音楽とオーディオ

好きな音楽を自宅でコンサートホールのように楽しめたら…というのが子供のときからの夢でした

14番

2007年03月14日 | クラシック音楽
先日お客様がいらした。長男が週に一回通っている言葉の学校(第三峡田小学校)の守衛さんで送り迎えのときいつしかお話しをするようになった。私は長男が勉強している60分の間近くのファミレスでコーヒーを飲みながらスコアを眺めることにしているが、ある日私の持っていたスコアを見て「それ何?」と尋ねてきた。「スコアと言って音楽が書いてある本です」と答えると「私も音楽が好きでいまだにLPを聴いていますよ」と答えた。驚くことに家の直ぐ近くに住んでいて私と同じタンノイのスピーカーでLPを中心に聴いているらしい。「今度聴きにきませんか」と誘ったところ「好きなLPを持っていきますよ」と言うので何を持ってくるのか楽しみにしていたらジャズやモーツァルトに紛れて凄いものが入っていた。ベートーベンの弦楽四重奏曲第14番。演奏は何とバリリカルテット。私よりも10歳は上だろうからバリリカルテットへの思いは私より強いかもしれないが、まさか14番とは… 久しぶりに聴きながら色々なことを考えた。

ベートーベンは弦楽四重奏曲を16曲残した。最初の6曲は初期。まだモーツァルトとハイドンの影響が強いものの音の力強さや推進力など紛れも無くベートーベンの世界。初期の作品だが技巧的には偉大な2人の先輩作曲家ハイドン・モーツァルトの四重奏を凌いでいる。
そしてかなりのブランクの後、中期の5曲が作曲された。ロシア大使ラズモフキスー伯爵の依頼により作曲された3曲と「ハープ」「厳粛(セリオーソ)」と呼ばれているもの。これらはどれも「楽聖」の名に恥じない傑作で、しっかりした構成を持ち見事なソナタ形式で書かれたものが多い。弦楽四重奏はハイドンの時代から始まり、どちらかというとアマチュアでも家庭で手軽に演奏できる規模のものが多かったがラズモフスキー第1番の登場によりそれは不可能になる。プロフェッショナルな四重奏団でなければ演奏できないものばかりで内容の深さは交響曲に匹敵する。
そして14年のブランクの後、遂に12番以降の後期四重奏曲が作曲される。既に32曲のピアノソナタは書き終え、第9交響曲や荘厳ミサ曲の作曲に携わっていた頃である。これらの作品でベートーベンは「人」を超え「神」の領域に入ることになる。後期5曲はある意味でベートーベンの最高作とも言える。32曲のピアノソナタ、9曲の交響曲もベートーベンを代表するものだが弦楽四重奏は特別である。それは死の直前まで続けられベートーベン最晩年の心情が織り込まれているからである。「戯れ」「すすり泣き」「怒り」「絶望」「死の恐怖」「過去への思い」…ベートーベンの真に偉大なところは最晩年の作にもかかわらず音楽は流麗で楽想は驚くほど豊かで霊感に富んでいる。聴覚を失い、病におかされたボロボロの身体で作られたこれら5曲は人間がいかに強い意志と創造力の持ち主であり、いかにかけがえの無い存在か証明している。
第14番は後期の中でも最晩年の作品で15番目に作られた。7つの部分が切れ目無く演奏され実に40分にも及ぶ大曲でベートーベン最高作と認める人は多い。後期の中でも12番・13番・15番のガリツィン四重奏曲がどちらかというと散文的内容で極度に感傷的な部分が見え隠れするのに対して、14番は嬰ハ短調という調整からも分かるように恐ろしく厳格で悲劇性が強い。死を意識した人間の葛藤がそのまま音になった曲で、聴く者をその世界に有無を言わさず引きずり込む。

ワルター・バリリは17歳で名門ウィーンフィルに入団し翌1938年にはコンサートマスターになった。その時期は第2次世界大戦と重なり大変困難な時期だったが、ワルター、フルトヴェングラーなどの20世紀の巨匠指揮者が次々とウィーンフィルの指揮台に立ったかけがえの無い時代でもあった。バリリはウィーンフィルの名手達と1945年に「バリリ四重奏団」を結成してモーツァルトからシュミットまでウィーンにゆかりのある作曲家を中心に演奏活動を開始した。典型的なウィーンスタイルの優雅な演奏はたちまち多くの支持を得て来日も果たした。しかし働き盛りの30歳後半に突然右手の故障から演奏活動が出来なくなり、再来日もキャンセルとなった。バリリカルテットは解散し、ウィーンフィルも退団した。 幸いにもバリリのコンマスとしての若々しい姿は映像にも残され、ウィーンフィルとの録音ではSoloも聴くことができる。バリリ四重奏団の演奏は米ウェストミンスターレーベルの大変鮮明な録音(殆どがMonoであるが)に残された。それらは再発売を繰り返され今では殆どCD化されている。

バリリのベートーベンの弦楽四重奏は私の年代ではフルトヴェングラーの交響曲やバックハウスのピアノソナタのように定盤中の定盤であり「これを聴かずして多くは語れないもの」であった。私も昔はこれらを聴き啓発され、時には反発もしたがいつしかこれらから離れ同時代の演奏を中心に聴くようになった。一時スメタナカルテットの13番に魅せられたこともあったが、いつしか後期どころかベートーベンの四重奏曲そのものをあまり聴かなくなってしまった。大学から管弦楽団に所属したのがきっかけでブルックナーやマーラーの大交響曲、ワグナー、R・シュトラウスの楽劇…と大音量の世界を求めてオーディオも巨大化した。毎晩大音量で大管弦楽曲やオペラを聴くことが常となり、週末ともなればよく優秀録音のLPやCDを求めて秋葉原に出向いた。結婚して子供が出来るとそんなことはできなくなり、今は自分が演奏する曲を中心に聴くような生活が続いていたが、先日のお客様が大事そうに持ってきたバリリカルテットの14番を聴いているうちに、昔の貧弱な装置で録音の良し悪しなど全く気にせずひたすら名曲の名演奏だけを求めて聴いていた時代を思い出した。1枚のLPというものに姿を変えたベートーベンとバリリが時代を超えて語りかけているような何とも素晴らしい40分であった。