音楽とオーディオ

好きな音楽を自宅でコンサートホールのように楽しめたら…というのが子供のときからの夢でした

カール・セーガンのこと

2005年10月28日 | 自然科学
木曜の夜BSで映画「コンタクト」をやっていた。久しぶりに見てまた夜更かししてしまった。
この映画は初めの部分が好きだ。TV電波が宇宙空間に光速で広がる。月を通り、火星、木星、土星と惑星をめぐった後に、オールトの雲を越えてやがて太陽系を出る。電波も「ハイヨー、シルバー」などどんどん過去のものになる。近い恒星を幾つか過ぎ、やがてオリオンの腕へ達するころにはにはTV電波はもう届いていない。無音の世界が続き、遂に銀河系の外へ出る。。マゼラン星雲を越えて巨大なアンドロメダ星雲へ。局部銀河団を越えると銀河が星屑のようになり一点に集中する。そしてそれら全ては少女エリーの瞳の中に消える。

「コンタクト」は宇宙物理学者で惑星学の権威カール・セーガン博士の確か唯一の小説だったと思うが、博士はこの映画の製作中に亡くなってしまった。
セーガン博士は物理学者と同時に思想家であり、啓蒙家であった。TVで放映された「コスモス」は大変な人気があり当時科学番組としてはかなりの視聴率だったと記憶している。私も買ったばかりのβ(ベータ)のVTRに録画していたが、今となってはもう見ることは出来ない。(コスモスはDVDになっているのでしょうか?)

博士は後年SETI計画に携わり、地球外知的生命の探査に意欲的だったが「コンタクト」はそんなセーガン博士の思いを小説にしたのだと思う。「広い宇宙に人間だけしか知的生命がいないとしたら、もったいない」という博士の主張が何度も出てくる。
博士は、我々素人でも分かるように地球外知的生命の探査がいかに大変で、確率も限りなく0%に近いということを百も承知であったと思うが、敢えて行ったのは人々の関心を少しでも宇宙に向け、米ソの対立は終わったものの、核拡散と地域紛争、環境汚染による地球の危機を心配したのだろう。

他にもセーガン博士のメッセージは主人公エリーを通してたくさん語られる。
宇宙からの電波探査の成功を隠そうとする米政府高官に対してエリーは「電波は合衆国宛ではなく地球宛のものだ」という。
また、博士の宗教観もエリーを通して描かれている。「人類の代表としてベガに向かう人は、神を信じてなければならない。なぜなら人類の95%が神を信じているから。」という理由でエリーは選考に漏れてしまう。

終盤、北海道で実験が行われるところはいつ見ても奇妙で、この映画とかけ離れているような気もするが、全般に真面目な良い映画だと思う。

またコスモスをどこかで放送しないだろうか? 20年前より今のほうがはるかに問題は多くなっているので…

ムーティー特集と…

2005年10月25日 | クラシック音楽
先週はBSでムーティー特集をやっていた。気がついたのが遅く聴き逃してしまったのが2曲(歌劇を2曲)あったが、それでも歌劇「ファルスタッフ」とウィーンフィル日本公演はしっかり見て(聴いて)録画した。

ムーティーも随分年をとったのが第一印象。颯爽とした青年のイメージがあまりにも強いので年をとったムーティーは何か違和感があるが、指揮姿は相変わらずぶっきらぼうで、出てくる音楽も何か刺々しい。
思えば75年だったか、初めてムーティーを聴いたとき(ウィーンフィル)アンコールの「運命の力」序曲で指揮台に飛び乗るや否や棒を振り下ろし団員が慌てていたがあの感覚は今でも同じようだ。

ウィーンフィル日本公演はプログラムが面白かった。シューベルトとモーツァルトまでは定番だが、続くラベルと最後のファリャには驚いた。特にウィーンフィルのファリャは始めて聴いた。三角帽子の第2組曲で全曲で無いのが残念だが馬力のある良い演奏だった。ウィーフィルは何を演奏しても「ウィーンの音(ウィーンの香り)」がするがファリャもそうだった。
期待のモーツァルトはまずまずの出来で、シューベルトは全く期待はずれ。ロザムンデ序曲でころころテンポを動かすのはちょっと…

