フェイントで相手をかわして爽快だった自分など、悪いプレーやいいプレーをしていた自分が思い出される。自分なりにサッカーを必死に取り組んでいたけれど、2軍だったからサッカーで上手くいったとはいえない。だから、今でもトラウマのようにあの時のことが思い出される。体を動かすと、サッカーをしていたあの時のことを体が思い出すのだ。

 20代の時は、嫌な記憶を振り切ろうと焦燥感に駆られたり苛々したりしたものだ。しかし、最近では高校の時の自分を少しは冷静に見られるようになった。なぜ監督が自分を1軍の試合に出さなかったのか、自分のプレーのどこに問題があったのか、そんなことを少しは分析できるようになってきた。そして、分析する内に自分の人間性にも問題があったことに気づけるようになってきた。

 自転車に乗りながら自分自身を見つめ直している。

 

 

 

 

 


海からの声

2013年12月27日 | 

 石原慎太郎の小説集「聖餐」の中の一編、「海からの声」が心に残っている。

 物語の最後で、海の遭難で夫を亡くした未亡人が、海の音に耳を澄ませながらそっと目を閉じて見せる場面がある。海からの声に耳を澄ませる夫人の様子が印象的だ。

 人には時折、どこからか来る声なき声に耳を澄ますことが必要なのかもしれない。


夢を信じて

2013年12月24日 | 音楽

 今年のNHK紅白歌合戦で徳永英明が「夢を信じて」を歌う。子どもの時に見ていたアニメ「ドラゴンクエスト」のエンディングテーマ曲として流れていたから、思い出がある。あの時も、そして今も、聴いていると元気が出てくる。

 


女のいない男たち  イエスタデイ

2013年12月22日 | 

 村上春樹の「女のいない男たち イエスタデイ」を読んで、主人公の友人である木樽の存在が気になっている。

 彼は、生まれも育ちも東京なのに独学で習得した関西弁をいつも話している変わった男だ。予備校に通いながらもほとんど受験勉強をしない木樽。結局彼は、受験勉強は人生の無駄だといい大学進学をやめ、16年後にはアメリカで鮨職人として働いている。

 ありのままの自分で生きている木樽に魅力を感じる。彼の人生が上手くいっているのかどうかはわからないが、少なくとも大学はつまらないと思いながらも大学に通っている主人公よりは人間性に魅力を感じる。

 

 


マラドーナ

2013年12月14日 | 日記

 マラドーナのような喜怒哀楽を全身で表現する選手が好きだ。彼のような超一流選手がフィールド上で見せる表情や躍動感は、人間というより野生動物のように見えることがあって、観ている人間の情動を覚醒させてくれる。


キッズ・リターン

2013年12月08日 | 映画

 北野武の映画「キッズ・リターン」が好きで今までに何度も観ている。特に、ラストシーンが大好きでそこだけを繰り返し観てきた。マサルとシンジのセリフや、彼らの表情や、唐突に始まるエンディングテーマ曲が流れる場面を何千回、いやおそらくは何万回も観てきた。

 観れば観るほど勇気が湧いてくる。

 

 


鮮烈さを求めて

2013年12月02日 | 

 石原慎太郎の「太陽の季節」を久しぶりに読んだ。もうあらすじがわかっているのにも関わらず、昔読んだ時と同じく鮮烈なラストシーンが胸を打った。

 俺は休みの日は家で寝ていることが多い。体がなまるのは嫌だからフットサルをしたりプールに泳ぎに行くこともあるけれど、たいていは寝ているかぼーとしている。そんな時、心の底の底の自分を見つめるようにしている。無意識の自分と対話するようにしている。というのは、今までの自分は、自然に湧き上がる自分の感情を押し殺して生きてきたところがあるからだ。心の底の底の欲望に正直でなかったところがあるからだ。自分自身に対して素直でなかったところがあるからだ。

 「太陽の季節」の主人公、竜哉もまた自分の心に素直になれない人物だ。だからこそ、英子の“何故あなたは、もっと素直に人を愛することができないの”というせりふが竜哉の頭から離れない。自分もまたこの英子のせりふが頭から離れない。振り切ろうとしても離れない。それは今まで自分の心に正直に生きてこなかったからだろう。心の底の底にある自分と向き合えていなかったからだろう。

 現代の日本では、鬱病のような精神を患う人が特に若者の中で増え続けている。今では精神病が“5大疾患”の一つになっているほどだ。それはつまり、自分の心と上手く付き合えていない人が増えているということだ。最近の若者には、政治家としての石原慎太郎は知られていても作家としての石原慎太郎はあまり知られていないようだ。石原慎太郎の小説には鮮烈なものが多い。特にこの「太陽の季節」が見せてくれる鮮烈さに、もっと多くの人が気づくべきだと思う。