旅つづり、日々つづり

旅先で思ったこと、日々の暮らしで感じたこと。そのまま言葉にのせてみました。

父のこと

2007年07月27日 20時05分34秒 | 日々のくらしあれこれ
今回のアフリカ行きをしばらく前に家族に伝えました。

父の一言目がおもしろかったです
「北回りか?南回りか?」

父は1960年代、婚約中の母を残したままふらりと英国に
渡り、3年以上帰ってこなかったという強者。
元祖バックパッカーなのかヒッピーなのか。
だからなのか、彼にとってアフリカは今だ飛行機で何十時間も
かけてパリから入るものだと思っていた模様。

そして母に言った次の一言
「娘がひとりでお金をためてアフリカにいこうとしている。梢は
バカじゃない。色々考えての選択なのであろうから、とめる必要も
ないし、一人で行くからには準備も確実にしているであろう。
しょうもない質問や不安ををぶつけるべきではない。」

この話を母から聞いた時、不覚にも涙がでそうになりました。
そして渡されたメモにはたった一言。 「蚊に注意せよ!」 
実は私は父との折り合いが非常に悪く、もうまともに会話をしたのが
いつなのかも記憶にありません。怒られたこともないし、嫌な思いを
させられたこともないし、折り合いが悪くなる理由は何もないのですが、
大人になった今では少しわかります。
彼は娘に対する接し方がわからないのだろうな・・と。
というか基本的に全てにおいて世間の常識とずれているのでしょう。
数々の伝説のような、漫画のような話は売るほどあります。(マジで)

最近、彼をヒッピーだと思えば、全ての出来事につじつまが合うことに
気づきました。幼い頃、思春期の頃、ヒッピーのような生き方がある事を
誰も私に教えてはくれませんでした。私はとても父の存在が疎ましく、
世間に対して恥ずかしく、誰にも知られたくないと父の存在を隠していました。

しかし、自分自身が遺伝としか思えない旅好きになり、世界中の旅人や
そこで生きる人たちの暮らしをみて、
「もしかして、父の生き方の方が正しいのではないか」と思うように
なったのです。

日本で普通に暮らしていくうえで、ヒッピーの父を持つことはかなりかなり
辛かったです。もっと早くに、誰か周りの大人に肯定して欲しかったです。

ちなみにそんな父、業を煮やした母が英国まで迎えにいこうかと真剣に
考え始めた頃、シベリア鉄道にのって陸路で大陸横断して帰ってきたそうです。
2人の再開場所は、シベリアからの船が着く“舞鶴港”(しぶいなあ、もう)
留学中に2人が交わしたたくさんの絵はがきが今も実家に眠っています。
阪神大震災の時、それを一生懸命拾い集めていた母の背中が2人を物語って
います。

いい両親に恵まれたな。と今は感謝しています。

そういえば、私が沖縄の保育園に勝手に就職を決めた時も
父はたった一言「沖縄は暑いから、梢の体にいいんちゃうか」と
それだけでした。

いつか父の旅の話を聞いてみたいです。
写真は風呂敷に包まれて大切に押入れにしまわれているのを知っています。
しかし、写真ではなく 映写機?で映し出すものらしいです。

いつか。いつか。








欲しいものと必要なもの

2007年07月27日 19時07分55秒 | 日々のくらしあれこれ
先日久々にボーナスというものをいただきました。(ありがたや)
その時期に合わせるかのように街はバーゲンの嵐。(策略か!?)

ついぞ行きました!私もバーゲンとやらに。
普段めったに物を買わないし、(家を訪ねてきた友人に明日引越し?
と本気で尋ねられたことあり)服は一生パタゴニア製品を愛していこうと
数年前に決意したので、もともと店を見ることもないのですが、なんの気
の迷いかフラフラ吸い寄せられるようにお店に入ったのです。

「かっ、かわいい・・・」

なんて気の利いたデザインなんだろう。なんて素敵な色あわせなんだろう。
久々に見ると本当に洗練されたデザインに購買意欲がむくむくと・・・

「あれを買って、これも買って、うーん、でも一日だけ考えよう」
そう決めて店をいったんでました。
気持ちのいい昼下がり。てくてく歩きながら、ふと思ったのです。
「ねえ、それ本当に必要なの?」と。

“欲しいもの”と“必要なもの”

