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捨てる前のあと一口

ありがとう。

僕はアンカー。

2008-04-10 23:21:53 | Weblog
ダメだな

こりゃあダメだわ


でも「負」って他人に感染するから、これ以上何も説明とかしないことにしよう

多分これもまた、どっかで拾ってしまった何かなのだろう


バトン渡さないことにするね


アンカーは僕でいいです

しばらく黙ることにします


ここまでみっともない日記を書いてましたが、最後のプライドです


これから人に会うのも最小限に減らすわ

隠してても多分、渡っちゃうもん


アンカー!


アンカーカッコいいじゃんね!


最終走者。



そしてゴールイン!


バイバイ!





はしませんよ


ご安心を


バトンが劣化して消えるか、何か実用的な新しい発明に変わるのを待ってます


それまでバトンを引き受けて走り続けます


たまに歩きます


また走ります


ねー。


そうだよねー。


うん、うん。

何もない。

2008-04-06 20:50:18 | Weblog
なんて嘘。


嘘だよ。


ここに文章を書いているカラダがある


つまり思考もある


月並みだけど、我思う故に我あり、というのも分かる


でも、何かない


さっきちょっと分かった


ないのは





文脈だ


頭の中からストーリーがなくなったら結構酷いもんだ


もちろんストーリーがなくなっている、というストーリーを作っているのは自覚してる


でも言うしかない


ストーリーが、ない


結構な空白だ


ご飯食べるとか、お金稼ぐとか分かるけど


それをつなぐものがない











でもこの状況、さして怖くない


恐怖もストーリーだから


ストーリーが無ければ、痛みも死もひとつの事実に過ぎない


点として存在するだけ


点であるだけストーリーよりは現実感があるけど


そうか、ある意味現実に近づいているのか


関係ない話、現実見ろよ!って忠告でさえまだ現実ではないんだな


今こんなに怠けてたら将来大変なことになるぞ!現実見ろよ!


