時空を越えてはるかかなた友人達へ

思いの丈を、自然な心で

熊野三山 詣でる。

2005年09月30日 15時10分46秒 | 波動UP情報
ずっと以前から、熊野古道を歩きたいと思っていた。

夫が7月6日に、脳梗塞で倒れて以来、見えない世界の大きな力のすごさを改めて知ることになった。

奇跡的な回復をしている、夫やお世話になっている気功の先生や、お知り合いのご夫妻とともに、

熊野三山詣でに、出かけることが叶った。


熊野三山 (文献抜粋)

紀伊半島の南部は、神々の霊が隠れ籠る独自の聖域をなし、古来「熊野」と総称されてきました。
 ここに古代以来、祀られてきたのが、本宮、新宮、那智の熊野三社です。本宮は熊野川の中洲にあって、川を神格化したものとされ、主神は家津御子大神(けつみこおおかみ)。新宮は熊野川の河口近くにあり、水玉の勢いを示すという熊野速玉大神(くまのはやたまおおかみ)が主神。那智は大滝の聖水のもつ生産力への信仰が根源とされ、熊野夫須美(産霊)大神(くまのふすみおおかみ)を主神に祀っています。
 平安後期には神仏習合によって、三社の神々にも本地仏(ほんじぶつ)があてられ、仏が権(かり)に現れたものとして、熊野三所(十二所)権現とよばれました。三社ともにお互いに三所(十二所)権現を祀りあい、熊野三山として、現世と来世での救いを願う朝野の人々の崇敬を集め、文字どおり「日本第一大霊験所」を唱え発展してきました。
 那智山青岸渡寺も裸形聖人(らぎょうしょうにん)が那智大滝で感得した如意輪観音(にょいりんかんのん)を祀った如意輪堂が初拝。12世紀中頃には西国三十三観音霊場の第一番札所に位置しています。
 熊野三山の信仰は、100度に及ぶ上皇の熊野御幸として花開き、鎌倉時代以降は庶民にも広まり「蟻の熊野詣」とまで形容されました。その信仰はまさに「全国区」の展開をしています。


熊野古道は、この三山への道だ。

熊野三山へのいくつかの道が、今も数箇所残され、熊野三山としての三つの大社とともに、世界遺産となった今、また脚光を浴びるようになったのだが・・

しかし、和歌山へ入ってからの道のりでさえ、ビリビリと波動を手や足に感じたし、
ましてや本宮への階段を登っていく途中から、右背中の一部がなにやらブロックがあるらしく、痛みを感じ始めた。

これは、この熊野の高波動を浴びたことで、体に流れ始めた瞬間に経絡のどこかの部分にブロックがあり、流れきれずに痛みがではじめたのではないかと思われる。

なぜなら、正式参拝を終え、車の戻ると、その痛みはきえた。

しかも、次の日に
那智大社への、ご参拝の折もまたもや、同じ場所に痛みを感じ、終わった途端に消えた。
最後の速玉大社のご参拝の際は、最初ほどではないが、同じ状態だったのだ。

この高波動は、1泊2日の旅の間、づっと続いたし、帰ってからも疲れ知らずだ。

しかも、昨晩、レイキセミナーだったのだが、
二人のアチューメントは、なんともいえないほどのパワーを感じながらのアチューメントになり、
クライアント様へも、高波動が転写できたのではないかと思う。

熊野三山のすばらしさを痛感する。

また、別の古道を歩きに、再度熊野の地を訪れようと思う。


写真は実際に歩いたときのもの。

大門坂を、上り詰めたところに那智大社がある。

遠隔レイキ

2005年09月17日 20時25分01秒 | 素敵情報
レイキの手法として、遠隔レイキというのがある。


時空を超えて、ヒーリングをすることができるのだが、

私は最近、自分の背中や腰に自分で遠隔レイキを送ることに、すっかりはまっている。

背中などは、手が届かないので、だれかにやってもらいたいのだが、やってもらいたいときに、そんな便利にヒーリングできる人が、そばにいるわけでもない。

それで、最近自分に自分で遠隔レイキをしてみると、これがすばらしい効果をえることを、再発見した。

背中に、イメージを送るだけで、背中が温かくなり、背中の張りが緩んでいくのがわかる。
だれかの、ブログに遠隔こそ、レイキの醍醐味と書いてあったのだが、私もまさしく最近そうおもうようになった。

インターネットで、サーバーにつなぐがごとくに、チャンネルを合わせ、それを飛ばしてみる。

しっかりと、チューニングさえ出来ていれば、とおくカナダとだって、メールやチャットができるのと同じように、

レイキのエネルギーも届くのだ。


この自己遠隔、ぜひお試しあれ!

時空を超えて

2005年09月06日 18時00分52秒 | Weblog
昨日まで、日本にいた娘からの電話で起こされた。

「カナダは夕方だよ。ダイアンがバンクーバーまで迎えにきてくれてたよ」

と、すっかり元気だ。

彼女には、二つの家族があるのだ。
ダイアンという、ホストファミリーのママは教育委員会に勤めていて、素敵で優しく、穏やかなものの言い方をする人らしい。

私は、いつもガサガサしていて、せっかちで、話す口調も早い。

二人の母を持っているということ。

なぜか、娘が羨ましくも思える。

カナダに行けば、カナダの生活にすぐに戻っていける、娘の順応性も、羨ましい。


グローバルな視点で、世の中を見て暮らせるっていうのも、素敵なことだ。

言葉は違っていても、同じ人間としての肌のぬくもりで、心が通じるということも
なんともすばらしい。



時空を超えて、娘は娘なりに、生きている。

神々の場所

2005年09月05日 19時31分46秒 | Weblog
夫が、7月6日、オーストラリアから帰国直後に、軽い脳梗塞で倒れて以来、この夏は、我が家もいつもの夏ではなく、過ぎていき、気がつけば、もう9月だ。

6月の終わりに夏休みで、カナダ留学中の娘が帰国していたが、彼女のこの夏休暇も、父親の入院で、いつもの夏とは、違ってしまった。

そんな、彼女も、またもや、今日カナダへと旅たっていった。

Yキャットまで見送ったが、

「お父さんのこと、よろしくお願いします!」と言い残して、リムジンバスに乗り込んだ。


夫の病気は、予想外のハプニングだったが、

この夏、我が家は、それぞれに、成長をしたり、家族の絆を確かめ合ったりでき、
それなりに、意味のある夏だったような気がする。


大勢の人々の愛ある協力のもと、奇跡的に回復をしていて、10月いっぱいで完全復帰ができそうだ。


夫の、入院を気に、この夏は

春日大社に始まり、

京都亀岡の出雲大社

そして、熊本の弊立神宮、5年に一度の五色神祭への参拝と、神々の場所に詣でることができた。

神々の場所は、やはり神聖で意味深い場所だ。


9月の終わりには、世界遺産としてすっかり有名になった

熊野古道に参拝をし、

また、もとの生活に完全復帰をしようと思う。


神々の場所は、本当に私にパワーをくれた。

横浜と、関西の行ったりきたりの生活で、相当なエネルギーを要しているのだが
なんとか、こなしている自分がいる。


すべての神々に感謝。

すべての愛ある、人々に感謝

そして、愛を持って私や夫を、支えてくれている子供たちに感謝

今も元気で、いまもなお、私のこと、私の家族を、見守ってくれている
私の両親、兄に

感謝します。