歌劇「ファルスタッフ」は恐る恐る聴いた(見た)。大好きなあの演奏が耳にしみこんでいる私は他の演奏を聴くときはいつもそうなる。そして、いつも失望し「ファルスタッフってこんな曲なのかな?」と考え込んでしまう。
ムーティーのファルスタッフは? やはり失望した。特に第1幕、第1場はまるで覇気が無く別の曲を聴いているようだった。
ベルディーの最高傑作というより歌劇史上最高の作品のひとつであるファルスタッフのもつ「音楽エネルギー」の半分も出し切れていなかった。スカラ座のオケなのになぜだろう?
ファルスタッフは歌劇というより楽劇と呼んだほうが良いほど音楽と歌が見事に融合している。「アリア」のように独立したものも無く、1場ずつがまるで交響曲の1つの楽章のように有機的に構成されている。ワーグナーのライトモチーフの手法を取らずに流れるような美しい旋律と巧みなオーケストレーションで物語が進行していく。
とても80歳を超えた老人の作とは思えない斬新な作品だが演奏もきわめて難しい。ピッコロからコントラバスまで超絶技巧だらけである。コントラバスなどは指板の先まで達するような高音まで何とユニゾンでしかもpppのスラーで出てくる箇所があるが、ムーティー=スカラ座の演奏はそういうスリリングな部分もまるで感じない平凡なものだった。
ムーティーのベルディーは例えば歌劇「マクベス」など凄い録音もあるので「いったいどうしたの?」と思ってしまう。

やはりファルスタッフはバーンステイン=ウィーンフィルのCBS盤がいいと思う。若きレニーがヨーロッパ活動を開始した頃、ウィーンフィルを指揮した一連の録音の一つで、楽劇「バラの騎士」とともにCBS録音のもの。これはウィーンフィルの超絶技巧とフィッシャー・ディースカウの妙技(?)が相まった素晴らしいもので、これ以上覇気がある演奏はもう無いだろう。ウィーんフィルももの凄く上手で「全てを兼ね備えた世界一のオーケストラ」を実感できる。

ムーティーの後、寝ようと思ったら何とシノーポリ指揮ドレスデン国立歌劇場の演奏会が始まった。曲がまた良く、これじではとても寝られない。勿論録画しているが一刻も早く聴きたいので結局4時過ぎまで起きてしまった。床についても興奮が冷めず眠りに就いたのは5時。
ウェーバー、ワーグナー、シュトラウスというドレスデンを指揮した大作曲家達の音楽はやはりドレスデンに合っている。
ウェーバー(「歓呼」序曲)の一糸乱れぬアンサンブル、ワーグナーの壮大だが何か古風な響き(「リエンツィ」序曲)、そしてシュトラウスの「アルプス交響曲」。唖然とするほど上手な演奏で、古いベーム=ドレスデンの名演に匹敵する良い演奏だったと思う。シノーポリが亡くなってしまったのが本当に残念。

一夜にして最も好きな2つのオケの演奏会が家で見られるなんてよい時代になったものだ。

PS.ムーティーの「トスカ」と「トロバトーレ」を録画した方、いつか見せて下さい。

ジュリーニ=シカゴ響の名演

2005年10月11日 | クラシック音楽
先日家内の実家「奥沢」へ久しぶりに行き、自由が丘の山野楽器でぶらぶらとCDを眺めた。これというものが見つからないまま帰ろうとしたとき、別の棚に並んでいたいわゆる「廉価盤CD」に目が行き、4枚組、2800円の安CDを買ってきた。1970年前後にジュリーニがシカゴ交響楽団とEMIに録音した管弦楽曲を集めたもので、当時夢中になって(勿論LPを)聴いていたものばかり。「こんなものも廉価CDででているのか!」と驚くと共に少々寂しくなった。