って言ってみても


将来は現実じゃないよな


むしろ怠けてる今が現実なんだな


今が楽、って現実のほうが説得力がある


まあまあ夢見がちな人に、より相対的に可能性の高い未来を提示するって感じか


分かった、うん


はてさて僕は現実と、現実から程遠い妄想の引っ張り合いにいます


あ、妄想、ストーリーだよな


ストーリー作ってるか


でもそのストーリーが現実から距離を置きすぎてるみたい


だって現実世界に頭の中のストーリーを結び付けると酷いことになっちゃうもん


自分をかばい始めて他人も傷付けるだろうし


やだ


ストーリーは現実に近付かず


妄想のまま


平和だろう


ああ、よくわかんない


でもなんか意外と書けたぞ


ストーリー作れるらしい


しかも割と現実にいる


大丈夫かも



愛について 第二幕

2008-04-03 05:05:12 | Weblog
久しぶりに愛について語ってみる


愛は生産的である


が、故に暴力的なものだ


生産的というのは、元々違うモノが惹かれ合うという点


男と女


それはもう生物学的に違うものであるし


精神構造も全く違う


それが惹かれ合うということはクリエイティブで


新しいモノが生まれる予感がある


もっと言えば、男と女じゃなくてもいい


もうこの世に生を受けた時点で違うモノなのだから


愛は


そう


生産的


でも凄く破壊的でもある


思うに愛というものが存在しなければ、ここまで壊滅的な結末にたどり着かなかっただろう


というエピソードはいくらでもある


傷は愛があるほど深い


そしてその愛とは他人に対するものなのか、自分に対するものなのか


自分、だとしたら


もっと自分を愛せる形にしなきゃならない


結局生まれたときから一人


自分で操作出来るのは自分しかいない


自分をもっと愛せる形に作り上げるしかないんだ


でも、ここで自己弁護が始まったら成長は止まる


私って結局こういう人なんだ


とか


もっとタチが悪いのは他人のせいにすること


環境のせいじゃない


自分が悪いと認めてこその改善だ


「改善」ってこの「善」が何を基準にしたものか分からないけど


多分自分自身の価値基準だろうな


やっぱり自分が愛せる自分の形


美しいと思える自分の形


いや、「善」とか価値基準については長くなるからまた今度


とにかく愛は生産的、想像的にして破壊的


常に頭に置いておいて良いと思う


破壊的であるより想像的な愛を


いや、どうあがいても常に破壊的だけど


でも俺は


誰も傷付けたくない


これは多分


あまりに夢見がちで子供染みてて


諦めたくもなるけど


凄く悲しいけど


悲しいんだけど


守りたい


くそっ


生きるの下手だ


いいよ


いい

自信警報

2008-03-23 03:53:35 | Weblog
自信がない

という話ではありません


こうしてやめずに生きているからには根底には自信がある気がします


でも最近やたら自分に自信がある人が鼻につきます

しかも実力ないのに


それってどういうときに一番感じるかって

何より


他人の話を聞かない


最近思うのは人間力って他人の話を聞く力じゃないかってこと


もうなんか誰しも違うんだから


生きているうちにいかに世界を広げられるかでしょう


だから自分にとってどんなに低俗(?)な話でもきっちり聞いておきたい


シャットダウンはしない


それが自分にとって不快なもの、他人の悪口、陰口とかだとさすがにのっかりはしないけれど


ああ、ストーリーだ


ストーリーって苦手だ


生きるために常に使ってるような気もするけど、これもまた過剰だと鼻につくもので


ヒロイックなのはきつい


頭の中だけでヒロイックになってるのはかまわない


でも、他人に押し付けるのはどうなんだろう?


むしろ登場人物が自分ならばストーリーは他人から与えられるものな気がする


魅力的な人間ならストーリーはついてくる


見る人それぞれの幻想

幸福を与える存在


そういうものになりたい


と、これまたストーリーか


でもこれって今自分がそういう存在であるというヒロイズムではないのです


むしろ現状は否定されてます


未来へのヒロイズム


そして、それは俺は必ずそういうものになるっていう自信ではなく


そういうものになりたいという希望、決意


やっていこう


その結果って他者の幸福が自分の幸福っていうありえないストーリー


でもすごく人間的


他の者の幸せを願うって、人間にしかないだろう


人間として死にたい


そうだ


僕は


風呂に入る

日常に潜む、かくも暴力的な言葉

2008-02-26 18:38:25 | Weblog
前に弱点となる言葉がある、と述べましたが

それはむしろ忌むべき言葉に変化しつつある


この言葉を聞く度に何かむせかえるような感覚に襲われる


それは


「言い訳」


自分の感覚として「言い訳」が嫌い


これ実は言い訳するのが嫌いなんじゃなくて「言い訳」という言葉が嫌いなんです


「それは言い訳でしょ?」


なんて暴力的な言葉だろう


発する人は多分そんな重い意味を込めてないんだろうけど


何故、暴力的か

それは相手の言い分を完全に殺して、かくも簡単に全否定に持っていくから


発した本人にとって「理由」であったものは「言い訳」にされた瞬間その意味を失い完全に死ぬ


実際暴力と結びつけてみよう


ボカッ!ガスッ!


なんで殴るの?


その顔がムカつくんだよ!



いや、親がこう産んだんだから仕方ないじゃん!
こういう表情もクセなんだよ


それは言い訳だろ!


終了…


ちょっと極端過ぎて賛同しづらいか


まあ、ね

返す言葉、続きがないという点ですごく暴力的なのは間違いないよ

言い訳って言われたら何て返す?


「いや、理由を述べようとしたんですけど…」


「それも言い訳だろ!」って返される


うわぁ

話にならない


ある意味便利な言葉

他人の言葉をいとも簡単に殺せる


もうなんか悲しくて仕方ないわ


少なくとも俺の人生、そういう言葉を使う教育がなかった

親もそういう叱り方してない気がする


なんかね、最近耳にすることが多いって言うか、この言葉に意識が向きやすい


でも一応言っておくと他人の言葉を「それ言い訳だろ」って思う気持ちも分かりますよ


でも自分も言われて嫌な思いを結構してきたので

軽々しく口には出さないように気をつけてる

一歩踏み留まる


他人を戻れない谷底に落とす気がして、なかなか無理


「理由」→「言い訳」って行程は不可逆反応なんだよ


一度相手に「言い訳」と捉えられた言葉を「理由」に戻すのは難しい


戻す言葉すら「言い訳」になるから


すごくヤだなぁ…


とにかく、軽々しく口にしていい言葉ではないと思う


使いやすいし、使ってることがしっかり意識に上らないから厄介だけど


そもそも相手の言葉を「言い訳」にしちゃうって楽なんだよね


もう丁寧に相手の言葉を受け止めて、反論する必要がないんだもん

でもね


この「言い訳」って言葉も最近自分の中に取り込まれちゃって


なんか考えるたびに頭の中の一人が「それ言い訳じゃない?」って言ってくるの


もうそうなると今書いてる日記も「言い訳」って言われたくないがないための「言い訳」になってしまう


無価値になる


でもこれって本当に無価値なの?


思考を回転させて言葉を選ぶことは無価値?


