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捨てる前のあと一口

ありがとう。

ども。

2008-02-23 04:55:39 | Weblog
間があきました。

あけました

あけましておめでとうございます


最近尊敬出来る大人って少ないなー、と思います


そこで何が違うかって考えてみる


否定するものの違い


かな、ってとりあえず思った


簡単に言うと他人か自分か

他人を否定するってことは自分を相対的に肯定することになるから


すごくラクなわけで


自分から見ると、それはまったくもってみっともないことで


むしろ評価は下がってしまうんだけど


否定するなら否定するなりの完璧さ、というか客観的な肯定面がなきゃしょうがない気がするね


ってことで、他人を否定するってことは自分を追い込んでることになる


なかなか勇気のいる行為である意味軽はずみじゃなきゃ出来ない


そんなに自分素晴らしくないですから


と、今度は自分を否定してみる

それはまた直接的に自分を追い込むことで


良く捉えれば「向上心」ってことでもあるけど


そういう自分に対する自分の否定から生まれる「向上心」って元気がなきゃ芽生えない


元気がないときはナルシズム


悲劇のヒロイン化


それって嫌いっちゃ嫌いなんだけど


本当に追い込まれたらそれしかないかな、とも思うようになりました


世界が嫌いで、周りのモノ、みんな嫌になっちゃったとき


手近にある「自分」をまず好きにならなきゃ始まらない


だからナルシズムも人間の防衛本能みたいなもので必要だとは思う


使い過ぎると逆に美しくないけどね

使い所間違えるとまた他人を否定しはじめるし


そっちもまたナルシズムなんだな


とにかくここから自分が思うのは


自分を否定してこそ、そこから這い上がってこそ他人を否定出来るし

自分を愛せてこそ他人を愛せる

の二つかな、と思う


とにかくむやみやたらに他人を否定してはいけない

他人の人生、価値観なんて見えてないところがいくらでもあるんだから


一番実感にあるのは「自分」

その感性を磨くべき


いろいろ言ってみたけどまだ若いんだろうな

まだまだ磨くわ


否定して、肯定して


歳とってそれなりに納得がいったら他人に対する否定を始めよう


その否定は、自分を否定出来ない人に対する後押しでありたい

その先の向上心への布石というか


自分を愛するための他者の否定であってはならない


それでこそカッコいい大人なのさ


えっと、今日の日記もそれぞれの捉え方でいいんですが


最近読んでる人がどれくらい居るのか気になります


読んだ方、コメントください


コメントと言っても「.」くらいでいいです


ドット


あなたの思いを込めてドットをください

裏の意図は勝手に妄想しますw


どれくらいドットが集まるか楽しみにしてます

嫌ならいいです


ごめん


ありがとう

昨日の流れで

2008-02-09 01:28:41 | Weblog
ちょっと苦しくなってる


怖いよ


世界がそんなものによって回っているのなら


いったい僕は何の「タメ」に生きているんだろうか

すごくズレを感じてしまう


頭の中には世界があって

それはとても美しいモノで


心地よい安息の地なんだけど


歳を負うに連れてその世界と現実世界のズレに気付く


子供の頃の世界をいつしか見失ってしまう人もいる


暴力、とかに負ける


それって幸せなんですか


僕には分からない


目を覚ますべきは見失ってしまった人たちなのか、


はたまたこんなことを言ってる自分なのか


イヤになる


仕方ない


仕方ないと、言い切れたらどんなに楽か


世界とのズレに目を伏せることが出来たらどんなに楽か


でも、それは服従だ


世界に負けている


負けない、俺は負けない

どんなに痛くても負けたくない


ここにある「美しい」を守ってやる


と、痛いことを言ってしまいましたが、世界を全否定なんて出来ません


恥ずかしいしね


何よりポジティブに言うならこの世界に「美しい」ものはある


自分の心がカッツリあうモノたち

やっぱりなかなかないけど、会えた時は凄く癒される


そのおかげで僕は生きている


その「美しい」ものがみんなに響くポップなものであったらもっといいな


探そう「美しい」


それこそ「美しい」モノを作れたらその「タメ」に生きたと言える

死ねる


だから、まだまだ死ねないんだ





うん

世界の原動力。

2008-02-08 04:20:33 | Weblog
愛についてはまた保留します

えっと今日は世界の原動力について


最近、世界は暴力と金で回っているのだと実感しています


実感?


