山ガールなんて、誰かが勝手に騒いでいるだけだろうと高をくくっていた私。
六甲山のすぐ下に住んでいながら、それでもまだ山ガールの存在を認めようと
しなかった私。
本当にいるんだね。山ガール・・・
(遅いっ!!)
私はもう、(自分の中では)一生分の山登りをしたと思うので、今はただ遠い目で見ることしかできないから、あの頃一緒に山を登った仲間のかっこよさを今改めて感じるばかり。
あの頃せっせっと山へ通ったみなさんが今なにをされているかといえば
「盆栽」「茶道」「テニス」「ヨガ」「ボディービル」「お茶碗集め」「子育て」「砂漠めぐり」
とまさにてんでバラバラ。
みんなアンテナが敏感だったんだな、と思う。
山ガールがやってること、もうぜーーんぶ通り過ぎて、次にいっちゃってるもの。
山には最高の思い出も、最低の思い出も、喜びも、悲しさも、苦さも、全部教えてもらったから“山ガール”って言葉をみかけるたび、心の中がキュッてひっかかれるような気分になる。
今でも特別なんだな。
もう今は誰も信じてくれないけれど“山ガール”だったんだ、私は。
あそこに踏みとどまったら何が見えたんだろう?考えても永遠に答えがでない問いかけを時々してしまうよ。今でも。