だったらもう何も出来ないよ


死ぬなぁ


死ぬわ


言葉が


もう言葉が死んだらもう暴力しかないわ


「言い訳だろ」


「うるせぇ、もう何言っても無駄じゃねえか!」


ボカッ!ガスッ!


うーん、日々世界で起きる戦争もこんな過程をはらんでるような気さえしてくる


話し合いが無理なら武力


あー怖い

悲しい…


こういうおっきな話になったらその結果、人が死ぬかも知れないよ


とりあえず防御策としては「言い訳」と思わせない口ぶりのスキルなのかな


難しいわ


とりあえず一言謝ってから理由を述べる、ってのは分かる気がするな


それでも「言い訳」にはかなわないことの方が多いんだよなぁ


なんとかならないもんかしら


ならないのかぁ…


あー


きついわ、まじきつい

ぜっつぼう!


とにかくこう考える人がいるってことぐらい認識してほしいな


「言い訳」にするのはやめて欲しい


受け止めて欲しい


頭使って反論組み立てて納得させるほうが生産的な気がするんだよ


自分の非を理解した分、反省も深まるし


あー、とりあえず言いたいこと言ってちょっとすっきりしたぞ


反論があったら下さい


「言い訳」って他人にすぐ言っちゃって他人を不快にさせる人、その「理由」を教えてください


僕はその「理由」を「言い訳」にしたりしませんから


受け止めますから


どうだどうだ


DODA!

希死念慮と死という事実。

2008-02-26 01:39:30 | Weblog
そのもの

死ってなんなんだろう


最近すぐ死にたくなります

少しダメだって思うとすぐ死に結び付けます


一応言っておくと心配を招きたいわけでもないし、こういう思考はしょっちゅうなの多分死なない

断っておきます、何度もあることなので多分死にません

「多分」にしておくあたり、やらしいけど


やっぱり「生」にすがりついてて自分は心配を招きたいだけなのかって考えちゃうけど

そんなのカッコ悪い


でも「ここで死んだらカッコ悪い」って感性では生きられない

よく言う親や友人が悲しむか死ねない、ってのも自分には分からない


なぜなら死は「ゼロ」だから

比較対象にもならない「ゼロ」


簡単に言うと

「カッコ悪い」って感じるのは生きてる間だから

死んだら「カッコ悪い」っておかしい

「カッコ悪い」と評価されてる自分さえ、死んだ自分が見ることはないのだから


親が悲しむってのも同様

悲しんでる親の姿だって生きてるからこそ目に入るわけで

もっと言えば「見たくない」という嫌悪の感性も死んだら消える


感性を持った自分がゼロになるんだから関係ないじゃん

なんて迷惑と思うかもしれないけど、どんなに迷惑をかけても死んだ後、迷惑と評価された自分を見ることさえない

自分が自分の手から離れてる


自分勝手でしょ?

でも死んだら自分勝手な自分も手を離れるから知らない

知~らないっ


昔から自分ってそういう意味で死を恐れてないところがある

根っこの部分、無意識ではすがりついてるのかもしれないけど


死はゼロ、そこまで、評価ナシ

だからいつ死んでも良いんだよね


う~ん、生きてるうちにこういうこと言うと「カッコ悪い」のか

まぁね、人間がギリギリまで生を感じるとしたら、その最後の感覚はプラスで終わりたいってのはあるよ

病床に伏して、最後の息を引き取るときの思考が後悔ばかりってのはつらい気がする

でもその「つらい」も一瞬なんだよな

次の瞬間死んでるとしたら関係ない

ある意味最後のつらい後悔さえ乗り越えちゃえばゼロ


あ~あ

すごいあきれられること書いちゃってる気がする

でもあきれられると分かっていながら間違いだとは思っていない

死が「ゼロ」であることに関して間違ってるとはまったく思わない


どうですか?

死にそうですか?俺

でも冒頭でも言ったとおり多分死なないんだよ


参ったね

多分死なないくせにすごいカッコ悪いこと言っちゃった


これも心配を招くという意味で、無意識の生への執着かね


しぇ~


じゃあ意識的にポジティブに終わらそう


僕はどこかの誰かに必要とされてるなら生きる

一応自分の人生があってそれなりに自分しかもっていないものがあるわけで

それがこの世界に必要なものなら生きる

生きてあげる


傲慢だけど、真実だから「生きてあげる」って

生きてあげようかな


っていうか生きてあげる、自分の最後の生への執着もこの世界に自分が必要とされてるからこそ起きる感覚だと信じよう

生への執着って説明がつかないんだもん

外からの必要性があるんじゃないかと


そういうことにしとこう

多分、死なないから


グッバイ

ふふw