室井絵里のアート散歩

徒然現代美術&感じたこと、みたもの日記

札幌国際芸術祭2017「ガラクタの星座たち」について考えたこと

2017年09月21日 | アート他

 

「芸術祭とはなんだ?—ガラクタの星座たち —」という自己言及的なテーマで開催されている札幌国際芸術祭から、個々の作品を見て歩くことでその答えは見つけにくい。そもそも、問いに必ずしも答えが存在する必要もない上に、ディレクターも音楽畑の大友良英なので美術の持つ美術の問題とはまた別の視点があってもいいだろう。

(私がいきなり音楽フェスティバルを開催しろと言われたら結構悩むだろうし、同様に野外劇や、テント芝居を仕切ろうとしてもその方法も問題も見つけにくいので、こういうタイトルをつけた気持ちもよくわかると推測できる。 )

 

多くの地方おこしの芸術祭にはほとんど興味がないのだが、都市型のヨコハマトリエンナーレと、あいちトリエンナーレは始まった時から毎回見ている。札幌については、去年は見ていないのだが、二回目の今年ははじめて見た。

去年会場になっていた道立美術館が使われていない、各会場で細かく入場金を支払う必要があるなど、関係機関の協力体制は薄いのかと感じたりもしたが、音を主体にした刀根のアポリネールの詩が降ってくる空間や、毛利の回廊を巡る空間など秀逸なものも多く、大友のインスタレーションそこここに見られ、札幌を歩き、点在する作品をみるのが今回の特徴だ。

 

その中で、たまたま去年あいちトリエンナーレで拝見した端聡のインスタレーションを札幌のすすきの、北専プラザ佐野ビルの会場で「Intension and substance」として見た。あいちで拝見した作品と同じ作品であることは、私は問題とは思わない。同じ作品でも違う場にあることで意味が変わってくるが、これこそがキュレーションのもつ醍醐味であるからだ。

今回、平面作品が加えられていたとは思うが、残念ながらあいちと札幌にはさほどの違いは見られなかったのだ。ここに果たして作家以外の展覧会を作る担い手の存在感が薄いのはどういうことなのだろうかとまず考えた。

 

同時に、1999年に芸術祭展京都、芸術部門でのアーティスト小杉美穂子+安藤泰彦の企画で開催された旧龍池小学校で開催された「スキンダイブ」というグループ展に端とともに参加していた大阪のアーティスト笹岡敬の作品と技術的方法論が酷似しているという点も気になった。笹岡は1970年代から活動をはじめ80年代から一貫して水、ハロゲンライト、蛍光灯などを使いインスタレーションを展開しているアーティストである。スキンダイブでは、端は全く別のインスタレーション作品だったと記憶するが、端のこの作品は、特に笹岡が1993年に名古屋の MATで発表し、1994年に滋賀県立近代美術館,2008年豊田市美術館で発表した作品(WATER1993)と方法論が同一のように見えてしまう。

 

笹岡は「現象」そのものをインスタレーションとして見せてきたのが特徴で、現象学的にモノとの関係性を追求しているのが先行するモノ派世代とは同じ既製品を使っても違うところだが、同じ技術で端は何を言いたいのだろうか・・・・「そろそろ一度立ち止まり、大量生産、大量消費の社会システムからあらゆる資源が循環するシステムへと、さらに人間の思考まで循環させるような時代にシフトしなければならない」(札幌芸術祭のパンフレットより)ということを言わんとしているということらしい。見え方とシステムが似ていても違う作品ではある。端は人間にとっての水の持つ意味に新しい社会的側面を迫ろうとしているのだろう。一方、笹岡は「技術」そのものを見せようとしているので、同じ技術で見せるとしたら彼の作品がオリジナルとして語られて、端の作品がそんざいする意味も増す。このことを笹岡はエピゴーネンが問題でなく、オリジナルについて言及されないままであることが問題と語っているが、エピゴーネン云々よりも、どちらの作品にとってもそれが位置づけられる系譜が必要だ。

端の作品は、すすきの金市館ビルの広いフロアーで廃材を使って展開している梅田哲也の「わからないものたち」とともに、空間をダイナミックに使っているだけにこれらのことが残念な気がした

 

芸術祭とはなにかということに戻ると、芸術祭を展覧会として考えてみたら、本来こういうことは、大きな欠損部分である。または、芸術祭という展覧会の「場」作りの姿勢に私が甚だしい危惧感をもつ所以でもある。

 

現代美術のアーカイヴや情報の蓄積は、実際のところあまり成されていない。私自身も展覧会を作る側にもいるのであいちや札幌のような現場では、作品の依頼や、場作り、環境が美術館や美術のための場のそれとは大きく異なることもよく理解している。

