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海外での思い出 佐藤仁平

伊藤忠での海外駐在時代、退職後の海外旅行中に体験したことを中心に、ハプニングやエピソードを交えて紹介します。

ブレトンウッズ会議の舞台となったリゾートホテル

2012-02-05 17:33:33 | 日記
お恥ずかしい話だが、商社マンとして10年近くもアメリカで仕事をしてきたのに、ブレトンウッズ協定がニューハンプシャー州のブレトンウッズという小さな町で締結されたことは最近まで知らなかった。ブレトンウッズ体制という言葉がテレビや新聞に度々出るようになった5,6年前、何かの本でこの重要な会議がブレトンウッズにあるマウント・ワシントン・ホテルで開かれたことを初めて知った。その後、1905年にポーツマスで結ばれた日露平和条約について調べていたら、当初このホテルも講和会議の会場候補に挙がっていた。結局は、安全確保に難があるとの理由で選ばれなかったが、100年以上続いている古いホテルであることも分かった。



ブレトンウッズ協定についてあらためてお浚いしていると、二つの発見があった。一つは、その成立までの経緯だ。日本の真珠湾攻撃から一週間後の1941年12月14日、当時のモーゲンソー財務長官は早くも戦後の国際通貨体制の計画立案に着手した。日本全体が真珠湾の戦果で大喜びをしていた時、アメリカは早くも戦争終了後のことを考えていたのだ。そして、戦争がまだ終わっていない1944年7月、連合国44カ国がブレトンウッズに集まり、戦後の通貨制度を取り決めると同時に戦争で疲弊した世界経済復興のために世界銀行とIMFを創設した。この頃になると、日本の敗色は濃厚になっていたが、我々が知らない間にこんなことまで決められていた。

二つ目は、イギリスでもドイツと戦争中の1941年夏から、経済学者のケインズが戦後の新しい通貨制度を模索していたことだ。会議でケインズは「バンコール」と呼ばれる国際通貨の創設を提案したが、圧倒的な経済力をもつアメリカに押し切られ採用されなかった。ケインズがその当時、ドルを基軸通貨とすることの危うさを何処まで予測していたのかは分からないが、今の状況を見ると先見の明があったと思わざるを得ない。大学でケインズ経済学を勉強したつもりだったが、こんなエピソードがあるとは知らなかった。

そこまで分かってくると、ブレトンウッズには是非行ってみたいと思うようになった。昨年(2011年)の夏、向こうでゴルフをやろうと息子を説得して、家族全員でこのホテルに泊まることにした。ボストンから車でI-93を北へ向かうと間もなくニューハンプシャー州に入るが、2時間程走ると州随一の景勝地ホワイトマウンテン・ナショナルフォレストに着く。高速を降りて3号線を東へ20キロ程行くとブレトンウッズという小さな町があり、間もなく緑の山を背景に赤い屋根の白い大きな建物が現れた。これが、ブレトンウッズ協定の舞台となったマウント・ワシントン・ホテルだった。


(ステックニー夫妻の肖像画)

このホテルの創立者は地元出身のジョセフ・ステックニーで、彼はニューヨークで石炭と鉄道事業に投資して巨万の富を築き、ホテルの建設にはお金を惜しまなかったといわれる。最新のデザインと最先端の建築技法を取り入れ、構造材には当時まだ珍しかった鉄骨を使用した。ホテルの建設にはイタリアから250名の職人を招き、1900年に着工し2年後に竣工した。



当時最も贅沢なこのホテルには、ボストン、ニューヨークやフィラデルフィアのお金持ちが続々とやってきたが、ブレトンウッズにあった3つの駅には、一日に50本もの列車が到着したこともあった。多くの有名人が泊まっているが、その中にはトーマス・エジソン、ベーブ・ルースや3人の大統領の名前もあった。

ブレトンウッズが世界的に有名になったのは、このホテルで国際通貨会議が開かれたからだ。会議は7月1日から3週間続いたが、付近の宿泊施設からもベッドが持ち込まれ、ホテルには定員をはるかに超える約1,000人が泊まったといわれている。ホテルの一階には会議が行われた部屋があり、現在は結婚式の宴会やコンベンシヨンなどに使われている。また主要国により協定書が調印されたゴールドルームも当時そのままの姿で保存されている。部屋にはケインズの写真も飾ってあった。



ホテルの周りには、1895年にオープンした9ホールのコースとドナルド・ロスが設計した18ホールのゴルフ場がある。後者は1915年に完成したが、ゴルフ・ウィーク誌によりニューハンプシャー州のベストコースに選ばれている。ホテルに着いた日の夕方、息子は一人で9ホールのコースを廻ったが、翌日は約束通り二人でホテルの外観を眺めながら18ホールのコースを楽しんだ。確認できなかったが、ロッカールームにはベーブ・ルースのロッカーが今も残されているとのことだった。



帰る日の午前中、ホテルの歴史を紹介してくれるツアーに参加した。30人ほど集まってスタートしたが、ゴールドルームに入った時は4,5人しか残っていなかった。最後まで残った人たちは、ブレトンウッズ会議にかなり興味をもっているらしく、ガイドに色々質問していた。ブレトンウッズ体制の根幹であった金本位制と固定相場制は1970年代の初めに崩壊している。当時創設されたIMFは批判を浴びながらもアジア通貨危機を救い、今度は欧州債務危機に大きな役割を果たそうとしているが、このままドル安が続けばその機能が発揮できない怖れもある。

ホテルの所有者は創業者が亡くなってから度々代わったが、1999年からは冬季にも営業できるようになった。2009年の秋からはオムニグループに加入し、現在は世界中の観光客で年中賑わっている。紅葉シーズンの景色は素晴らしいと言われているので、もし機会があれば次回は秋に行ってみたいと思っているが、その頃、基軸通貨としてのドルとIMFはどうなっているのだろうか!

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