ちょっと違うか


んーまあそう思ってしまう出来事が多いというか

暴力と金、強いよなぁ

そして、怖い


考えてみると暴力と金って


かたや人間の根源的、動物的なもので(暴力)


かたや人間のみに発達した高度な文化なんだね(カネ)


両極端


不思議な両極端


だからこそこの二つは強いんだろうか


信頼されてる


人間、あやふやなものって信用出来ないからな


言葉とか


愛とか


優しさとか


それで世界は回らないようだ


うーん、悲しい…


この「悲しい」も、とってもあやふやで

暴力や金に還元されていくのだろうか


えー!マージーでー?


イヤだ


イヤだイヤだ


それでも僕は世界が、優しさと沢山の気遣いで回っていると信じたい


それって多分金や暴力より「美しい」から


「美しい」


あやふやだけど大事な感性だと思うよ


ヒトがヒトに暴力をふるったり、暴力的な言葉をあびせてる光景より


ヒトがヒトに優しくしたり、優しい言葉をかけている光景のほうが


「美しい」でしょ?


ねぇ、違う?


バカなのかなぁ、自分


それでも拙者はそんな甘っちょろい戯言のほうが

好きでござるよ


↑今までの流れぶち壊しのパクリ発言w


でも、確かなんです


僕の中では確かなんです


じゃあ、ね


これから現実を生きてく中で確かさを確認していくよ


疑う機会はいくらでもあるだろうけど


負けない


強くなりたい


強く、優しく、美しく


よしゃ、なんかまとまった


おやすみにゃさい

愛について・序章

2008-01-29 04:14:53 | Weblog
ちょっとだけね

思いました


今回は男女間の関係です

人間って相手の中身、性格とか空気を好きになってれば

嫉妬とかあんまりしないものみたい

愛って多分独占欲じゃないんだわ


「愛って多分」って言い方これからよく使う気がする

「愛」なんかもう確実にそれぞれのイデアだから「多分」としか良いようがない


んで


嫉妬しない愛

綺麗な言い方すると、「僕はあなたの幸せを願ってるので他の人と幸せになっても構いません」ってスタンスかと

他の人のところに行って、好きになった相手の空気が変わるわけではないもの

むしろ空気は良い方向に変わるかも知れない

ここで独占欲が先立つと
「アイツを幸せに導けるのは俺しかいない!」とかになるんだな


うざっ!


何様?


絶対幸せにする?


およそ、だろ!


あ、どーもw


ただ、嫉妬とは別に浮気を嫌悪する感覚はあるな


浮気されて、自分から離れたことに怒るって言うんじゃなくて


その点はむしろ自業自得なので


浮気という行為でその人の評価が下がる感じです


だから嫉妬もしない
評価下がって相手の幸せを望む気持ちも下がるもの


うーん


まま、空気が好きっていいな、と思ったのです


幸せになって欲しいのです


俺しかいない、じゃなくて幸せにするのが自分だったらいいかな、ぐらいの


どうでしょう


あ、でも最近ドツボにはまって「俺しかいない」トランスもいいかな、とも思ってる

ファンタジーもたまには


でも生き残るのは現実的な前者な気がするわ


「愛について」、哲学的に重い文脈になるかと思いきや意外とポップなものになりそうです


ぱっと思いついただけなので、未来の自分が否定するかも知れませんが

あえて書き残してみました


続きはどうなる

不定期連載です


とりあえず序章、完

予告

2008-01-18 04:34:23 | Weblog
ずっと書きたかった「愛について」

そろそろ書けそうな気配です

でも多分コロコロかわるので三部作ぐらいになるかな?