一般的に美術館の展覧会では、作品は一応なんらかのアートのアーカイヴとして検証が成され、テキストが書かれ、作品は単に作品としてだけではなくある程度の庇護のもと位置付けられていくわけだが、いわゆる町おこし的芸術祭の場合、特に作品は選ばれても放置され、誰かの手によって現代美術の流れの中で位置づけていかれることなく、街のなかで孤児のように存在するだけだ。もちろん、多くの温かいボランティアや運営者の手は借りるわけだが、それでも、それはある個人の作家のある一つの「作品」として放置されるわけで、札幌についていえば大友のいう「ガラクタと言ってもいいゴミ」の一つであり、ガラクタゴミとして先行するものとの関連性や、その作品のもつ独自性などは位置付けられていかない。

 

また、現代美術の批評性、作品の持つ批評性も含めてそれこそ先行するものに対するリスペクトの気持ちがないと生まれてこないだろうが、そこは、こういう現場では切り離され、ただ場所に雰囲気があっていればいいという程度になってしまうことが多い。これは、実は多くの美術館でさえ同様の現状で、先に私が書いたような一般的美術館の展覧会というのも存在が危うくなってきているのかもしれない。美術館の学芸員も期間雇用となってしまい、美術館の所蔵作品でさえ維持も困難になり、学芸員は展覧会を作る人ではなく、展覧会を丸投げする人になってしまう場合も多くなっている。予算不足でカタログも作れないことも増えている。

 

そんな現代に存在するのは、美術館であろうが芸術祭であろうが通り一遍の消費される褒め言葉と、人を集めるための表面的なわかりやすい言説で、見ている私たちも「見る」行為そのものを消費していて、その背後に本来見るべき作品のもつ意味や先行するものに対する対峙のしかた、あるいは、キュレーションがもつべき同じ作品でも、過去とは違う言説のなかへと作品を位置づけていくことによって生じる多様性や、表情の引き出し、作家や作品とともにキュレーターが成すべき「場作り」が成されていない。

 

さらに、芸術祭だけでなく、美術館でも起こっているが、当たり障りのない作品説明解説文を読み、作家の書いた言説を読み、見ている作品について、考えの参考にはなるが、正直言ってそこに何も新たな読みの可能性はないし、それが、ひるがえって作品の可能性を閉ざすことになる。つまり、見る、考える、位置付ける、そこからまたまた作家の側がズレ、キュレーターがそれを追いかけて展覧会として成立させる、それを見る、考えるなどの行為の連鎖が本来あるべき(美術の専門家でなく、芸術に触れるという行為には誰にでも本来こういう側面があるはずだ)なのだがそれがなく、いわばアーティストや作品に意味が丸投げされてしまっているのだ。

 

もちろん、それでも展覧会は成立する。簡単なパンフレットや、作家の言葉や説明があれば一般にことが足りるので実際に展覧会と作品の位置などを表すべきアーカイヴとしてのカタログやテキストはこういう芸術祭では作られなくなっている。これは、実は甚だしく不幸なことであるし、安易に問題が見過ごされていってしまう。現状がそうであるならば少なくとも私たちは注意深く、繊細にものごとに接して、その差異や言葉を紡いでいくべきではないだろうかと考えるのである。少なくとも、私は美術業界も含めて、人の評価で自分が評価してしまうことは避けたいと思っている。そうしていかなければ、現状よりも消費性が加速されもっとひどいことになるだろうし、作品を発表して場を作ることの意味はもはやどこにも無くなってしまうのではないだろうか。

 

多くの地域おこしや観光モードの芸術祭が、芸術が表面的に利用しやすい、安価な行為であるから行われている現状はそれでも発表する場があるとプラスに考えて、もちろん一つ一つの現場では幸せな出会いをポジティヴにとらえるべきであろう。しかし、一方では本来の人々の求める日常に不必要なもの、むしろ忌避される存在であるからして、存在意義のあるものということから芸術のもつ力やその意味をはぎとられてしまうのは、これは、日本だけのことでなく、おそらく全世界的な傾向なのだろうが、海外の方が一見芸術についての理解や許容範囲が広いだけで、意味が剥ぎ取られてはそれこそ無意味だというのは、先鋭的作品を作っている作家のそれぞれの現場においては同じはずだ。

 

表面的に同調する文化なんて、不要だと強く言っておきたいし、ガラクタゴミかもしれないが自ら無自覚的に自己完結してガラクタゴミになってしまうような作品を見ても、作ってもそれをそこに止めてもガラクタゴミを煌めく星座に導く技が本質的に忘れられては、無意味である。

 

 

写真

笹岡敬WATER 1993 MAT 名古屋 1993

時間/美術 滋賀県立近代美術館 1994

内なる光    豊田市美術館  2008

 

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