旅つづり、日々つづり

旅先で思ったこと、日々の暮らしで感じたこと。そのまま言葉にのせてみました。

与那国島で感じた空気

2007年03月25日 18時12分34秒 | アイランドトリップ
この島は他の島とは異なった空気が流れているように私は感じました。
なんていうか、どんづまりなのです。

島のはしっこは恐ろしいほどの断崖絶壁で、訪れるものを
決して寄せ付けようとしません。のんきに草を食んでいる与那国馬も
島で飼う事のできる数が決まっていて、それだけ厳しい土地なんだという
ことが分かりました。

久部良バリという場所は言葉からは「何のこっちゃ?」と全く検討もつきま
せんが、あまりにも悲しい歴史が今も余韻を漂わせている場所でした。

久部良バリとは久部良集落の北西約500mのところにある、海岸近くの露出した
岩の割れ目です。今から200年ほど前、八重山・宮古地方には「人頭税」という
世界的にも例をみないような過酷な税制度があり、島の人たちは苦しめられて
いました。その頃に人減らしのために村の妊婦をここに集め飛び越えさせたの
です。飛び越える幅は3~5メートル。
成功しても流産の危機。転落死をしてしまう人も多数いたそうです。

私が訪れたとき、白いユリがそれこそ狂ったように咲いていました。
あまりの光景に圧倒されているとYちゃんがポツンと言ったのです。
「ねえ、ユリが全部海に向かって咲いてるね。この花はここで殺された
妊婦たちの生まれ変わりなんだね」と。

その時、背筋が寒くなって時空がねじれた錯覚に陥りました。
死を覚悟して集まってくる妊婦の思いが、まだ生きて残って
いるのがはっきり感じられたのです。

私たちは茫然と立ち尽くしていました。どう考えても
飛べ越えられるはずのない割れ目を前にして・・・

与那国では他にも様々な話を聞きました。

・人減らしのため、ごとの田んぼに人員徴収を呼びかけ、
 それに間に合わなかった人間をみなで撲殺したという話。
・海の外から何者かが攻めてくるのを察知すると、大きなわらじを女衆が
 総出で作り、それを海に流したという話(大男が住んでいると思わせる作戦)
・育てられない子どもを食べたという話

きっと、私が想像するよりももっと最近までそんな暮らしが
ここにはあったのでしょう。

海に向かって並んだ膨大な墓はもはや遺跡のようになっていました。
碧い海に広い空。それよりも深い深いこの島の歴史。

泊まっていた民宿は古い沖縄の家で、窓もありませんでした。
毎晩泡盛で酔っ払い、畳に寝転がると、夜の風がすーと体を
通り抜けていきました。それは風のようで風でなく、この島からの
伝言だったのかも知れません。

最後に心あたたまるエピソードをひとつ。

るるぶにも一応のっていたお土産屋さん。ある夕方訪れるとそこは本当に
普通の民家。おずおず入っていくと、お母さんは子どもの夕飯仕度をしながら、
接客してくれました(笑)それも「すいませんねー」なんて言葉はもちろんなく
鍋を片手に台所から「ゆっくり見てくださいねー」なんて声だけが聞こえてくる
のです。普通の民家の夕飯の匂いに包まれながら選んだかわいらしいお土産たち。
マース(沖縄の塩)のお守り。色鉛筆で描いたポストカード。ちいさな置物たち。
それらを見るたび、与那国のあの空気がよみがえってきます。

楽園幻想なんて歯の浮いた言葉が一瞬で消え去る与那国島。
それでもこの島の時間はゆっくりとたおやかに流れ続け、
島の人間はここで生きていくのです。

すごいことです。










いわゆる年度末

2007年03月16日 19時08分27秒 | 保育園の子どものこと
お久しぶりです。
保育士という仕事。年度末とっても忙しいです。

今のクラスの総まとめ。次のクラスへの引き継ぎ。
おたよりシールをちょきちょき張ったり、ウサギや
イヌのマークを作ったり・・・

明日は卒園式です。

そんな合間をぬって、ふとお散歩に出かけると
菜の花が咲いて春のいいにおいがしたり、
日差しがまぶしくなっていたり。

ドタバタの中にある子どもとのひとときが
とてもとてもいとおしいです。