よろしくー

語っていた正月。

2008-01-15 01:30:49 | Weblog
今年の正月は自分の都合上休みが多く、いろんな人と語り合う時間を得ました

それこそ、自分がこれまで出会った多方面の人たち

多方面とは言ってみたものの遠出したわけではないし、結構近い距離なんだけどね

でも彼らは自分が見ていない世界を見てきたし、今も違う世界を見ている

これって怖いけど、


いや、ホントに怖いんだけど


だからこそ楽しい


って月並みな言い方するしかない


実際目の前にしていろいろ話すのは可能なわけで、お互いの感覚が重なった瞬間とか嬉しい

あとは、それによって自分の語り口を客観視出来たり、違う感覚を吸収出来たりする
相対化で自分が見えたり


ただ、これまた自分が敏感な時期は怖いか、とも思う

結果的に自分と他者との違いをより明白にしてしまう


怖いなぁ


自分って多分物事を言葉にするのが人より上手くて(自負です、はい)

すごくよく喋るんだけど


こういう恐怖は常にあります


今日はちょうど、一人で過ごす時間が長い日で

そんな恐怖が大きくなってる

ここ数日いろいろ喋ってた、誰か相手がいたけど、今日はそこから離れたお陰で一人でいろいろ考えちゃう


これって一般的な寂しいとかでは表せない


言葉の限界でもあると思う


ゆえにこの言葉にならない感覚は共有出来ない


また寂しくなっちゃった

怖くなっちゃった


トランスしたいな


友情とか愛とか他人と共有出来ていると信じていたい


信じられている時間もあるんだけどさ

ちょっと疑うスパンなの

しかもそのほうがリアルな気がしちゃってるし


いやいやまあこうやってリアルに考える裏には、信じるというモチベーションがあるんだけどね


もっと言えばこういう文章を書くこと自体にストーリーがある

俺は文章を書くというストーリーの主人公になってる


だから、まあバランス…かな


ストーリーを信じるのも、疑うのも


楽しい時間はあるよ

しかもそれって自分が望んで味わってる楽しい感覚だから

もう、ストーリーでもトランスでもいい


は~いはい


こんなめんどくさいこと考えてる僕だけど


みんな仲良くしてね


にゃん♪


にゃん♪にゃん♪


…ぷぷ。

2008年も相変わらずの僕です

2008-01-06 03:24:12 | Weblog
明けましておめでとうございます

あ、メリー苦しみます

苦しみますというのもハッピーに演じてしまえばメリーな感じです

マイナスもメリーに塗り替えよう

そんな僕の最近の自己分析


どうやらこの良くない感じの正体は「ストーリーの否定」にあるらしい

人生には多くのストーリーがついてまわる


楽しいのも

悲しいのも


二人で過ごす幸せな時間も

誰かが死んだ時も


ストーリー


ストーリーが何かクッションのような役割を果たしている

半透明のアイマスク

言ってみれば盲目的なトランス状態みたいなもの


そんなストーリーを否定していたら疲れてきた

ていうか人生自体トランスなんじゃないかと思い始めた


生かされている

誰かにこの映像を見せられている


そのトリックと向き合ってみようと思ったら凄く疲れた


実際この文章を読んでいる人ももうなんか疲れてきそうだ


新年早々ごめんなさい

みんながみんなそれぞれのストーリーを生きている

それぞれのストーリーを生きてきた


お疲れさま


皮肉に聞こえるかもしれないけど

じゃなくて


お疲れさま


って書いてる俺もストーリー


俺の中のストーリー


白馬の王子様待ち


なんかなぁ


やっぱりストーリーってなきゃ生きていけないですね


ごめんなさい

愛について。

2007-12-31 18:41:02 | Weblog
大晦日です

今年は運の悪い一年でした


スランプスランプ

どうしようもなかった


でも、来年は厄年、しかも大厄です

どうなるんでしょう


自分小さいころから20歳で死ぬものだと思ってました

何の根拠もないけれど、なぜかそう思ってました


でも、おまけの人生もかれこれもう4年です

諦めるしかありませんね

諦めていたら、「死」というものの意味を変える出来事が周りで起き始めました


そう、他人の「死」

物心ついてから、いろいろ考えるようになってから近しい人の「死」ってなかったんだけど