シカゴ交響楽団は誰もが認める世界NO.1のヴィルトゥオーゾオケ。私も一度ショルティー=シカゴの日本公演を聴いたことがあるが、完璧なアンサンブルと表現の凄まじさに圧倒された経験がある。しかし、凄いと思ってもショルティー=シカゴ響の全て力ずくで解決するような演奏はどうしても好きになれなかった。

それに引き換えジュリーニが振ったシカゴ響(録音でしか知らないが)は大好きだった。録音の違いにもよるだろうが金管がやや抑えられ、美しい弦中心のシカゴ響の響きが堪能できた。勿論鉄壁のアンサンブルは健在で随所にその名人芸を披露する。
特に好きだったのがベルリオーズの劇的交響曲「ロミオとジュリエット」である。
序奏の困難な弦がこれほど見事に演奏されものを私は聴いた事が無い。これに匹敵するのは全盛期のムラビンスキーとレニングラードフィルぐらいであろう。

70年代、ショルティー=シカゴを西の横綱とすれば東の横綱は間違えなくはカラヤン=ベルリンフィルだった。一番後ろに座っているような演奏者でさえコンクール優勝者がいたほど名人ばかりを揃えたこれまた究極のオケだったが、これもあまり好きではなかった。計算しつくされたカラヤンの音楽は時として広がりが乏しく、聴いていて息苦しくなった。そんなベルリンフィルもベームが振ると違っていた。ドイツ伝統の硬質な響きが蘇ってくるのだった。

ジュリーニといいベームといい常任指揮者として君臨したわけでは無いが、東西の名人芸オーケストラから失われていた温もりのある演奏を引き出したというのはとても興味深いことだと思う。

PS : ジュリーニ=シカゴ響の「火の鳥」組曲は本当に凄い演奏です!!!

二人の「わが祖国」

2005年10月03日 | クラシック音楽
金曜の夜(正確には土曜)BSのクラシックロイヤルシートでスメタナの連作交響詩「わが祖国」の6曲を全て違う指揮者で演奏した興味深い映像が流れた。全て「プラハの春音楽祭」での演奏なので当然チェコに馴染み深い6人の指揮者が登場したが、その中で第1曲と終曲にはやはりチェコ出身の二人の大指揮者が登場した。アンチェールとクベリークである。どの演奏も素晴らしかったがやはり、この二人の「わが祖国」は特別な意味を持っているように思った。

アンチェールは来日したこともあるので昔からかなりの人気指揮者だった。特にチェコフィルを指揮した「新世界」や「モルダウ」は当時の「決定盤」の評価を得ていたのでシャケッとを変えては度々再発売されていた。
妻子をユダヤ人収容所で亡くしたアンチェールは戦後チェコフィルを振ってどんな思いで「わが祖国」を指揮したのだろう。チェコの共産化を嫌いカナダに亡命したアンチェールであるが、チェコ時代のような華々しい活動は見られなくなり、ひっそりと亡くなっていった。チェコフィルもクベリークとアンチェールを失い火が消えたように沈滞してしまった。

クベリークはチェコフィル指揮者に就任してまもなく期待が高まる中亡命した。アンチェールと違い亡命後にもシカゴ交響楽団をはじめウィーン、ベルリンなど多くの管弦楽団を指揮し、結成間も無いバイエルン放送交響楽団の常任指揮者として世界的に知られ度々来日した。しかし、亡命後も「わが祖国」を3回も録音するなど、チェコの音楽を常に演奏・録音していた。
そんなクベリークがチェコの民主化によりチェコフィルに戻ったのは奇跡のような出来事だった。二度とありえないだろうというクベリーク=チェコフィルのコンビで「わが祖国」を演奏した模様は度々放映されているが、いつ見ても感動的だ。いったいどんな思いで演奏したのだろうか?

スメタナの「わが祖国」はチェコ人にしか分からないような了見の狭い音楽ではない。そこに込められているスメタナの思いは世界中の人々に理解できるものだ。しかし、実際にチェコの動乱の中を生き抜いた人々にとっては特別なもなのだろう。
アンチェールやクベリークの指揮する「わが祖国」は「良い、悪い」の枠を超えた「世界遺産」級のものだと改めて思った。