このふたつは「買い物する」という意味では同じですが、
実は全く違います。

世の中にたくさんあふれている商品の洪水・・・
選びつかれるしんどさはもうこりごりだな、と。

それよりは意味のある(あくまで私にとって)物を、くたくたに
なるまで使い続ける方がいいな、と。

決めると楽ちん。流行から離れると楽ちん。

「何を身に着けているとハッピー?」
「誰かの犠牲の上に成り立っている商品ではない?」

基準はこのふたつ。きれいごとかも知れませんが、最近の
食をめぐる問題や、労働問題を考えていると、黙って消費社会に
消費されている場合ではありません。

身につけるもの。それは私にとってお守りのようなもの。
どこのビーチでも着ているよれよれのTシャツ。どの旅写真をみても
必ずうつっているワンピース。何の特徴も無いけど、これがないと旅が
始まらないビーチサンダル。
そして、仕事の時間以外は必ずつけている、ベトナムでもらったピアス。
友人が作ってくれた腕輪。

世界中どこにいても、ピンチの時にはいつものように腕輪とピアスを交互に
触りながらそこに込められた思いと、それにまつわる記憶と、いつもつけて
いる安心感が私を私でいさせてくれます。
シーズンごとに流行のものを身につけては、この安心感は得られません。


衣・食・住 できるだけ思いのあるものに包まれて、シンプルに
生きていきたいものです。




もうすぐアフリカ

2007年07月20日 18時27分40秒 | 日々のくらしあれこれ
旅が近づくと、何を見ても何をしても、全てがきれいに
優しく見えるのは私だけでしょうか。

夕陽をみてもしみじみきれい。
滝のような雨をみながら湧いてくる幸せ。
普通の晩ごはん(そうめん、みそ汁、ご飯、漬物とか)がおいしい。
友だちに会うと、小学生の頃のバイバイを思い出す。
長い夜にバタッと飛び起きて、どこにいるか一瞬分からなくなる。

少しずつ旅するテンションに近づいている気がします。

半分死んでるような、半分違う世界にいるような 不思議な感じ。
この世界がただただきれいに見えます。

そうか。
旅している時は、こんな風に全く違う思考回路で物事を考えたり
ぎゅっと集中して目の前のものを見ているのだな。

半分の日常。半分の非日常。
多分、これが私の求める「自由」なのだと。

もうすぐ出発。

仕事してますー

2007年07月04日 19時41分17秒 | 保育園の子どものこと
梅雨らしい天気が続きますね。

こうムシムシした日が続くと、なかなか保育園
終わった後に、三宮に寄る事ができません。
だって子どもの熱気で33℃~34℃にもなる保育室で
一日過ごし、その上抱っこしておんぶして、ご飯
食べさせて・・・それはもう汗べっとりなのです。

なので最近は仕事おわるとまっすぐ家に帰り、シャワー
あびてコテンなのです。

そんな週末、“お泊り保育”がありました。
覚えていますか?そんな体験しましたか?

いつもの保育園で夕焼けを見て、先生たちと一緒に
夕食を食べ、キャンプファイヤーに花火、そして
一緒に眠るのです。
もちろん全職員も保育園に泊り込みです。

私の見回り担当は夜中2時から3時。
そーと部屋に入ってみると、みんなぐっすり眠っていました。
初めて見る夜の子どもたちの姿。
生まれて初めてお友だちと一緒に眠っている子どもたち。

窓から入ってくる気持ちのよい夜風と、ゆっくりまわる扇風機。
その中で眠る子どもたちの安心しきった寝顔。

「あーこの子たちは、こんなにもたくさんの大人に囲まれて
 眠ることができて本当に幸せだなー、この寝床を誰かに侵される
 心配もないし、朝になったら迎えに来てくれるお母さんがいるんだな」

そう思うと、胸がいっぱいになって
私がこれまで旅の途中で出会ったあの子やこの子のコロリとした笑顔や、
困ったような泣き顔や、物乞いするときの下から私を見上げる眼差しや、
コーヒー牛乳色のメコンに飛び込んで水浴びする背中を次々思い出して
切なくなりました。
みんなどうしてるんだろう。元気だといいな・・・
というのは旅人の甘い幻想で、「どうか生きていて」という願いが
やっぱり頭を駆け巡りました。

同じ子どもなのに、同じようにまだまだお母さんのぬくもりが欲しいのに
この差は一体なんなんだろう。

今目の前で眠っている私の保育園の子どもたちが“幸せ”で
物乞いをする子どもたちが“不幸せ”とは全く思いませんが
同じように私が出会った子どもに違いはありません。

朝を迎えて、お迎えに来られたお母さんと対面する子どもの表情が
とてもとても素敵でした。それ以上にお母さんの表情が素敵でした。
「あー親子っていいな。」と。

この仕事、家庭の様々な暗黒部分にも直面しますが、
それでもやっぱり、家族という営みがいまだ絶えないその理由も
身体で教わります。