同級生の「死」

自分を大事にしてくれた近所のおじさんの「死」

嗚呼、文字にして書いてしまうとなんて薄っぺらいんだろう


実感もないし

人間って他人からどんな話を聞いてもそれに近い経験、「実感」がなければいまいち説得力がないと思うんだけど

誰かの悲しみとか

聞いてても本当にその人と同じレベルで悲しむことは決してないんだよね


そう考えると人間生きてて唯一実感として得られないものって「死」の経験なんだな

死んだことあるよ、って人いないもん


だから怖いのかもしれない

未経験って怖い

見えないものは怖い


だからそこにストーリーを与えてきた

天国とか地獄とか、魂とか


でも分かんない

どんなに考えても分からないことってあるんだなぁ


一応、自分の中での「死」の概念って電話の回線が途切れる感じなの


ガチャ、ツーツー


って


そこから交信できなくなる感じ

どちらの側からも


やっぱりちょっと怖いよね

しかも回線はいつ切れるか分からない


公衆電話のように

料金が足りなくなってプツッて


自分の人生おまけの小銭はどれだけあるのやら

長い目で見れば足りなくなって、お札を両替してまた小銭を増やすって過程


でも、お札も確実に減ってる


いかん

これじゃあ「生」が作業みたいだ

「生」自体に何の意味もないみたいじゃないか

与えられた「生」の期間に何をするか、の話なのは分かってる


何が出来るのか、何を形として残せるのか

でも死んだら残ったものも、残ったものに触れる人の感性も見えないんだよなあ

交信不可能だし

ダメだ、このままでは何のため生きてるのかわかんなくなる


まぁいいやどうやら小銭はまだあるようなので

通話は続けてみます

せっかく通話中なんだから面白い話もいっぱい出来たらいいな

あっちからも聞きたいし


あらら、「愛」について書こうと思ったのに完全に「死」についての話になってる

ばかだなぁ

プーだなぁ


ま、いいや「愛」については今度書くね

良かったら曲聴いてってください

sleepyheads

ちなみに新曲アップしてます

「wedding winding road」

ちょっとだけ「死」も絡ませてます


ではでは

良いお年を

恐怖。

2007-12-30 06:18:03 | Weblog
常に何かに怯えている

他人の視線

他人の思考

責められている

咎められている


もう一人の自分はこう言う

「何を自意識過剰な、誰もそんなにお前のこと見てないから」


かも知れない

叱られたいのかも知れない

視線が欲しいのかも知れない


他人の中に自分が存在していたこと

確認したいみたい


この世で決して外から見ることが出来ない唯一のモノ

自分自身


近すぎて見えない


ビデオテープに記録として残そうがそれは記録でしかない

コミュニケーションの中で生まれる空気みたいなものは分からない


一体何なのか

どうしてこんなに不確かなモノを操作し続けるのか


誰が与えた仕事なのか

いつだって不安だよ


確かめてくれよ


僕という存在は死んだときに分かるのかもね


種明かし

くす玉が割れて


とか言ってるが僕は生きる

ポップに優しく優しく生きてやる


汚されないぜ

もう汚れているならその汚れを保ったまま、美しい模様にまで仕立てあげてやる


自分は

ポップでいられないなら

死にます


染み付いた


もうそんな歳だ


負けない

がらんどう。

2007-12-29 05:55:04 | Weblog
たまに思う

自分の、外に出てる部分

アイコンみたいなものがどれだけ他人に残っているのか


他人の形が自分に残ることってあると思う

それは言葉であったり、強烈なビジュアルであったりするけれども


自分ってどれだけ残っているんだろう

どんな形で残っているんだろう


どんなに科学が発展してもそれは絶対に分からない

言葉というヒントから想像という創作で作ることは出来るけれども


すれ違い

ずーっとすれ違い


すれ違いの繰り返しから何が出来るんだろう


ただ、すれ違っていない、共有を味わうこともある

しかしながら共有もただ、自分が感じている不確かなもので


不確かでも快

錯覚だけど快


錯覚を味わうために生きているんだなぁ

錯覚、大事な大事なトランス


僕にください